敗戦 クリストフ視点
数刻前にて
魔女の始祖であるガハリエを討伐するため、俺は先頭の部隊を任せられた。
大山脈のどこかに逃げ隠れたらしいが、どこにいようとも見つけ出す。
そうしなければソフィーに安息は来ない。
「ブルッ! ガアア!」
突如として俺の愛馬が興奮しだした。敵が出たのかと思ったが俺の目には見えない。
だが俺にも嫌な予感があった。
「全隊、散らばれ! これは罠だ!」
突然の命令に戸惑いつつも、俺が率先して動くことで他の者達も動き出した。
するとしばらくして自分たちが居たところが爆発した。
「ああああ――!」
「ぎゃああ、体が熱――!」
避難が間に合わずに悲鳴がこだまする。負傷者を助けたいが、それよりも空に浮かぶ男に意識を集中させた。
俺が殴り続けた顔はいまだに変形したまま、おそらくは自分で骨格を治すほどの度胸がないのだろう。
お互いに睨み合う。
「逃げ続けた男が自分から出てくるとはな」
これまで表に出てこようとしなかったのに、自分から姿を現すとは。
空という優位な場所から攻撃をするつもりだろう。
しかし相手は空を飛んでいようとも、俺の愛馬なら同じく飛行が出来る。
だが相手の余裕はそれだけではないような気がする。
「私がお前達のような下等な生物から逃げるだと? 自惚れるなよ。育てた恩を忘れよって」
ドス黒い感情が出てきそうになった。
この男は自分で口にしたのだ。俺の故郷を実験台にして、俺の心を弄んだと。
食いしばることで怒りをコントロールする。
「勝手なことを。ソフィーに手を出そうとした時点で親愛は捨てた!」
愛馬が地面を蹴り、空へと舞い上がる。飛びながら姿を変え、竜の姿になる頃にはガハリエに近づいた。背中を踏み台にして、さらに俺は跳躍する。
拳を固めて、ガハリエに拳を突き出した。
「もう貴様の一撃は当たらん!」
右の拳がガハリエの手前で不可視のシールドにぶつかる。それならばもっと強い力で破ればいい。
「来い、聖遺物よ!」
左腕に鎖が纏い、何も無い空間に鉄球が出現した。
鉄球をガハリエに絡ませるように包み、シールドごと圧迫した。
メリメリと不可視の空間が歪みだし、シールドの限界が目に見えて分かる。
それをガハリエは忌々しそうに舌打ちした。
「馬鹿力め!」
言葉だけ残しシールドの中から消えた。そのまま鉄球で潰したが、何もそこにはいない。
「逃げたか」
口笛で音を鳴らすと、俺の愛馬が落下地点に合わせて拾ってくれる。
「追えるな?」
「グルル」
了解と受け取った。方向を転換して急加速すると、そこにガハリエが現れた。
「っち、魔力の痕跡を追えるのか。だから竜族は鬱陶しいのだ!」
愛馬は方向を突如として変更する。振り落とされないように手綱をしっかり捕まった。
すると俺がいた場所がどんどん爆発していく。
「逃げてばかりでどうやって勝つ! どんなに格好付けようとも――」
ガハリエの言葉が止まる。ガハリエを白い泡が包み込んだ。
俺にばかり意識を向けられていたため気付かなかったのだろう。
聖女セリーヌが聖なる力でガハリエを閉じ込めたことを。
「これは聖女の奇跡……逃げられんだと……!?」
ガハリエの余裕な顔がようやく消えた。下にいるセリーヌは腕を空に掲げて集中しているようだった。
ヒューゴもまたセリーヌの側で、薄く笑っていた。
「ようやく甲高い声が静かになりましたね。小馬鹿にしていた人間にしてやられるのはどうですか?」
「誰にこのようなことをしている! 我は神に等しい存在だぞ! 後悔したくなければこれを解け!」
「おやおや、そんなことを言われて解放するわけないでしょ。クリストフ大司教代理殿、セリーヌ様がこの男を弱らせたら一斉に攻撃を仕掛ける!」
セリーヌの泡がどんどんしぼみ出すと、ガハリエは逃げようともがいていた。
作戦では、この泡が完全にしぼみきる頃には、ガハリエは強酸で焼かれたかのようになるとのことだ。そして自力では逃げ出させない。
千載一遇のチャンスだ。
「ククク……カカカ!」
これから攻撃を仕掛けようとしたときに突如不気味な笑い声を上げるガハリエ。
勝ち目を失って正気を失ったかもしれない。
だが本当にそうだろうか?
