間話 ソフィアと領民
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司祭室で仕事をしていると、ある男が訪ねてきた。
「ご無沙汰しているな。クリストフ大司教代理殿」
不機嫌そうな顔を常にする男は、魔女狩りの専属部隊で指揮を任せられていた。
処刑人という通り名もあるヒューゴ司祭だ。
今はガハリエを追いかけているため、ほとんどこちらには来ないと思っていたが、たまにこうやって顔を見せるのだ。
「お久しぶりです。本日はどのようなご用件で?」
前に彼のせいでソフィーが死にかけた。また彼女に危害を加えるつもりではないだろうな。机の下に隠している拳が自然と強く握られた。
「そんなに恐い顔をしないでくれたまえ。君にも有益な情報だ。あの男を追っている途中でこんな話を耳にしたのでな」
報告書を机に広げられた。中身を見ると、どうやら魔女関連ではないようだった。
「ネズミイーターの違法売買?」
ネズミイーターは作物を食べる害獣だ。特に甘い物を好むが、基本的には雑食である。繁殖力が高いため、早めに対処しなければ、その土地の作物が全て食い散らかされてしまうだろう。
報告書に目を通したまま話を聞く。
「さよう。あの男を追っている最中にこれを持ち込んでいる証拠を見つけてな。だがその取引業者はどこかでそのねずみを逃がしてしまったらしい。それも其方の奥方の領地でね」
頭の痛い話だ。そういえば未来でも彼女の領地は害獣に襲われた記憶がある。
それはネズミイーターの仕業だったのではないだろうか。
しかしこれは骨の折れる仕事だ。
「ご報告感謝致します。早急に対策を考えます」
まずは罠の準備や駆除方法を調べなければならない。ソフィーに伝えようと思ったが、今日は楽しみの行事があるらしいので、事後報告でもいいだろう。
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今日は快晴で気温もほどよい。馬車で向かいながら気持ちを昂ぶらせていた。
なぜなら今日はイチゴ狩りの日だった。
「ふふん~ふふん~」
楽しみすぎて鼻歌が勝手に流れる。
「ご機嫌ですね」
外から副団長補佐であるランスロットが、馬で併走しながら笑っていた。
「ええ。今日はいくらでも取っていいと言っていましたからね。取ったイチゴで美味しいスイーツを作って、訓練場を使って領民を招いたパーティをしましょう」
パーティーと聞いて騎士達も嬉しそうにどよめく。おそらく彼らはスイーツよりもお酒の方が目当てだろうけど。
なんにせよ、少しずつこれから食事もどんどん質素になっていくだろうから、たまにはみんなに労いをするのもいいだろう。
ふと、一緒の馬車に乗っている侍従のリタが憂わしげな顔をしていたのに気付く。
「どうかしましたか?」
「いいえ……ただ先ほど立ち寄った村で嫌な噂を耳にしましたので。ベアグルントの悪魔の再来と」
なにその恐い名前。馬車の中で眠っていたため、そんな話をしているのに気付かなかった。
どうやら昔に、土地一杯の作物が全て食い散らかされたことがあるらしい。
何十年も前の話だが、最近はそれに似た前兆が起きていることで、農民達も心配しているのだ。
「だけど一番は――」
リタがこちらを一瞥しただけで口を閉ざした。
何かを言おうとしたが、それをやめたのだ。
「憶測ではいけませんね。もうすぐ着くのですからその時に分かることです」
何やら含みのある言い方だ。ただ何にせよ、早くイチゴを食べたい。馬車で目的地に近づくごとにその話を忘れていった。
しかし――。
「イチゴが……ない!?」
イチゴ農園にたどり着いてすぐに、ここの経営主のおじさんが平謝りをしていた。
「本当に申し訳ございません! 急にねずみが大量に現れて今もなお食い散らかしている状態でして……」
農園をちらりと覗くと、その言葉通りネズミがイチゴに囓っている姿が見えた。
