05-5.お茶会
「……愛とは醜いものだな」
俊熙は玄武宮から連れ出された藍洙と昭媛宮の侍女たちを冷めた目で見ながら、静かに呟いた。
「愛は感情そのものでございますから。様々な面が見えるのでしょう」
香月は淡々と答える。
そこに感情は籠っていなかった。
……黄昭媛の性格の変わり方は病だ。
恋の病と呼べば聞こえはいいだろう。しかし、恋に溺れて正気を手放してしまった者は心の隙を生み出す。それを利用されてしまったのだろう。
香月は藍洙の本来の性質を知らない。
だからこそ、感情の起伏が激しい状態を見ても驚きはしなかった。
「座るといい。あのようなものを見て疲れただろう」
俊熙は茶会用に準備された椅子に座る。
それに対し、香月は軽く頷いてから席に着いた。
「黄藍洙はあのような人柄ではなかった」
俊熙は語る。
藍洙の必死の声には答えなかったが、藍洙の存在を忘れていたわけではない。
雲婷が新たに用意をした茶器に手を伸ばし、疑うことなく、茶を口にした。毒見役を連れて来ないのは香月を信用しているからなのか、それとも、香月ならば殺されてもいいと思っているからなのか、わからない。
「あれは酷い嫌がらせを受けていてな。……少しは後宮で生きやすくなるかと思い、空いていた妃の席に座らせてやったんだ」
「その話は本人にはされましたか?」
「当然だ。権力に欲をかかず、己の平穏だけを願えと伝えた」
俊熙の言葉を聞き、香月は頭を痛めた。
……伝わるわけがない。
言葉が足りなかった。
そして、藍洙の願う平穏とは恋が実ることであった。危機から救い出してくれた人に恋をし、その恋が叶う立場を与えられたと考えたのだろう。
……同情さえしてしまうな。
翠蘭を死に追いやった相手だと知りながらも、同情をしてしまう。
……恋心の苦しさは知っている。
香月は初恋を諦めた。
何年も昔の記憶だ。身分の差を超えられないと知った時に恋心を捨て、淡い思い出として香月の心の中に今も残っている。
「まさか、後宮の輪を乱す道士だったとは。信じられない」
俊熙は信じられない言葉を聞いてしまったかのようだった。
……は?
香月は俊熙の言葉こそが信じられなかった。
道士とは仙術や法術の使い手であり、内功を扱う為の厳しい修練を積み重ねた者たちのことを示す。仙術や法術は使わず、内功を練り上げ戦う為に特化した武功を同時に習得していることも多く、道士の目指す頂は仙人になることであるとされている。
香月もその一人だ。
だからこそ、藍洙は道士ではないとわかっていた。
「陛下。ご忠言をいたしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ。好きにしろ。それから、許可もとらなくていい」
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
香月は視線を空に向ける。
空は割れたままだ。後宮に出向くと決まった日よりも亀裂は酷くなりつつあり、早急に手を打たなければ李帝国の守護結界は意味をなさなくなるだろう。
「大前提としまして、推測でしかありません。しかし、呪術の証拠は昭媛宮で見つかることでしょう」
香月は確信を得ていない。
藍洙の自白を聞き終わる前に捕らえられてしまったからだ。
「黄藍洙は道士ではありません」
「では、なんだと申す?」
「呪術師に利用されただけの被害者です。その呪術師も、おそらくは別の場所にいる道士に利用されている駒でしょう」
香月は推測を語る。
呪術に手を染めた者の特有の症状が藍洙には表れていた。あれらの症状は呪術を学び、その術を習得した呪術師ならば、禊を行えば取り除ける穢れが蓄積したものだ。
だからこそ、藍洙には呪術の心得がないとすぐにわかった。
「呪術師と道士はなにが違う? 俺には同じに思えるが」
俊熙の質問に対し、香月は表情を一つも変えずに視線を俊熙に向ける。
……この方は皇帝に向いていないのだろう。
李帝国は守護結界により強力な加護を得ている国だ。その力の源は李家に流れる瑞獣、麒麟によるものだ。
代々の皇帝は道士でもあった。
すべては偉大なる麒麟の力を己の者にする為の術を得る為であった。
「使う術が違うだけのことでございます。道士は己の内功を用いた仙術や法術を使い、呪術師は師より学んだ呪術を使う者です」
香月は質問に答える。
「しかしながら、呪術を使う者は他人を害することが多くございます。呪術との根本は恨みでありますので。……黄藍洙は姉上に対する憎しみを利用されたのでしょう」
香月はそこまで語ると一度口を閉ざした。
……おそらく、理解をされない。
俊熙は道士や呪術師の存在を信じていなかった。それを香月に説明されたからと簡単に受け入れるはずがないだろう。
香月はそう考えていた。
だからこそ、推測を話すだけで口を閉ざしてしまった。
……狙われたのは陛下だと気づかれてはならない。
四夫人の一角を蹴落とし、守護結界の亀裂を入れることが翠蘭の命が奪われた理由だろう。守護結界を目にすることができない俊熙が、李帝国の異変に気付いた頃にはなにもかも遅く、李帝国は滅びの道を歩むことになる。
それを食い止めたいのならば、俊熙を廃し、李帝国にふさわしい道士を帝位に座らせる必要がある。
……道士の狙いは陛下の廃位。その為ならば、国を滅ぼしてもかまわないと思うほどに陛下を疎んでいるのだろう。
それも香月の推測でしかない。
「賢妃は玄家の者しかなれないと知りながらも、翠蘭を狙ったとでも?」
「いいえ。知らなかったのでしょう。黄家は後宮の成り立ちに詳しい家系ではないでしょうから」
「そうか。……それなら、思い込みだけで行動を移せるものか」
俊熙は呆れたように呟き、用意された茶を飲み干した。
「俺が愛しているのは香月だけだと、皆が知れば、争いは収まるだろうか」
「いいえ。なにも変わりはしないでしょう」
「なぜ、そう思う? 香月。お前は勘が鋭いだろう。俺の気づいていないことを教えてくれはしないか?」
俊熙は迷いなく香月を見つめた。
その視線は熱く鋭いものだった。
……なぜ、私を愛しているなどと騙るのか。
香月は俊熙の愛を信じていない。
後宮妃はすべて皇帝の所有物であり、皇帝は誰か一人を愛さなければいけない存在ではない。