俺は直接聞いてみる。
「何がおかしい?」
「笑わずにいられるか。お前達が私を追い詰めていると思うのなら逆も考えるべきだ。自分たちこそ追い詰められているのではないかとな!」
何か仕掛ける。ヒューゴと目線だけやりとりして一斉に攻撃を仕掛ける。
二人の同時攻撃でガハリエに拳を振るった。
だが俺たちの攻撃は空を切るだけだった。
すると女性の悲鳴が聞こえてきた。
「あああああ!」
「セリーヌ様!」
絶叫に近いほどの悲鳴だ。セリーヌは体をうずめて痛みに堪えているようだった。
ガハリエが何かをしたのかと思い、ヒューゴはすぐさまセリーヌの近くまで戻った。
「セリーヌ様! どうされ……」
「うがああ!」
セリーヌの腕がヒューゴの首を掴もうとして必死に止めていた。まるで正気を失ったかのように、聖女らしからぬ形相をしていた。
「セリーヌ様。どうされたのですか!」
ヒューゴが呼びかけてもまるで動物のような声しか出さない。
それに俺は一つだけ心当たりがあった。
「まさか魔女の破壊衝動?」
前に一度だけソフィーもガハリエとの戦い後に正気を失いかけた。
もしや聖女とは、ただの神の使いでは無く――。
「見よ、この哀れな聖女のなれの果てを!」
ガハリエの声が響き渡った。どこにいるのかと辺りを探したが見つからない。
だがすぐにその場所が分かったのは、ヒューゴが吹き飛ばされたからだ。
「くそっ! セリーヌ様を返せ!」
セリーヌはガハリエに奪われ、体を拘束されながら空へと昇る。
「お前達が聖女だと崇める女の正体を教えてやろう! 私が飼い慣らしてきた女達の末裔であるこの娘は、れっきとした魔女だ! うははははは! 見よ、この醜い顔を! お前達を消し去りたいと願う怒りの顔を!」
セリーヌは今も暴れている。だが次第にガハリエに対して従順になっていく。
「嘘だ……聖女様が魔女だって……」
「神の使いではないのか……」
信者達に一斉に不安が広がる。それを後押しするようにセリーヌは手を前にかざすと、炎が吹き荒れる。
「ああああああ!」
「あづっ、熱い!」
信者達がどんどん炎に飲まれていく。俺も巻き込まれる前に愛馬と供に避けていく。
だがほとんど者が逃げ遅れていた。
「どうだ! 崇拝していた者に裏切られるのは! だから私はこの女をずっと生かしていたのだ! 私の弱点だと勘違いさせたままにな! この瞬間の、裏切られたお前達の顔が見たくて数百年も待ったのだ! 苦しめ! 恨め! 憎め!」
愉快げにこの惨状を笑う。ゲスな性格に吐き気を覚える。
だがこのままでは全滅してしまう。
「クリスよ、次は貴様が絶望する番だ!」
「私ももう貴方を許すことは出来ない!」
「なら守ってみせろ! 大事な女をな!」
ガハリエの腕が俺ではなく、遠く離れた場所へ向けられる。
そちらはソフィーがいる方向だ。何をしようとしているのか一瞬で理解した。
「ガハリエェェ!」
阻止をしようと距離を詰めようとしたが、その前をセリーヌが立ちはだかる。
爆発の魔法を俺へと向ける。しかし俺の愛馬はそれを避けてくれた。
なんとしても止めなければならない。
「何をするつもりだ!」
突如として俺の頬に痛みが走った。いつの間にか近づいていたヒューゴに殴られたのだ。
愛馬から落ちてしまった。
「ヒューゴ、貴様!」
「いくら敵の手に落ちたとはいえセリーヌ様への攻撃は許さん! セリーヌ様、どうか正気に戻ってください!」
ヒューゴはセリーヌを止めようとする。だがそんなことはどうでもいい。
今ガハリエを止めなければソフィーが危ない。
だがもう遅かった。
遠くの方で雲が出来るほどの爆発が起きた。
「ソフィー……」
俺は地面へと落下して強い衝撃で意識を失うのだった。
「う……」
熱気を感じて目が開く。声がほとんど無く、何が起きているのか分からない。
起き上がろうとした時に、体に猛烈な痛みが来る。何本か骨をやってしまったが、どうにかまだ動ける。どれくらい眠ったのか分からない。
だが周りは火に囲まれており、決して良い状況ではないことは確実だ。
「ソフィー……」
彼女だけは俺が絶対に守らないといけない。
痛いからと休んでいる場合ではない。
「あああああ!」