するとリタは手で額を押さえていた。
「やはりこうなっていましたか。おそらくあれはネズミイーターですね」
私のイチゴが……。
ふつふつと怒りが増していく。
今日をどれほど楽しみにしていたか。
「雑食ですが、特に果物を好む害獣です。こうなっては――」
途中からリタの声が聞こえなくなっていった。
それほどまで怒りが頭の中を支配した。
まるで悪魔の所業だ。私の大事なイチゴに許すまじ。
「リタ……」
「はい?」
「騎士団のみんなをここに集めてください」
「もうすでに集まっていますが?」
「屋敷にいる騎士達もよ!」
リタは息を呑んで神妙に頷く。
もう完全に私を怒らせた。この地から全てのネズミを追い出さねば気が済まない。
すぐに家に待機していた騎士達も集まり、ネズミ駆除の道具も大量に集めてくれた。
副団長として私がみんなに声かけをする。
「いい、みんな! ねずみのせいで農家の方々が困っているのよ! こんなこと許していいの!」
「ノー!」
「美味しいフルーツを独り占めしたネズミを許していいの!」
「ノー……?」
「ネズミを駆除するまで帰れませんからね!」
「ノォォ!」
みんなもネズミへの怒りを高めてくれたようだ。
どんどん罠や毒の餌をまき、さらに巣を探して騎士達が動き出した。
……領地と食べ物の平和は私が守ろう。
「ソフィア様、ありがたいです」
「こんなに早く動いてくださるなんてね」
農民の方々が集まってきてお礼を述べてくる。
そこで私は一つ思いついた。
「ちょうど良かったです。農家の皆様も全員集めて、ネズミ退治を手伝ってもらいますね」
「え?」
たくさんの村々があるので、周辺住人を集めたら短時間で終わるだろう。
持ってきた道具も予備でたくさんあるため、いっそのこと今日中に根絶してしまおう。
指示出しを他の者に任せて、私も森の方まで向かう。すると騎士達が一生懸命、ネズミを探しているようだった。
だがやはり不真面目な者もいる。
「あー、かったりいな。捕まえても捕まえても終わらねえぜ」
「だな、少しだけサボろうぜ」
「そうしよう――うぉ!」
二人の騎士のお尻を鞭で強く打った。
「私が居ないからっていい度胸ですね」
「そ、ソフィア様!? こ、これは――」
「そこに座りなさい! これがどれほど大事な任務か分かっていないようですね」
言い訳をしようとする二人に喋らせず、その場に座らせてた。
「いいですか! こういう害獣を無視したらいずれ私達の身に返ってくるのですよ!」
未来でも私の領地は特に大飢饉の影響を受けた。
我が家へ押しかける住民の必死さを知らぬから、そんな悠長な顔をしていられるのだ。
しかし、いまだに事の重要さを理解していない顔をしている。
「私たちは貴族ですから食事に困ったことはありません。だけどそれはこの土地の方々が頑張ってくれているからです。この土地が侵略されないのは、貴方たち騎士が頑張っているからです。だからこそ私達は貴方たちが食事や生活で困らないようにする義務があります」
前はもちろんそんなことは考えたことなんぞない。
だけど未来で土地が荒れに荒れたせいで、私達へのバッシングはひどかった。
騎士やメイドが日に日にやめていき、領民の抗議は連日やってきた。
「レン、そしてラビット、二人とも訓練は頑張っていたでしょ。そのやる気を少しでもいいから、ネズミ駆除に向けてくださいませんか?」
これで聞かないのならもう無理矢理やらせるしかない。
すると二人とも固まっていた。
「どうかしましたか?」
「い、いいえ。まさかソフィア様が俺たちの名前を覚えているなんて……」
「当たり前では無いですか。うちの騎士達の顔と名前くらい覚えなくて副団長なんて務まりませんよ」
まあ、未来では全く覚えていませんでしたけどね。だけど今の私は使用人の顔と名前はしっかりと覚えている。
すると急に二人の顔が引き締まった。
「ただちに任務に戻ります!」
「戻ります!」
