06-3.黄藍洙の死
昭媛宮は荒れ果てていた。
……瘴気がひどい。
呼吸することさえも億劫になる。
地面をひっくり返す勢いで捜査をしたのだろうか。あちらこちらに土の山が作られていた。
「陛下。口元をお隠しください」
「なぜ?」
「瘴気で満ちた場所は悪い影響を与えやすいのです。深く息を吸ってはなりません」
香月の言葉を聞き、俊熙は眉をひそめた。
……なにも感じないのだろうか。
見鬼の才がない者でさえ、次々に体調不良を訴えている。粗雑に並べられた侍女たちと距離をおきたいと視線で訴えてくる宦官たちが、なにに対して怯えているのかさえも、俊熙は理解できなかった。
……麒麟の加護か。
噂として聞いたことがあった。
俊熙は見鬼の才を得なかったものの、歴代皇帝の中で、もっとも麒麟の加護を与えられており、麒麟の加護は瘴気を寄せ付けない。
それは真実なのだろう。
「陛下はまことに選ばれしお方ですね」
「なんの話だ?」
「呪いを跳ね除けたという噂は玄家でも有名な話でございます。それを目の当たりにして驚いているのです」
香月は語る。
……加護が強すぎるのも考えものか。
俊熙は麒麟の加護を強く持って生まれた。それだけで皇帝の座に座る価値があった。だからこそ、生まれてすぐに母子共に冷宮に追いやられたのだろう。
「あれか。神話のように広めるべきと口うるさく言われてな」
「その方の提案はご明察かと思います。どなたですか?」
「羅宰相だ。父の代から宰相を任せている頼りになる男だ」
俊熙は政治の話を好まない。
官吏に丸投げをすることもある。
しかし、香月の質問に答えるのは気分が良かった。
「陛下、我々では手の施しようがございません」
宦官の一人が声を上げる。
「初めに倒れた女のそばに、こ、これが、ございました」
続いて別の宦官が布に包まれた古びた木で作られた人形の山を差し出した。恐怖で手が震えている。
「陛下。確認してもよろしいでしょうか?」
「かまわない。好きにしろ」
「ありがとうございます。陛下。……こちらは私が持ちましょう。さあ、手を離して。事情を教えてください」
香月は迷うことなく、人形の山が包まれている布を受け取った。
数歩下がり、宦官と適切な距離をとる。妙な言いがかりが噂になるのが後宮だ。
……人形は八枚。すべて違う名前だ。
人形を一枚ずつ確認をする。
それらを地面に並べていく。
……黄昭媛の名もある。
やはり、というべきだろうか。
ところどころ、焦げ目のついた人形や意図的に織られている箇所が目立つ人形たちの中には、黄藍洙の名もあった。八枚の人形の中でもっとも汚れがひどく、破損も激しい。それは藍洙の死に際が酷いものであったことを示していた。
「ここに書かれている者は、黄昭媛と昭媛宮の侍女で間違いはありませんか?」
「はい、間違いありません。名簿と一致しております」
「……そうですか」
香月は眉を潜めた。
……口封じにしてはやり方が酷い。
昭媛宮の者を誰一人生かすつもりはなかったのだろう。人形を地面に埋めた侍女はそれをわかっていたのか、指示されただけなのか、それさえも問いかけることができないように最初から仕組まれていた。
……呪力を辿ることもできない。
犯人の形跡を辿ろうとするものの、弾かれてしまった。
地面に置かれた人形は一瞬で木くずと化した。
「遺体の損傷の確認をしてください」
香月は素早く指示を出す。
……人形が呪術として成功しているのならば、遺体は灰になったはず。
香月の言葉の意図を察したのだろうか。
検視を任されている宦官たちは慌てて布に覆われた遺体を確認し、絶句した。そこには見るも無残な遺体があったはずなのだが、人の形を模しただけの灰が残っている。灰は風に舞うこともなく、その場に留まっていた。
……成功している。
その場にいた全員が息を飲んだ。
人として尊厳を残すことさえも許さないといわんばかりに灰になったのは、収監されている藍洙も同様だろう。死者は土葬するのが李帝国の文化だ。死者は土に帰るものであり、火刑に処されるのは生き返りを防がなければならない大罪人だけである。
死してすぐに身体を灰にされたのは、尊厳を踏み弄っている証拠だ。
彼女たちは何者かに利用されていたのだろう。
そして、その証拠と共に亡き者にされたのだ。
「陛下」
香月は混乱している宦官たちを見ながら、俊熙に声をかける。
「後宮内に呪術に長けた者がいるのは確実でしょう」
「……信じられないが。信じないわけにはいかなくなったな」
俊熙は現実から目を逸らさない。
灰と化した遺体を目にしたのだ。呪術の存在を否定することができなかった。
「犯人を早急に探し出せ。その者たちは我が寵妃である玄香月を狙ったのだ。厳罰に処さなければならない」
俊熙の言葉を聞き、宦官たちは一斉に膝をついて肯定の言葉を口にする。
……視線は感じない。
香月は周囲の気配を探る。
犯人は事の顛末に興味がないのだろうか。それとも、口封じさえできれば問題がなかったのか。どちらにしても、この状況を把握しようとしていなかった。
邪な気配を感じない。
それが不気味でしかたがなかった。
「陛下。黄昭媛も灰になったものと思われます」
香月は断言をした。
人形の損傷を考えれば藍洙の遺体は灰になっているだろう。遺体の検視が進んでいたのならば、犯人を追う術が残されているかもしれない。
限りなく低い可能性に賭けるしかなかった。
「黄昭媛が呪術を使用した痕跡を調べる為、そちらにも出向きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「かまわない。早急に移動しよう」
「はい。陛下。陛下のご判断に感謝を申し上げます」
香月は頭を下げて敬礼しようとした。
しかし、俊熙はそれを拒む。寵愛している相手に跪かれて喜べるような性格ではなかった。




