アリシアへの再接近
礼拝堂を出たあと、幸太郎たちは簡単な別れのあいさつを済ませてそれぞれの場所へ戻っていった。
薄暗い昼下がりの街を歩きながら、幸太郎は先ほどの女性が浮かべていた表情を思い返していた。
彼女は昔の“鬼畜オヤジ”によって傷つけられた当事者かもしれない。だが、今の自分は違うのだと伝えられたのは大きな一歩だった。
「…一人でずっと悩んでいたけど、こんな俺でも変わろうとしてると分かってくれる人がいたんだな」
そう小さくつぶやいたとき、視界の端に金髪が揺れているのが見えた。遠目にも華やかな雰囲気をまとい、道行く人々が思わず目を奪われるような存在感。
それはアリシア・フォン・エヴァンスの姿だった。
(アリシア……ゲームの攻略情報だと、彼女は高級紅茶などの上品な贈り物に弱いタイプ。
イベントで渡すと好感度が上がるフラグがあったはず……ここは思いきって声をかけてみるか)
幸太郎は意を決して彼女に近づき、少し離れたところから話しかける。
「お、お嬢様…ちょっと失礼してもいいかな」
アリシアはチラリと彼に視線を送り、相変わらず高飛車な雰囲気を漂わせながら答える。
「あなた、私を呼び止めるとはいい度胸ね。…何か用?」
幸太郎はその険しい言葉にどきりとしつつも、ゲームで得た情報どおり、アリシアが好きそうだと思った高級紅茶の新作を思い出し、小箱を差し出す。
「こ、これなんだけど…社交界でも評判の新しい紅茶らしいんだ。もしよかったら飲んでみてくれないかな」
アリシアは一瞬だけ、はっとした表情を浮かべる。しかしすぐに鼻を鳴らして頬をそむけるようにしてしまう。
「あなたみたいな下品なオヤジが、そういう気遣いを覚えたなんて信じられないわ。…でも、見た目だけはそれなりに整えてるのね。
前みたいに汚い格好では無くなったわね」
辛辣な物言いに思わず萎縮しかけた幸太郎だが、なんとか踏みとどまる。
彼女が手にした紅茶をちらっと見つめているのを見逃さず、穏やかな声で言葉をつなぐ。
「今まで本当にひどいことをしてきたらしいし、挽回するのは簡単じゃないと思う。でも俺はもう昔の俺じゃないって、証明したいんだ」
「……」
アリシアは短く息を吐き、小箱を受け取る。少しのあいだ言葉なくその包みを見つめ、やがて控えめに視線を上げる。
「貴族の習いごとで、各地の紅茶の銘柄には目がないの。確かにこれは評判になりそうね…。
ありがたくいただいておくわ」
その言葉に、幸太郎は思わずほっと胸をなでおろす。
だが次の瞬間、彼の頭にはゲーム内の凶悪なCGがフラッシュバックする。華やかなドレス姿のアリシアを破いたり、無理やり押し倒したり……。
(まずい…あの鬼畜イベントを思い出してどうする! 今は絶対そんな真似はしないんだって決めたんだ)
「…はあ、どうしてあなた、さっきから顔が赤くなってるのよ」
アリシアが不審そうに問いかける。幸太郎は慌てて首を振り、頭の中から嫌なCGを追い払うようにして固く唇を結ぶ。
「い、いや…何でもない。そういうのはもう絶対しない。…俺はもっと普通に、優しくしたいだけだから」
「はあ? 何わけのわからないこと言ってるのよ。…まあいいわ。
私はこれから用事があるから失礼するけど、せっかく貰った紅茶だし後で飲んでみるわね」
そう言い捨てて歩き去ろうとしたアリシアだったが、ほんの少しだけ足を止め、幸太郎を軽く振り返る。
「あなた、今はその…あまり悪い噂が広まらないように気をつけなさい。
私の名まで巻き込まれたら困るもの。…じゃあ、失礼するわ」
高貴なオーラを残したままアリシアが去っていくと、幸太郎は大きく息を吐き出した。
「ああ…危なかった。でも、前なら絶対まともに話せなかったのに、こうして会話できた。
それに、少しは紅茶にも興味を示してくれたし……やっぱりゲームの攻略情報どおり、アリシアへのプレゼント作戦は悪くなかったな」
幸太郎は胸の奥でぽっと灯る希望を感じる。
ゲームの世界では鬼畜な手段でしか接近できなかったヒロインに、こうして真面目に声をかけるだけで手応えがある気がした。
「よし…“元の鬼畜には戻らない”って、はっきり決めたんだ。ここからが本当の勝負だな」
握りしめた拳にわずかな力を込め、幸太郎は王都の喧噪へと再び歩き出すのだった。