やる気を取り戻したのか、また道具を持ってネズミ駆除を始めた。
引き締まった顔を見る限り、しばらくは真面目に働きそうだ。
他の者達にも同じように発破をかけてから村へと一時戻る。
そして別の指示を出す。
結局二日がかりの大仕事になり、次の日には即効性の毒の餌で大量にネズミの死骸を発見したため、しばらくは大丈夫だろうという判断になった。
なので――。
「では皆様、無事にネズミ駆除を終えたことに、乾杯!」
「乾杯!」
村の広場を貸し切って、盛大に打ち上げを行う。お酒や食べ物はベアグルント持ちで、近隣の村々も呼んで大きな祭りのように、踊って、騒いでいく。
私も少しだけお酒を飲んでほろよいで良い気分になっていく。
すると村人達が新鮮な野菜を持ってきてくれた。
「ソフィア様、うちで採れたばかりの根菜です。良かったら食べてください」
「いいのですか! ありがとう存じます! ここらへんの土で採れた野菜の味には興味がありましたの。帰ってから楽しみです」
うちの料理長ならどんな食材でも美味しく仕上げてくれるだろう。すると村人達が目を瞬かせていた。
「どうかしましたか?」
「いいえ……ただ、そんなに喜んでもらえるなんて……。領主様が視察で来られるときはソフィア様は同行されませんでしたので、てっきり田舎は嫌いなのだと思っていました」
昔はもちろん嫌でしたよ。虫は多いは、糞の臭いもするし。
だけどお金が無いときには、何度も森に行ってその日の食事を採ったこともあるので、もうそんな偏見はない。
最終手段は虫を捕って食べようかまで考えたこともあった。
「これまでは公務で忙しかったもので……でもこうやって領民の方々と交流できて良かったですわ。またこうやって害獣が出たら教えてください。皆様が領地を支えているのですから」
差し入れをくれた人たちは何度も頭を下げてから祭りに戻っていく。
騎士の皆も疲れを忘れて、楽しく飲んでいるようだ。
「ソフィアお嬢様、そろそろお顔が赤いのでそのへんにされた方がいいですよ。お顔もどんどんにやけてもます」
お酒もまだ二杯も飲んでいないが、私自身はあまりお酒に強くないらしい。
「へへ、そうですね。では帰りま――」
「お嬢様!」
立ち上がった時にふらふらとなってしまい転びそうになった。
するとふわっと体が浮いた。どうやら抱えられたらしく、上を向くとクリストフの顔があった。
「其方は見ていて危なっかしい」
「クリス!」
彼の首に手を回して抱きついた。
酔いが回っているせいがいつもより大胆になっている気がする。
「リタ殿、俺がこのまま連れて行く」
「かしこまりました」
私は彼に抱かれたまま馬車まで運ばれた。
少ししか離れていないが、やはり彼の匂いが近くにあると安心できる。
「俺が動くまでもなかったな」
「はぃ?」
どうやら彼もネズミ退治をしようと現地調査のため来たらしい。
だけどもう問題ないと彼も判断したようだった。
「へへ、私もたまにはやるのですよ。褒めてください」
「ああ。よく頑張った……ところでベアグルントの悪魔が再来した、と村人の一部が怯えていたが何かあったのか?」
そういえば来る前にもそんな噂があった気がする。
「さあ。不眠不休でみんなとネズミ退治をしていたので知りませんでしたわ。サボる人が多いから鞭が大活躍でしたよ」
「其方……まあ、無事に終わったのならいい」
眠くなってしまったため、そのまま彼の膝で眠る。
これで一件落着だ。
私がイチゴを食べられなかったこと以外は……。
しかし後日……。
「たくさんのイチゴがこんなに……!」
箱一杯のイチゴが我が家に届いた。どうやら前に行った農園の人が、他の農園に頼んでお礼ということで送ってくれたらしい。
感激しているとリタは「よかったですね」と微笑ましい顔をしていた。
「せっかくなので使用人の皆さんも一緒に食べましょうね」
少しずつ領民の方々と距離が近くなっていっている気がする。
私も少しは成長しているのかもしれない。




