03-4.四夫人の茶会
「私は助けなかったわ」
美雨は香月から目を逸らした。
「それを後悔する日がくるとは思わなかったもの」
美雨は後悔していた。
それは翠蘭の死を聞いた時だった。死の真相は明かされず、闇に葬られることになった。公には病死とされていたものの、空を眺めればなにが起きたのかわかってしまった。
美雨は空を眺めるのを止めた。
翠蘭の死により亀裂が入った空を元に戻そうと足搔けなかった。
実力不足は美雨が誰よりも知っている。宝貝に選ばれなかったのは美雨に仙女になる資格も実力もないからだった。だからこそ、亀裂を塞ぐほどの気功を捧げながら舞を奉納すれば、生命が削られるとわかってしまった。
「貴妃は優しい子ですからね」
雪梅は笑った。
「わたくしは助けようとは思いませんでしたわ」
雪梅は後宮がどのような場所か、理解をしている。
女同士の争いの場所だ。侍女や下女から見下されている妃が後宮入りをしたところで先がないのは目に見えていたのだろう。
「翠蘭妃は賢妃にふさわしくありませんでしたもの」
「……姉上の事情は知っていたでしょう」
「ええ。もちろん。その上でふさわしくないと言いましたのよ」
雪梅は断言した。
……淑妃が一番手ごわいな。
雪梅は後宮に入ることを前提に育てられてきた。奉納をする時に力を発揮する宝貝を手に入れ、淑妃という立場を与えられたのは白家の中では実力によるものであり、誇らしいものであった。
……味方にしたいものだが。
おそらく、無理だろう。
敵対はしなくても味方にはならない。
「賢妃としてふさわしいのは香月だとわたくしは思っておりましたもの」
「私は、玄家の次期当主として育てられました。後宮の作法には不慣れです」
「知っているわ。でも、それはささいなことでしょう?」
雪梅は笑う。
……ささいなことか。
後宮独自の作法にまだ香月は慣れていない。
「賢妃は皇帝陛下の寵愛を受けているでしょう」
雪梅は当然のことのように言い切った。
「陛下の初恋の方ですもの。ささいな後宮のやりかたなど、すぐに覚えるわ」
雪梅の言葉には棘があった。
「教えてさしあげてもよろしくてよ。翠蘭妃とは違って、あなたは簡単には死にはしないでしょうから」
雪梅の言葉を聞き、香月は眉間にしわを寄せた。
……まるで嫌がらせに加担をしていたような言い方だ。
翠蘭は後宮の中で嫌われ者だった。
玄武宮の侍女や下女から見下されている妃を慕う者などいるはずもなく、美雨のように嫌がらせを受けても立ち上がる姿をたくましいものだと好意的に抱く者はかなり少なかった。
多くの女性は翠蘭に対して嫌がらせを行っていいものだと判断していた。
賢妃として扱いつつ、失敗すれば、見下してバカにする。
後宮ではよくある光景だ。翠蘭に限ったことではない。互いに足を引っ張り合い、蹴落とすのが後宮の在り方の一つだった。
「……ご教授願います」
香月は不快を顔に出さなかった。
それに勘付いた雪梅は笑顔を絶やさなかった。
「冗談ですわ。賢妃に教えてさしあげることはありませんもの」
雪梅は発言を撤回した。
それを万姫はおもしろくなさそうに眺めていた。
「徳妃。退屈そうですわね」
「別にそんなことはありませんよぉ。ただ、雪梅お姉さまと香月お姉さま、どちらがお強いのか、見て見たかっただけですぅ」
「あら嫌だわ。徳妃、見なくてもわかるものはありますのよ」
雪梅は万姫の言葉を聞き、声を出して笑った。
それに対して万姫は不愉快だと言わんばかりの顔をしている。
「わたくしが敵うはずがないでしょう」
雪梅は断言した。
「玄家の次期当主候補でしたのよ。武芸の優れた道士と争ったところで、わたくしが負けるのが目に見えていますもの。そのようなことも、徳妃にはわかりませんのね」
雪梅は香月の実力を目にしたことはない。
しかし、後宮を恐怖に陥れた怨霊を撃退したことを含め、武術に優れた香月には敵わないと判断したようだ。
「わたくし、心配しておりましたのよ」
雪梅は万姫の返事を待たず、同情するかのように話を進める。
「徳妃まで空席となってしまえば、亀裂はさらに進みますもの。幼い子どもを差し出すような朱家に万姫と同じ年頃の子がいるとは、思えませんしね」
雪梅の言葉には棘がある。
それは万姫を心配しているものではなく、後宮の秩序が乱れたことにより、守護結界の亀裂が広がることだけを心配した言葉だった。
「あたしだってわかってるわよ!」
万姫は声をあげた。
それから気分が悪いと言わんばかりに立ち上がる。
「香月お姉さまは強い人だもの。あの恐ろしい化け物を追い払ってくれたのに、どうして、誰もお礼を言わないの!?」
「徳妃の恐れている化け物の恨みを買っておりませんもの。だって、わたくし、なにもしておりませんわ」
「雪梅お姉さまは見て見ぬふりをしていただけじゃない!」
万姫は机を何度も叩く。
子どもの癇癪と同じだ。
……徳妃は黄藍洙の恨みを買っていたのか。
襲われるのは自分だと思っていたのだろう。道士として気功は扱えるものの、怨霊を祓うほどの実力があるわけではない。
「あたしは教えてあげたのよ!」
万姫は顔を赤くしながら声をあげる。
興奮しているのだろう。
「皇帝の妻としてふさわしいのは誰なのか。あの人はなにもわかっていなかったもの! だから、あたしは教えてあげたの! それだけのことじゃない!」
「嫌がらせと教育は違いますわよ」
「嫌がらせなんてしていないわ! 目の前で蟲毒の作り方を教えてあげただけじゃない!」
万姫の言葉を聞き、誰もが口を閉ざした。
……徳妃が関わっていたのか?
香月には状況がわからない。
翠蘭のいた頃、万姫は今よりも幼い子どもだった。それゆえに、やってはいけないことの区別が曖昧になっていた。
「それも確実に失敗をするやり方を教えてあげたのよ! 翠蘭に危害を加えるつもりも、あの女の恨みを買うつもりもなかったわ!」
万姫の言葉が真実ならば、それは嫌がらせでしかなかった。




