05-1.徳妃の本性
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朱万姫は十一歳の春、後宮入りをした。
本来ならば俊熙が即位をした十歳の時に後宮入りをしなければならなかったのだが、朱家の一存により、一年先延ばしになったのだ。
最年少の妃として後宮入りをした万姫はわがままだった。
お気に入りの侍女だけを優遇し、下女と宦官は冷遇した。機嫌を損ねれば、下女は杖刑にし、宦官は解雇する。罰に処された者がどのような思いを抱えているかなど、万姫には興味もなかった。
後宮入りをして僅か二年の間、万姫の周りはお気に入りの侍女を除いて変わっている。人手が足りなくなったと文を書けば、万姫の所業を疑うことなく、朱家から新たな下女や宦官が送り込まれてくるのだ。
「徳妃様!」
侍女が手紙をもって、万姫の元に駆け寄る。
それに対し、お菓子を摘まんでいた万姫は興味をなさそうな顔をしていた。
「なあに。お父様からの文かしら?」
万姫は最近送ったばかりの文の返事かと、手を伸ばす。
それに対し、侍女は首を左右に振った。
「陛下からの文にございます!」
侍女の言葉に万姫は立ち上がる。
「陛下から!? すぐに渡しなさい!」
万姫は手紙を奪うように侍女の手から取り上げる。
その内容を見て、万姫は首を傾げた。
手紙に書かれていたのは、宦官について聞きたいことがあるので朱雀宮に賢妃を伴い訪問するということだった。短く用件だけの内容を理解できなかったわけではない。
「なによ、これ」
心当たりがなかったのだ。
宦官のことなど万姫は興味がなかった。
「よくわからないけど、おもてなしの準備をしておいてちょうだい」
万姫は手紙を宝物がしまってある箱の中にしまう。
内容はよくわからなかったものの、俊熙からの手紙には変わりはない。
「蘭玲」
万姫は手紙を運んできた侍女、朱蘭玲を呼ぶ。
蘭玲は朱一族の分家の出身だ。万姫が朱家にいた頃からのお気に入りであり、輿入れの話を断らせて後宮に連れて来た。
「はい。徳妃様」
蘭冷は素早く万姫の傍に近寄る。
朱雀宮において、名前を呼ばれるのは特別なことだ。万姫は他人に対して興味が薄く、興味がわかなければ他人の名前を覚えない。四夫人はなにかと顔を合わせることがあり、興味の対象の為、覚えているが、自分より下の中級妃たちことなど、ほとんど覚えていない。
亡くなった二人の妃の席には既に他の人が選ばれている。
そのことさえも万姫は知らなかった。
「香月お姉さまはどうして陛下のお気に入りなのだと思う?」
万姫の問いかけに答えなければ、お気に入りの侍女でも罰が下される。
それを知っているからこそ、蘭玲は深々と頭を下げた。
「五年前の四大世家の会合にて、先帝が陛下をお連れになったとお聞きしております」
蘭玲は使用人としてその場にいた。
四大世家の会合は半年に一度行われている。定期報告と互いの生存を確認する為だけの会合であり、次期当主候補として香月も参列していた。
「その際、次期当主候補による舞の披露がありました。その舞をご覧になられていたはずです」
蘭玲の言葉を聞き、万姫は納得したようだ。
「香月お姉さまは、その時、何歳だったの?」
「十一歳でございます」
「あたしが後宮入りをした年齢じゃないの」
万姫は笑う。
機嫌が良くなったようで菓子を一つ掴み、蘭玲に渡した。
「ご褒美よ。食べなさい」
「ありがとうございます」
蘭玲はその場で食べてみせる。
毒は入っていない。万姫は機嫌がいいと侍女にだけは菓子を分け与えることがあった。今回もその一環だろう。
「香月お姉さまは幼かったから好かれたんだわ」
万姫の結論はずれていた。
その当時の俊熙の年齢を考えるのを忘れている。
「香月お姉さまの次に寵愛を受けるのは、あたしよ。そうでしょ? 蘭玲」
万姫は自信があった。
武術も疎く、気功もまともに修練を続けていない。徳妃とは名前だけの幼い妃は寵愛を受けるべきだと考えていた。
「もちろんでございます。寵愛を受けるのにふさわしいのは徳妃様だけでございます」
蘭玲は迷うことなく答えた。
本心ではそのようなことを思ったこともない。しかし、口にするのは万姫を讃える言葉だけだ。それが万姫の機嫌を損ねない方法だと蘭玲は知っていた。
「そうよね」
万姫は蘭玲の言葉を疑わない。
その言葉が正しいのだと信じていた。
「あたしは貴妃や淑妃よりも優れているわ」
万姫は気功をまともに扱えない。
四夫人の役目を知っている。
守護結界の維持を担う役目だと知っている。
しかし、守護結界を維持するために奉納をする舞を披露する順番は来年に控えていたものの、このままでは失敗をすると自覚していた。
修練をするのはめんどうであり、なにかと甘やかしてくれるだけの侍女の言葉の言う通りに修練をしなかった。
それなのにもかかわらず、雪梅や美雨よりも優れていると自負していた。
「賢妃だって、香月お姉さまが来なければ敵じゃなかったのよ」
「その通りでございます」
「翠蘭は嫌がらせがしやすかったわ」
万姫は翠蘭に嫌がらせをしていた。
翠蘭が通る道を調べさせ、徳妃に従っていた中級妃に嫌がらせをさせた。直接手を出す時もあったものの、大半は中級妃を利用していた。
「あの子が死ななければよかったのに」
万姫は翠蘭の死を嘆いた。
嫌がらせをしていたのは事実だ。疎んでいたのも事実だ。しかし、翠蘭が生きてさえいてくれたのならば、香月が後宮に来ることはなかった。
誰も俊熙の寵愛を受けないままですんだ。
「黄藍洙も嫌がらせを怖がってくれたから、好きだったのに」
万姫はお気に入りの玩具として藍洙に嫌がらせをしていた。
藍洙が翠蘭を疎んでいることに気づき、翠蘭をいじめるように仕向けたのも、万姫だった。
「あの子たちが死んでしまうなんて。かなしいわ」
万姫はお気に入りの玩具が壊れたかのように呟いた。
死を悼んでいるわけではない。玩具が壊れてしまい、退屈な日常に戻ってしまったことを悔やんでいるだけである。




