01-1.玄家からの贈り物
黄藍洙の死の噂は瞬く間に後宮に広がった。醜く、変わり果てた遺体は賢妃を妬み呪い殺そうとした代償だったと、出どころのわからない噂は玄武宮にまで聞こえてくるほどだった。
それはわざとらしい噂だった。
何者かが賢妃を同情するように促している。
香月にはそう思えてしかたがなかった。
……私と交友を持つのは四夫人だけだろう。
香月には他に心当たりがない。
貴妃、淑妃、徳妃に選ばれた三人とは彼女たちが後宮入りを果たす前に会ったことがあった。当時は玄家の次期当主という立場での交流ではあったものの、彼女たちが守護結界の亀裂を生みだすようなことはしない人物であるということは知っていた。
だからこそ、呪術を扱わないと知っている。
しかし、それ以外の人物から好意を持たれる心当たりはない。
……父上の耳にも入ったか。
香月は文を睨みつけるようにしながら読みつつ、眉をひそめた。
……侍女ではなく宦官か。
噂を利用することにしたらしい。
玄武宮の護衛を兼ねた宦官を用意したと書かれており、後宮での対応にかなり不満があったようだ。香月がわざわざ出向かねばいけない事態を引き起こされたと言わんばかりの内容は、母から送られてきた文にも書かれていた。
……誰が来るのだろう。
玄家に宦官はいない。
しかし、今回の為に玄家が宦官を用意したと書いてあった。
「賢妃様」
雲婷は香月に声をかける。
常に凛とした声をしているのだが、今日は泣きそうな声をしていた。なにかあったのだろう。雲婷の手には文が握りしめられていた。
「雲婷。どうした?」
香月は嫌な予感がした。
雲婷は動揺していた。身内が殺されても凛とした態度を崩さなかった雲婷の泣きそうな顔を、香月は初めて見た。
香月の後宮入りが決まったときも雲婷は笑顔だった。後宮の侍女となれば、外に出る機会は減り、家族にすら会えない。それでも雲婷は文句の一つも口にせず、香月だけが仕えるべき主人だと信じて着いてきたのだ。
……雲婷が動揺するようなことが起きたのだろうか。
握りしめられた文には雲婷の心を乱す言葉が綴られていたのだろう。
「雲嵐が賢妃様にお仕えすることをお許しください」
雲婷は両膝をつき、懇願する。
その手に握りしめられていた文を震える手で香月に差し出した。
「……宦官に志願をしたのか」
香月は差し出された文を読み、呆れたようにため息をこぼした。
……愚かな。
宦官は刑罰を受けた男性がなるものだ。自主的に宦官になったとしても、刑罰を受けたのだと誤解され、見下される立場になる。雲嵐はそれを理解していながら、自らの意思で志願したのだろう。
雲嵐もわかっていたはずだ。
玄家に留まり続ければ、道術は使えないとは言え、武術の達人の域に到達できただろう。そうすれば、当主の側近にはなれずとも、紅花の護衛にはなれたかもしれない。
その可能性を投げ捨て、雲嵐は宦官になる道を選んだ。
……氷叡山にいてくれたら、よかったものを。
玄家の一族と門弟が暮らしている李帝国でもっとも過酷な雪山として知られている氷叡山は、香月にとっては懐かしい故郷だ。
李帝国に属するものの、あまりにも過酷な土地に玄家の一族と門弟以外は近づかない。閉ざされた環境は香月にとって心地の良いものだった。
「志願したのならばしかたがない」
香月に止めることはできなかった。
玄家にいた頃ならば、立場を投げ捨ててでも阻止しようとしただろう。
宦官は好ましい存在ではない。
しかし、皇帝以外で男性が後宮に足を踏み入れることが許されている唯一の方法でもある。その為、妃の中には侍女だけではなく、宦官を護衛として雇っている者も少なくはない。
黄藍洙の死により、宦官を雇う者が増えるだろう。
女の花園に放り込まれた宦官は理性を失う者もいる。
しかし、万が一のことが起きれば処罰されて命を奪われるのは、皇帝を裏切った妃ではなく、皇帝の所有物に手を出した宦官だけである。
当然のことながら、皇帝を裏切った妃は冷宮送りになるか、褒美として官吏に下賜される。
それを利用し、悪意をもって宦官を利用する女性もいる。
そのような場所に雲嵐は足を踏み入れることになる。
「二人送られてくる宦官の一人は、雲嵐か……」
「ご迷惑をおかけいたします。賢妃様。愚息には賢妃様には近づかぬように言い聞かせます」
「それはしなくていい」
香月と雲嵐が親しくしていたのは、雲婷も知っている。
だからこそ、香月は否定をしたのだが、雲婷はすべてを理解しているからこそ首を左右に振った。
「賢妃様は皇帝陛下の妃であります。その尊い方に恋慕を抱くのは罪でございます」
雲婷は罪を告白するように言った。
後宮は皇帝の所有物だと雲嵐も理解をしているはずだ。
「母として愚息の罪をお詫び申し上げます。必ずや、賢妃様に近寄らせはいたしません。必ずや、賢妃様を守ってみせましょう。どうか、お許しくださいませ」
雲婷の言葉を香月は否定するわけにはいかなかった。
厳しい母親の目が離れた途端に、雲嵐は己の意志を貫いた。それは香月を毒の華のような後宮から守り、傍にいたいという抱いてはいけない欲を満たす為だ。
雲婷はそんな雲嵐が許せなかった。
「……わかった」
香月は視線を雲婷から反らし、受け取った文を雲婷に返した。
「明明と行動を共にさせ、報告はすべて明明にさせる。そうすれば、私と顔を合わせる機会は減るだろう」
「寛大な御心に感謝をいたします」
「……それ以降は随時対処する。私の傍に控えさせるもう一人の宦官には、心当たりはないか?」
香月の問いかけに対し、雲婷は首を左右に振った。
「はい。ございません」
「……そうか」
香月は嫌な予感を拭えなかった。
……父上の考えそうなことだ。
香月の為ならば、どのようなことをする相手を用意するだろう。今回、後宮の争いに巻き込まれたと激怒をしていたらしいと雲婷を通じて香月の耳に入っている。
……梓睿。
十六歳の義弟のことが頭をよぎる。




