08.木犀の下で眠りたい
雲嵐は死んだ。
呆気なく、首の骨を折られたことが致命傷になった。
その事実が香月の心を深く傷つけた。
「香月! 無事だったか!?」
駆けつけてきた俊熙は香月に声をかける。
その声を聞き、なにかを言わなければいけないと顔をあげた香月の目から大粒の涙が零れ落ちる。
「香月」
俊熙は反射的に香月を抱きしめた。
「言わなくていい。泣いてもかまわない」
俊熙の言葉を聞き、香月は頷いた。
俊熙の腕の中で幼子に戻ったように泣く。
たった一人の幼馴染を目の前で助けられなかったことの後悔と、失ってしまったことの絶望感に涙が止まらなくなる。
「陛下」
香月の代わりに声をあげたのは梓晴だった。
恐れ多いと言わんばかりに最上級の敬意を払いながら、声をかける。それに対し、俊熙は視線を向けた。
「報告を」
俊熙は短く指示を出す。
それに対し、梓晴は覚悟を決めたように息を吐いた。
「はい。陳勇とみられるキョンシーが玄武宮を襲撃いたしました。キョンシーは賢妃様のご健闘の末、消滅いたしました」
梓晴は戦いの詳細を口にしない。
勇の姿がなく、消滅したことを確認したのは梓晴だった。
「死者は王雲嵐です。玄家の宦官ですので、こちらで処理をさせていただきたく思います」
「そうか。玄家のしきたりでもあるのか?」
「死者は玄家に送り返し、墓地に葬ります」
梓晴は緊張を隠せていなかった。
質問されるとは思っていなかったのだろう。
「そうか」
俊熙は報告を聞き入れた。
それ以上の興味はなかったのだろう。
泣いている香月を慰めるように優しく香月の背を撫ぜる。
* * *
雲嵐の死から五日が経った。
故郷である年中雪山の氷叡山とは違い、四季の移り変わりのある麒麟省では秋を迎えようとしていた。玄武宮に植えてある木犀の木々に花が咲き、独特の甘い香りを漂わせている。
香月が後宮に来てから一か月が経とうとしていた。
五日経っても雲嵐の死を受け入れられない香月はぼんやりとした顔つきで木犀の木を眺める。
……約束をしたのに。
二度と守られることがないのだとわかっていた。
雲嵐が後宮に来た時点で約束は破棄されたのも同然だった。
しかし、それでも約束に縋っていたかった。
……雲嵐。
木犀の木の下で眠りたい。
そうすれば、幼い頃のようになにも考えずに雲嵐と遊んでいられた日々が帰ってくるような気がしてしかたがなかった。
香月は木犀の木の下に座り込む。
そして、そのまま、寝転がった。侍女たちに見つけられてしまえば怒られるだろう。それまでの短い間、木犀の香りに包まれていたかった。
……ごめん。私が弱いせいで。
そっと目を閉じる。
涙が頬を伝る。
「香月」
「……陛下」
「起きなくてもいい。俺も隣に座ろう」
いつの間にか、玄武宮を訪ねていた俊熙の声に反応を示したものの、俊熙の言葉に甘えて横になったまま、頷いた。
「香月。君は泣き始めると長いのだな」
俊熙は香月の髪を触る。
責めるわけではない。
ただ、そこまで香月に思ってもらえている雲嵐が羨ましかった。
「王雲嵐とは幼い頃からの友人だそうだな」
俊熙は侍女たちから話を聞いていた。
香月を慰められるのは夫である俊熙しかいないと判断したのだろう。
「……弟のような存在でした」
香月は涙を拭い、答えた。
……思い返してみれば、初恋だったのだろう。
それを告げる気にはなれなかった。
自覚すらしていなかった恋は叶わないまま、呆気なく散ってしまった。雲嵐がなにを思っていたのか、最後に何を考えていたのかも知る術はない。
「傍にいるのが当たり前の存在で。ずっと、一緒に居るものだと思っていました」
香月は涙を流す。
涙は止まらない。
「私が弱かったせいです」
「香月は弱くはない。彼は香月を守るのが使命だっただけだ」
「でも、雲嵐を守れなかったのには変わりはありません」
香月の言葉に俊熙は言い返さなかった。
……陛下は優しい人だ。
宦官が亡くなったとして涙を流す人ではない。
それでも、香月が泣いていれば慰める為に毎日玄武宮に通っていた。
「陛下」
香月は涙を拭う。
「陛下は私が守ってみせます」
香月の言葉に対し、俊熙は悲しそうに笑ってみせた。
皇帝が害される立場にあってはならない。しかし、俊熙の周りは敵ばかりだった。
「わかった」
俊熙は返事をした。
「俺は香月に守られていよう。それから、香月よりも先に死なないと約束する」
「いいのですか?」
「もちろんだ」
俊熙は香月の髪に触れながら返事をした。
木犀の木の下で約束が交わされる。今度こそは約束が破られることがないことを香月は心の中で祈った。




