06-1.黄藍洙の死
後宮が皇帝の血を残すための場所だと俊熙は理解をしていないようだった。
幼くして帝位に就いた俊熙は宰相たちの言いなりだ。見鬼の才がないことも見抜かれているだろう。そうでなければ、守護結界の修復の儀を執り行うように進言するはずだ。
……敵は後宮の外にいる。
香月は政に詳しくはない。
しかし、玄家を率いる者の一人として知識だけは学んできた。
……陛下を守らなければならない。
それが香月が後宮入りをした理由だ。
誰よりも優先するべきは陛下であり、その為ならばなにを差し出してもかまわないという覚悟を持つべきであった。
「陛下。お気をつけください」
香月は隠し事を止めた。
俊熙には信用できる人間が必要だ。
俊熙が香月を愛しているという言葉が真実ならば、香月は俊熙の信用に応えられる人間でなければならない。
「狙いは後宮の秩序を崩壊し、李帝国の守護結界を崩壊させることの可能性があります」
「守護結界とやらが崩壊するとどうなる?」
「戦乱の世となりましょう。陛下の世を疑う反逆者が溢れかえることになるでしょう」
香月の言葉を聞き、俊熙は眉をひそめた。
……やはり、理解されないか。
守護結界は李帝国を守っている。それは大陸中に息を潜める妖怪たちや俊熙に不満を抱く道士や呪術師が、好き勝手に振る舞えないようにする監視の意味もある。
俊熙はその重要性を理解していない。
「陛下、守護結界の状態をご存知でしょうか」
「正常に機能しているのだろう?」
「いいえ。亀裂が入り、崩壊の道を進んでおります」
香月の言葉に対し、俊熙は驚いていた。
……顔に出やすい人だ。
皇帝としてあるべき姿はどのようなものなのか。
なにも知らず、先帝の血を引いているというだけの理由で皇帝の座についたのだろう。
「……翠蘭の死が引き金か」
俊熙の言葉に対し、香月は小さく頷いた。
……どこまで利用されていたのだろう。
父は知っていたのだろう。
後宮で咲き誇る毒の花園の中に香月を入れることをせず、なにも抵抗する術を持たない翠蘭を後宮入りさせたことに対し、疑問を抱く。
……父上も関係しているかもしれない。
それを確かめる術はない。
「四夫人の席が空けば結界を維持する力が弱まります。それを修復せずに放置し続ければ亀裂が生まれ、今の状況に繋がったのでしょう」
「それを誰も指摘をしなかったのは、李王朝の崩壊を望む者の仕業か?」
「わかりません。しかし、可能性は低くはないでしょう」
香月は素直に答える。
それは俊熙にとって心地の良いことだった。当たり障りのないことばかりを口にする側近たちよりも、香月の方が信用できた。
「俺も狙われていたと?」
「最終目標であった可能性は否定できません」
「そうか。……それはそうだろうな。お飾りにも限度というものがある」
俊熙は帝位に就くべき人ではなかった。
しかし、四年前、皇族に不幸が続いた。皇帝が病に倒れると、続いて、当時の太子だった第一太子を筆頭として大勢の太子と公主が亡くなった。
それだけのことだ。
しかし、俊熙が操り人形のようになるのは、俊熙の性格によるものだ。優しすぎる気質の俊熙には独裁ができなかった。
「兄上や姉上たちも、先帝も、呪われて死んだのだろうか」
「わかりません。しかし、可能性は低くはないかと思います。短期間で流行する病ならば、王都は壊滅的な被害が出るはずですので」
「正論だな」
俊熙は香月の髪に手を伸ばした。
手入れの行き届いた髪は絹のように繊細だ。
「はっ、俺は認識すらされなかったか」
俊熙は自嘲した。
冷宮に追いやられた蜂貴人とその息子として生まれた第六太子の俊熙は、死の病にかからなかった。
俊熙は死の病を跳ね除けた奇跡の子として、蜂貴人の子ではなく、皇后の子として縁組を結ばされた。
その際、蜂貴人は下人に下げ渡され、それ以降の行方はわかっていない。
「平穏を嫌う者か。それとも、先帝に恨みを持つ者か」
俊熙は父親である十五代皇帝の人柄を知っている。
他人を見下しており、身内以外は信じない人だった。俊熙の実母は十五代皇帝の逆鱗に触れ、第六太子がいたのにもかかわらず、冷宮送りとした。
冷宮から出ない日々から解放されたのは、なにもかも変わってしまった日のことだった。
その経験があるからこそ、先帝を恨む人が大勢いるのには理解ができた。
「どちらにしても厄介には変わりはないか」
「はい。陛下。呪いはこれで終わりではないかと思われます」
「他にも関わっている者が後宮にいると?」
俊熙は信じられないと言いたげな顔をしていた。
……どこまでも純粋に育てたのだろう。
犯人が捕まればすべてが解決すると思っている。
なにもかも疑っていない。
その考えを持ちながら皇帝の座に座るのは、あまりに危険だ。
……父上には報告せずにおこう。
俊熙の言動をすべて報告するように文が来ていたが、それに従うわけにはいかなかった。しかし、香月が報告をしなくても、香月の侍女の誰かが報告をあげることだろう。
「はい。陛下の敵は後宮だけではないかと思われます」
この会話を知っているのは、乳母であり侍女頭の雲婷だけだ。
香月は雲婷を信じるしかなかった。
「恐ろしい話だな。だが、翠蘭の死を調べ直す口実にはなるだろう」
俊熙は翠蘭の不可解な死が引っかかっていた。
自ら命を絶つ女性ではないことは俊熙も知っていたからだ。
「恐れながら、陛下。黄昭媛と対話は許されますか?」
「それは無理だ。香月の願いとはいえ、大罪人には会わせられん」
「さようでございますか」
香月は機会を失った。
このままでは真犯人は闇の中に逃げてしまう。
「なにか気になるのか?」
俊熙の問いに対し、香月は素直に頷いた。
「はい、陛下。黄昭媛を利用した相手の手かがりを掴めればと――」
香月の言葉を遮るように、昭媛宮の調査に出向いた宦官と黄藍洙たちを牢屋に連行した宦官長が走り込んできた。




