05-4.お茶会
藍洙は用意された菓子に手を伸ばし、そのまま、無遠慮に菓子を頬張る。まるで菓子を食べるのが久しぶりの子どものようであった。
「愛は幸せなのよ」
藍洙は持論を語る。
それ以上の幸せを知らないとでもいうかのようだった。
「愛する人にふさわしくなる為なら、私はなんだってできるの。その勇気をもらえたのも、すべて、陛下を愛しているからこそよ」
「陛下を愛しているからこそ、呪術に手を出したとでも?」
「ええ。そうよ。それのなにがいけないというのかしら?」
藍洙は迷うことなく肯定した。
……やはり、呪術がどのようなものなのか、知らないようだ。
愛を実らせる手段の一つとでも教え込まれたのだろう。単純な性格をしている藍洙は、侍女の言葉を信じてしまったのに違いない。
……怪しいのは文を寄越した侍女か。
藍洙の背後に立ち、素知らぬ顔をしている陽紗に視線を向ける。そうすると、 陽紗はなにも動かず、全責任を藍洙に押し付けるつもりのようだった。
「呪術は素晴らしいわ」
藍洙の言葉に香月は眉を潜めた。
……手遅れか。
呪術に魅入られた者は破滅をしても呪術に手を染める。
哀れな最期を迎える瞬間も呪術を使うことができなくなったことを嘆き、自身の死を受け入れようとはしない。そんな姿を香月は思い出していた。
「翠蘭は死んだのよ」
藍洙は正常な判断ができていない。
自身の思いのままに語り始める。
「これで私が賢妃に選ばれると思っていたのに。陛下は私ではなく、玄家の人間を呼び寄せた。私はね。それがどうしても許せないの」
藍洙は菓子をかじりながら語る。
常識を備えていないのか。それとも、呪術の影響により正常な判断ができていないのか、わからない。しかし、後宮妃たちが定期的に開催しているはずの茶会に呼ばれていない理由の一つが、藍洙の非常識な振る舞いだろう。
藍洙は後宮の中で孤立していた。
九嬪の中で三番目に位が高く、昭媛という立場にいながらも、後宮妃たちから疎まれるのは異例のことだ。
そのことに藍洙は気づいていない。
「だから、玄香月も呪い殺そうとしたのに」
藍洙は自白した。
それは玄武宮の門が開かれる合図の言葉でもあった。前触れなく開かれた門から複数の宦官たちが藍洙の元へと向かい、容赦なく藍洙の身柄を拘束した。
……呪術の類が終われば、黄昭媛の独断。
香月はそう簡単には終わらない気がしていた。
……終わらなければ、黄昭媛を操っていた者がいる。
藍洙の行動は私怨によるものだ。それだけで問題が解決するとは思えなかった。
「なにをするの!? 私は陛下の寵妃よ! 宦官ごときが触らないでちょうだい!」
藍洙は喚いた。
なぜ、縄できつく縛られて捕縛されているのか、理解できなかった。
後宮を行き来できるのは皇帝陛下か宦官だけだ。その知識はあったのだろう。
「俺の寵妃は玄香月だけだ」
俊熙は宦官の後ろにいた。
声をかけられるまで藍洙は気づかなかったようだ。声を聞き、途端に目の色を変えた。助けに来てくれたのだと疑いもしない顔をする藍洙に対し、俊熙は冷たい視線を向けていた。
「陛下!」
藍洙は俊熙に手を伸ばそうとして、宦官に取り押さえられる。
容赦なく地面に叩きつけられてもなお、藍洙の視線は俊熙にだけ向けられていた。
「お会いしとうございました! 陛下!」
藍洙は泣きそうな顔で必死に訴えた。
恋する乙女は盲目だ。なにをする為に訪ねて来たのかなどという常識を捨て、自分の為だけに会いに来てくれたのに違いないと自分の都合よく解釈をしてしまう。
「陛下。ご厚意に感謝いたします」
香月は最敬礼の姿勢をとり、俊熙に声をかける。
先ほどまで藍洙を相手にしていたとは思えないほどに優雅な姿だった。
「昭媛宮をお調べくださいませ。呪術の痕跡があるものと思われます」
「わかった。香月、お前の被害はなかったか?」
「はい、陛下。私は無事でございます」
香月が返事をしている間、お茶会に同席をしていた藍洙の侍女たちは宦官の手により捕らえられる。事情を気が狂うほどに聞かれることになるだろう。
「陛下!!」
藍洙は叫んだ。
喉が裂けてもかまわないというほどの大きな声で俊熙を呼ぶ。
「私でございます! 陛下の黄藍洙でございます! 陛下、陛下、陛下! どうか、私を見てくださいませ!」
藍洙は必死だった。
「陛下! 私はここにおります!」
しかし、俊熙の気を引くことはできなかった。
「連れて行け」
俊熙は宦官に指示を出す。
その言葉を聞き、宦官は藍洙を強引に立たせて連れて行こうとする。
「陛下。黄昭媛様は冷宮でよろしいでしょうか」
「いや。地下牢でかまわない」
「承知いたしました」
宦官は淡々と答えた。
その言葉を聞き、藍洙の顔色が真っ青に染まった。
「陛下……?」
藍洙は恋に盲目だった。どのようなことをしたとしても、俊熙に愛されているべきなのは自分だと信じ切っていた。
それなのに、俊熙は藍洙を切り捨てた。
妃にしたことが間違いだったというかのようだった。
後宮妃が罪を犯した時には冷宮に入れられるのが通例である。地下牢に繋がれるのは罪人であり、皇帝の妃がいるべき場所ではないからだ。
そのことは藍洙も知っていた。
「私は、昭媛です。陛下。陛下の妃です」
藍洙の声は震えていた。
宦官が強引に連れて行こうと力を込めたところ、藍洙は抵抗しなかった。しかし、視線だけは俊熙に向けられたままだ。
「陛下」
藍洙の目から涙が零れた。
「私は、陛下を、愛しておりました」
藍洙の言葉は俊熙の耳には届くが、心には響かない。
それでも、愛の言葉を口にしなければいけなかった。藍洙もそれが最後の機会になるとわかっていたのだろう。
返事をもらえないまま、両側から宦官に取り押さえられる形で玄武宮から立ち去っていく姿は別人のようだった。