ソフィーの声らしきものが聞こえた。彼女の声が聞こえただけで、気持ちが急に楽になった。
「よかった生きていて……」
しかしそれはよろしくない状況になっていたのだった。
空に浮かぶのは黒く染まった何かだった。
シルエットからどうにか女性だと分かる。
顔もソフィーだ。だが涙を流しながら笑っている。
空を飛び、いくつもの魔法の花火を放つ。
「おのれ、おのれ、おのれ! 下等な中のさらに下等な魔女が私を追い詰めるだと! 許さぬ、許さぬぞ!」
ガハリエの必死の声が聞こえる。戦っているのはこの二人だけだ。
他の者達は地面に伏せて屍になっていた。
どうやらソフィーが押しているようだが、様子がおかしい。
「うがあああ!」
ソフィーは手を振り上げると、ガハリエの全身を爆破させた。
だがそれでもガハリエは生きている。
「聖女! 私を守れ1 あの不純物を消し去れ!」
セリーヌは地面から立ち上がって、ソフィーに魔法を放つ。
だがソフィーも魔法で迎撃をして、その余波が広がっていく。
ソフィーの優勢で進むかと思いきや、ソフィーの体から湯気が出始めていた。
それと同時に黒い粉状のものが体から出ていた。
「ん? はははは! そうか貴様、何か細工をしたな? 体が崩れだしているぞ!」
ガハリエは先ほどまでの余裕の無い表情から勝ちを確信しだした。
「聖女よ。あの女を食い止めろ! 私はその間に逃げさせてもらう。はははは! 先鋭をこれだけ消し去ればしばらく私の平穏が保てる。ふはははは!」
ガハリエは戦いに執着せずに、その場から姿を消した。
追わなければならないが、ソフィーをこのまま見捨てられない。
「ソフィーやめるんだ! もう敵はいない!」
だがソフィーから返事はない。それどころかさらに強大な破壊の魔法でセリーヌを燃やした。
「うがあああ!」
そして有り余った力を放出するように、手当たり次第に爆発させていく。
もう完全に理性を失っており、本人も何をしているのか理解していないのだ。
「セリーヌ様……」
足を引きずっているヒューゴが涙を流してセリーヌの最後を見ていた。
その怒りはソフィーへと向いている。
「待て、ヒューゴ!」
俺の制止の声は届かず、ヒューゴは怒りで顔を歪ませ、ソフィーへと飛びかかった。
このままでソフィーが危ない。走る力が無い以上、聖遺物に頼るしかない。鉄球の鎖を出現させ、ソフィーに攻撃が当たる前に、彼女を巻き付けてこちらへ引き寄せた。
そして俺の元まで来たらそのまましがみついて彼女を地面に押し倒した。
「うがっ! うがっ!」
「ソフィー、俺だ! しっかりしろ!」
呼びかけても暴れるだけだ。もう俺を認識していない。
どうすれば彼女を正気に戻せる?
神聖術を掛けて元に戻したとしても、この惨状を引き起こした彼女にまともな処遇がされるわけがない。彼女と供に逃げようにも俺は走ることができない。
「どけ! クリストフ! 庇うのならお前ごと殺す!」
ヒューゴが鬼気迫る形相で追いかける。もう時間が無い。
俺に彼女にできることは、これ以上の罪を増やさないことだけだ。
「どうして俺に力が無いのだ! なぜ俺はこの力をソフィーに向けないといけない!」
俺の腕が彼女の首を絞める。このままではもっとひどくなる。
こうするしかない。涙がこぼれ、俺は正義を執行しなければならない。
「どうして神は何もしてくれない……あの時も……今も……どうして……」
次こそは彼女に幸せになって欲しかったのに、どうして同じ結末がやってくるのだ。
何をすれば彼女を救えたのだ。
力を込め出すと彼女の声が掠れていく。
「俺もすぐにあと追う……すまない……すまない」
苦しまないように力を一瞬で入れる。他の者達によって彼女をいたぶらせないように。
俺は彼女の首を締め上げるのだった。
「ありがとう……愛してる」
最後に彼女の口からそう聞こえた。首を絞めたのに彼女の顔は安らかなものに変わっていた。
最後に正気に戻ったのかどうか分からない。
だがそれは俺の心を強く引き裂いた。
「ああ……ソフィー、ソフィー! すまない、すまない! 俺がっ! 俺がっ!」
彼女の体温が俺の手に残る。もう戻ってこないのだと。




