04-1. 呪いの痕跡と不自然な宦官
「賢妃様が責任を持つことではありません」
嘉瑞は槍を両手で持ちながら答えた。
淡々とした話し方は昔からだ。宦官になっても変わりはない。
「翠蘭妃に責任があります」
「姉上は故人だ。その後を継いだ私に責任がある」
「いいえ。故人の責任を生きている者がとる必要はありません」
嘉瑞は槍を梓晴に渡す。
梓晴はなにも言わずに受け取り、そのまま、武器庫に向かっていく。
「賢妃様は真面目すぎるのです」
嘉瑞は諦めたかのように屋根を見上げた。
屋根の上では訓練に励む雲嵐とその相手をしている明明の姿があった。
「……真面目なのは雲嵐もですね」
「珍しい。お前が雲嵐の名を口にするとは」
「視界に入ったものですから」
嘉瑞は屋根の上の二人を見つめる。
侵入者に対応できるように訓練をしたところで、雲嵐が明明に勝てるはずもなかった。
「雲嵐は影武者です。いざという時には賢妃様の代わりにならなければなりません」
嘉瑞の言葉を聞き、香月は眉間にしわを寄せた。
「そのような話は聞いていない」
香月は否定をしなかった。
ただ話を知らなかっただけである。
「雲嵐と私の見た目が近いのは背丈だけだろう」
香月は雲嵐のことを思う。
雲嵐は男性ながら小柄であり、その体格は香月とよく似ている。宦官になった以降、髪を伸ばし始めているのは雲嵐が香月の影武者を任された為である。
雲嵐は影武者になる為だけに玄武宮に来た。
……なぜ、危険な真似をするのだ。
故郷にいてほしかった。
約束を果たしてほしかった。
それすらも叶わないとわかっていながらも、雲嵐には危険な後宮に来る以外の道は用意されていなかったのだろう。
……父上。なにを考えているんだ。
父の考えがわからなかった。
「雲嵐が適任であると判断したのはご当主様です」
「父上が?」
「はい。その判断に逆らう者はおりません」
嘉瑞の言葉を聞き、香月も納得をしなければいけなかった。
玄家の当主の言葉に対して逆らえるのは、母しかいない。しかし、母は雲嵐を疎んでいた。その状況の中、雲嵐は命令に従うしかなかったはずだ。
すぐにその光景が想像できた。
「……嘉瑞」
香月は悩んでいた。
……信用できるのか。
それを言葉にしていいものか、今も悩んでいる。
……父上が翠蘭姉上の死に関わっているのではないか。
その問いの答えを知る者はここにはいない。
それをわかっていても、一人で抱えるのには重すぎた。
「お前は誰の為に玄武宮に来た」
香月は問いかける。
「すべては賢妃様の為にございます」
嘉瑞は迷うことなく答える。
……信用できるか?
まっすぐな目には迷いはなかった。
嘉瑞の性格はよく知っている。嘘を吐くのがなによりも苦手であり、隠し事が下手な青年だった。香月にだけは懐いており、次期当主の補佐になるのだと意気込んでいた。
それを知っているからこそ、宦官になった時には驚かなかった。
香月の側近になる為ならば、手段を選ばない男だった。
「その言葉を信じよう」
香月は覚悟を決めた。
「父上の動向を探ってほしい」
「ご当主様のですか? かしこまりました。仲間に探りを入れさせましょう」
「頼む。できるだけ早くに情報が欲しい」
香月は一連の事件の裏には父である玄浩然が関わっていると睨んだ。
しかし、それを口に出すことはできなかった。
……疑念で済めばいい。
怪しい行動をしていただけであればいいと心から願う。
……陛下を守ろうとしていたのであれば、それでいい。
心の底から疑えるわけがなかった。
* * *
「――怨霊はだめでしたか」
女性はため息を零した。
期待外れだと言わんばかりの言葉に対し、誰も異論を唱えない。
「やはり黄藍洙では使い物になりませんね」
女性は呪術の心得があった。藍洙を利用し、怨霊になるまで追い込んだのは彼女の仕業だった。
「はぁ。考え直さなければ」
女性はもう一度ため息を零した。
それは宦官にとって恐怖でしかなかった。
「申し訳ございません」
女性に仕えている宦官は深く頭を下げた。長く伸ばされた髪を侍女に解かせながら、女性はなにかを考えていた。
その間、宦官は情けなく震えていた。
「お前」
女性は指をさす。
「はい」
宦官は返事をした。
声が震えていた。
女性は宦官嫌いで有名だった。それなのにもかかわらず、宦官を何人も仕えさせているのは怨霊から身を守る為の手段の一つだった。
「いらないわ」
女性はそう告げた。
「そんな! どうか、もう一度だけ機会を与えてください! 今度こそ、成功させてみせます!」
宦官は必死に許しを乞う。
女性に見捨てられた宦官がどのような最期を迎えるのか、彼は知っていた。
宦官嫌いの女性は宦官が息を引き取るまで杖刑に処す。それを行うように指示されるのは仲間の宦官だ。
彼は死にたくはなかった。
その言葉がどのような意味を持つのか、わかっていた。それでも、生き延びたかった。
彼の必死な姿を見た女性は醜いものを見るような目をしていた。
「最後の機会をあげましょう」
女性は笑った。
それに対し、宦官は安心していた。




