04-4.裏切りの侍女
「牢にいれるつもりですか!?」
小鈴は悲鳴をあげた。
小鈴は主を裏切った。しかし、それが死罪に繋がるような罰であると考えてはいなかったのだろう。
罪人として牢に繋がれる姿を想像し、反射的に声をあげたものの、杖打ちをされた体は痛みを発しており、動くだけで杖打ちされた箇所が悲鳴をあげている。
……玄家の牢を知っているのか。
香月は小鈴の反応に見覚えがあった。
……玄家の使用人の家系から選出されたのには、間違いないようだ。
香月は孫家の一族と面識がない。
次期当主と名高かった香月の世話をすることができるのは、文武両道の女性だけと定められており、男性の従者は香月が指揮を執る精鋭部隊の者たちだけだ。従者というよりも部下という立場であり、香月が武功の指導をしている弟子たちでもある。
その中にも孫家を名乗る者はいなかった。
「お許しください、賢妃様。牢に入れられては、私は生きてはいけません」
小鈴は涙を流して許しを乞う。
北部の山奥を領地とする玄家の牢は、罪人を閉じ込めておく為の場所である。しかし、極寒の地に作られている牢から出される時には罪人は命を落としている。たとえ、免罪だと判明した後でも牢に入れられた者は生きて出ることはできない。
そのような場所こそが牢であると認識をしているようだった。
……思い出した。
情けなく許しを乞う姿を見たことがあった。
……春鈴の乳母によく似ている。
春鈴の乳母は孫家の女性だった。
幼い子どもでありながらも、武功の才がないと判決が下ろされて死を与えられた春鈴の命を救おうと必死になって声を上げていた。しかし、その声は不快なものとして処理され、玄家の直系の娘の乳母という立場にあったのにもかかわらず、玄家の牢に連れて行かれてしまった。
乳母の女性の安否は不明だ。
誰も知ろうとはしない。
しかし、玄家の牢に入れられた者は玄家の裏切り者だ。
裏切り者を生かしておくような優しい一族ではない。
……孫一族の末娘か。
気を扱う才能に恵まれず、道術を身に付けることもできない。
道術よりも簡単であるとされている呪術さえも身に付けられず、一生、雑用をして生きていくことになる者たちは珍しくはない。
玄家の本家や分家、玄家の血を継いでいる者でなければ、才能なき者への扱いはそれぞれの一族に委ねられる。
孫家は子殺しをしない一族だった。
雑用係として役に立てば生きている価値がありと判断し、名も知られぬように徹底的な教育を叩き込む。主人に忠誠を誓い、主人の為ならば命を投げ出すように教育を行うはずなのだが、小鈴はそれらの教育が始まる前に侍女として任命されてしまったのだろう。
「必要ない」
香月は同情をするわけにはいかなかった。
事情を察したものの、裏切り者を許すわけにはいかない。
「監視する労力の無駄だ。早々に孫家に送り返せ」
香月は振り返らない。
同情をしてしまっていることを悟られるわけにはいかなかった。
「承知しました」
明明は香月の意図を理解していない。
軽々と小鈴を担ぎ上げ、外へと連れ出そうとする。痛みに唸り声のような悲鳴をあげている小鈴に対し、丁重に扱おうという気持ちは明明にはなかった。
明明は主人を裏切った罪人を捨てに行くだけなのだ。
「明明。孫家に判断を委ねると言付けを頼む」
香月は小鈴を庇わない。
それでも、この場で命を奪うような命令を下さないのは香月の優しさだった。両親ならば小鈴の言い訳の一つも聞くこともせず、迷うことなく首を刎ねてしまっただろう。
小鈴の命だけで片付くのならば、それが最善だと両親ならば判断をしていたはずだ。
香月はそれができなかった。
母の手で殺された妹の顔を思い出してしまう。
それを自分の手で体験することを避けてしまった。
「承知しました。それでは」
明明は軽い挨拶を交わし、すぐに地面を蹴り上げた。
瞬く間に玄武宮の屋根に飛び移り、迷うことなく、屋根から屋根へと飛び移っていく。
……かわいそうなことをした。
香月は小鈴の姿に春鈴が重なって見えた。春鈴が生きていたのならば、小鈴と同じ年頃になっていただろう。
だからこそ、同情をするわけにはいかなかった。
「文の灰は黄昭媛に被せてやれ」
「かしこまりました。呪いの言葉でも浴びせましょうか?」
「必要ない。知識のない者は好き勝手に解釈をして騒ぎ出すものだろう。それを利用し、道士の居場所を炙り出す」
香月は止まっていた足を動かし、早々と自室に向かう。
……すべては黄昭媛の望みである、か。
小鈴の顔を覆うように張られていた紙には、藍洙の関与を認める言葉が書かれていた。
わざわざ、犯人の名を知らせる必要はないのにもかかわらず、小鈴の体に張り付けられていた文にも同様の内容が書かれ、犯行の供述をするかのように翠蘭に対する恨み言葉が綴られていた。
その為、香月は目を通す価値はないと判断したのだ。
万が一、法術や呪術の類が紛れ込んでいてはいけない為、賢妃である香月が読む前に侍女の誰かが内容の確認をする。
後宮に個人の空間はなく、個人の意思を尊重する文化も存在しない。
侍女は主人に忠誠を誓う。しかし、主人の自由を保障するわけではない。
「賢妃様。湯浴みの準備が整っております」
雲婷は香月に声をかける。
早々に話が終わるだろうと判断し、雲婷は湯浴みの準備の指示を出してあったのだろう。
「従者の咎は主人の魂を蝕むものでしょう。清めの儀式の代わりとまではいきませんが、多少でも効果はあるものかと思います」
雲婷は玄家の風習を知っている。
法術を使えば気の流れに乱れが生じる為、その乱れを落ち着かせるのには瞑想を行うのが一般的である。しかし、呪術は恨み妬みの負の感情を利用する為、失敗をすれば魂が傷つくとされている。
効果を発揮できない失敗作とはいえ、蟲毒は呪術だ。
多少は玄武宮に影響を与えていたとしてもおかしくはない。
「そうだな。呪術の毒は体に残さないのに限る」
香月は雲婷の提案を受け入れた。
雲一つとして浮かばない綺麗な夜空の下、後宮はどす黒いものに覆われている。それは数日では解決できそうもない巨大な陰謀によるものだった。