05-3.お茶会
香月は藍洙の真意が読めなかった。
翠蘭を害したことを認めるのは、藍洙にとって不利になるだけだ。それなのにもかかわらず、藍洙は当然のように認めてしまった。
……言葉だけでは証拠にはならない。
この場では罪を認めても、収監された時には無罪を主張する可能性がある。
決定的な証拠はなにもない。
「お飾りとは?」
香月は質問を続けることにした。
「そのままの意味よ。玄武宮の賢妃にふさわしくない見た目と性格、それに大事な役目も果たせなかったって有名じゃないの」
藍洙は言葉遣いを正すことも忘れたかのように、翠蘭の非を語る。
……呪術の影響が酷いな。
藍洙は呪術の影響を受けている。
その精神はゆっくりと蝕まれており、他人に対して攻撃的な態度ばかりをとるのは精神的に不安定になっている証拠だった。禊ぎを行えない人間が李帝国を守護している結界が視えているとは考えにくく、単純に賢妃として求められる剣舞が踊れなかったことを指摘しているのだろう。
……有名な話か。
翠蘭は非難の的にされたのだろう。
後宮にふさわしくないと石を投げつけられたかもしれない。玄武宮に努めていた侍女たちにも見放されていた可能性が高い。少なくとも、藍洙は翠蘭を害する為だけに、自身の影響を考えることもせず、呪術を使っている。
香月はなにも知らなかった。
だからこそ、翠蘭の死の真相を探っているのだ。
「黄昭媛の考えはわかった」
香月は藍洙を許すことはない。
玄武宮の賢妃として翠蘭が後宮に招かれたのは、変えようもない事実だ。その座にふさわしくないからと害を与えていいものではない。
「玄武宮の主として正しき行いをすることができるのならば、呪術から手を引いてくれるか?」
香月は問いかける。
それに対し、藍洙は動揺していた。
「呪術は正しき術を知らなければ、身を滅ぼす。これは私から黄昭媛に対する最後の忠告だと考えてくれてかまわない」
香月は呪術で身を滅ぼした人たちを見たことがあった。
人を呪わば穴二つと言われる通り、呪術で身を滅ぼした人の最期は人とは思えない黒焦げた姿であった。生きながら肌の色が黒く変色し、次第に呼吸さえもできなくなり、苦しみながら息絶える。
その姿を香月は見たことがある。
玄家の修行を怠り、呪術を習得することができなかった武人の慣れ果てだ。
玄家だけではなく、四大世家では呪術も習得をする。それは結界の修復に必要なことであり、女の花園である後宮での身を守る手段として身に付けさせられるのだ。それができない者には居場所は与えられない。
「……偉そうに」
藍洙には香月の真意は伝わらなかった。
香月の言葉が足りなかったのも大きな原因だろう。
「あなたが賢妃に選ばれたのは玄家の人間だからでしょう!? 陛下の寵愛を受けてもいないのに、寵妃を名乗るのもいい加減にしてちょうだい!」
藍洙は声を荒げた。
藍洙は本気で俊熙を愛している。誰よりも愛しているからこそ、愛されたいと強く願ってしまった。その為ならば手段を選んではいられなかった。
俊熙の心が藍洙に向けられていないのは、わかっていた。
それでも、藍洙は止められなかった。
「陛下の寵妃になれるのは、陛下を心から愛している人だけよ!」
藍洙の言葉は理想論だ。
誰もが俊熙に恋をしているわけではない。
後宮は女の花園、欲望が満ちた場所だ。家門を背負い、家の格を上げる為だけに陛下の子である御子を欲し、次期皇帝にする為だけに醜い女の争いを繰り広げる。後宮はそういうところであると香月も理解をしていた。
しかし、藍洙は違った。
藍洙だけは純粋に俊熙に恋をしていた。愛していると言っても過言ではない。
「皇帝陛下の妃は、陛下の臣下だ」
香月は淡々と告げる。
その言葉が藍洙に通じないとわかっていた。
「後宮は陛下の所有物だ。愛など信じれば気が狂うだけだ」
香月の言葉を聞き、藍洙の表情が変わった。
敵意に満ちていた表情ではなく、愛を信じられない香月に対して、心の底から同情をしているかのような顔だった。
「かわいそうに」
藍洙は素直に感想を口にする。
藍洙はどこまでも純粋であり、素直な女性だった。
「賢妃様は陛下を愛していないのね」
藍洙は口元を手で隠しながら笑った。
先ほどまで動揺していたとは思えないほどの余裕だ。
……まずいな。
精神不安定が進行している。
それは藍洙が後宮に来る前からなのか、それとも、呪術の影響なのか、わからない。しかし、香月では対処できないほどに進んでいた。
香月は俊熙を愛していないと公言していない。
しかし、藍洙には自分の都合よく聞こえてしまったのだろう。
「愛されない女は賢妃になるべきじゃないわ。あの女と同じよ。蟲毒よりも酷い目に遭いたくなければ、山の奥に帰りなさいな。この田舎娘が」
藍洙は語る。
自身の方が有利に立っていると信じて疑わない。
「愛というものを私は知らないのでな」
香月は嘘を吐いた。
家族から愛されて育ち、侍女や部下から敬愛されてきた。幼馴染と別れる時には不思議と胸が痛み、それが初めて抱いた恋心というものだったのかもしれない。
藍洙の勘違いを否定せず、藍洙の考えは正しいのだと勝手に思い込むように誘導するだけでよかった。簡単に物事が進んでいくのは、暴走をしている藍洙を見ているだけでなにもしない昭媛宮の侍女たちの影響も大きい。
……侍女の中に道士がいるな。
実行役は藍洙だろう。
しかし、知識のない藍洙を利用している侍女がいるはずである。
……そこまで炙り出せればいいが。
逃げられる前に捕縛しなければならない。
香月は視線を明明に向ける。それだけで明明に意図が伝わり、周囲に気づかれないように視線を一瞬だけ下に向けて肯定した。頷くよりも視線を動かす方が相手にわかりにくいからだ。
「ぜひとも、話を聞かせてくれないか」
香月は問いかける。
それに対し、藍洙は笑った。
「いいわ。教えてあげましょう」
藍洙は堂々とした振る舞いで歩き出し、椅子を自分で引いて座った。
茶会の席の常識を知らないのだろう。今まで誰にも招待されたことがなかったのかもしれない。




