愛しの姫君
結局彼が思った以上に劇に乗り気になってしまったので、私もヒロイン役として出ることになった。
原稿を渡されたので見てみたが、そこまでセリフも多くないため、ほとんど突っ立っているだけで良さそうだ。
それと比べてクリストフは――。
「素晴らしい! これなら全部任せられそうです!」
リハーサルをしている向こう側はがやがやとしていた。見に行くと、クリストフが迫真の演技をしている最中だった。
「邪竜よ! いくら我が身を焼こうとも屈することはない! 私は死しても、彼女の無念を晴らす!」
初心者とは思えない自信に満ちた演技で、手振りも使って、臨場感を出していた。
彼の役は私と同じ結婚式だけだったのに、台本を一瞬で覚えてしまう才能を見せつけ、主要な部分は彼が担当することになった。
私はというと……。
団長が直々に練習のお手伝いをしてくれる。
「ではソフィア様、この部分を読んでみましょうか」
台本に線を引かれたセリフを口にする。
「ワタシハ最高神ノ――」
頑張ってセリフを読むが、団員達の顔が微妙な顔になった。
……下手でごめんなさいね!
「ソフィア様も素晴らしいです! 少し読みにくいでしょうからセリフを減らしますね!」
すごく気を遣われている気がする。
セリフもどんどん短くなっていき、最初にお願いされた分量より半分になった。
その分の説明をクリストフからされるようになるらしい。自分の才能の無さに泣きたくなった。
もう開始まで一時間切っているため、練習はここまでだ。
「ソフィー!」
練習を終えた彼がこちらへ駆け寄ってくる。あれだけ動いたのに汗一つかかないとは、本当に余裕そうだ。
だけどなにやらそわそわしている気がする。
「ドレスはいつ着るのだ?」
「役の途中で早着替えをするそうです。だからお披露目は最後になりそうですね」
「そうか……」
少し残念そうな顔をするが、どうせ少し後で見られるのだからと吹っ切れていた。
「後半まで別の方が剣聖役をされるらしいので、舞台裏でクリスを応援しておきますね」
「あまり自信は無いが頑張ってみよう。ではまた後ほど」
出番が最初からある彼は団員達に呼ばれて念入りに打ち合わせをしていた。
自分も失敗しないように台本を何度も読む。
すると始まりを知らせる声が聞こえてきた。
「ではこれより、最終幕、来たれ、伝説の剣聖と愛しの姫君が始まり、始まり!」
劇が始まった。最初から出番のある彼はもうステージに立っていた。特別に用意された漆黒の衣装は彼に似合う。
ちらっとどれほど集まっているのかを小窓から見てみると、ものすごい数の観客が椅子に座っていた。
「すごい……こんなにたくさん観に来るのね」
「当たり前さ!」
独り言のつもりだったが返事がきた。隣に並んだギルは自慢げな顔をする。
「うちの団長が考えた最高の劇だからね!」
「これだけ人も多ければ正しいのでしょうね。あっ! クリスの番だ!」
彼がステージに立って堂々と演技を披露する。
観に来ている観客達の中から、色っぽいため息が聞こえてきた。見える範囲でも女性客がうっとりと彼に見惚れていた。
「あの人、顔だけで人気になってるよ。もしかして後で言い寄られるかもね。大丈夫ですか?」
「気にしませんよ。彼はわたし一筋ですもの」
子供相手に何をムキになっているのか。
「って言われていた人が、浮気して怪我したんだよね」
不穏なことを言う。どうやら今回の怪我で出れなくなった理由は痴情のもつれだったらしい。ただ、たとえ役が同じであろうとも彼がそうなるはずがない。
だけど自分に彼を惹きつける魅力が無いことは薄々感じていたので、少しでも自分を高めないといけないのは事実だ。
「でも本当にかっこいい……」
普段は見れない旦那様の一面を見るのも、これはこれでいい。
おそらく一番のファンは自分であろう。どうせなら自分も一番前の席で観たかった。
劇も滞りなく進み、剣聖が殺されしまい、それをクリストフが迫真の演技で涙を流しながら介抱しているところは思わず私も涙が出た。
「うぅ……」
「いいシーンだよな……あそこまでにな――」
ギルから解説をもらいながら、彼の演技をずっと目を追った。
私が死んだときも彼はあのように泣いてくれるだろうか。
「っと、そろそろソフィア様の番だぜ!」
「えっ……もう!?」
劇に集中しすぎて出番を忘れていた。邪竜を倒したところで復活した剣聖と出番を変わらなければならない。
ステージに向かい、出番が変わるまでは良かった。
だが、多くの視線が突き刺さった瞬間に、その人の多さに圧倒されて急に緊張が増した。
――こんなに人って来てたっけ……。
頭が真っ白になっていく。
「ワタシハ……」
それ以上の言葉が出なかった。
クリストフの前に立って喋るシーンなのだが、時間だけ経っていく。
周りもその異変に気付いてきた。
――セリフ忘れたよ……。
だらだらと汗が流れてくる。このままでは劇が台無しになる。
何か言わないといけないのに、全く思いつかない。
その時、クリストフが私の背中に手を回した。
「言わずともいい、愛しの君よ!」
――クリス!?
こんなセリフはなかったはずだ。するも彼はウィンクする。私の代わりにアドリブで進めるつもりなのだ。
彼は私を抱きかかえて、踊るようにステップを踏んだ。
「君が最高神と供に眠りにつこうが、私はかならず君を迎えに行こう!」
彼が喋るたびに周りから、黄色い声が聞こえてくる。そして上手くターンしてから、彼に腰を支えられてポーズを取る。
彼も少し汗をかいており、その乱れた髪にドキッとした。
「また会ったときには姫君になっておくれ」
「は……い」
思わず彼の言葉にときめすぎて頷いてしまった。
すごく恥ずかしいけど、ものすごくいい。
周りからも拍手が鳴り響いて、舞台裏へ移動する。
すると団員達からも拍手で迎えられた。
「よかったです! ハラハラしましたが、とてもいい演技でした!」
団長は興奮した様子でクリストフをベタ褒めする。
彼がいなければどうなっていたか。
私もお礼をしないと。
「先ほどは助かりました。本当にすごいですね。あんなのを即興で演技できるなんて……」
「演技ではないからな」
私の髪を手に取った彼は匂いを嗅ぐ。そして上目遣いで見てきた。
「ちょっとクリス!」
「少し興奮してしまってな。其方の白いドレスを楽しみにしているぞ」
笑った顔を残して、また彼は先に向かう。
――喜んでくれるかな?
ウェディングドレスに着替えながら、彼がどんな反応をするか気になって仕方が無い。
化粧を手伝ってくれた女性の団員が、うっとりした顔でため息を吐く。
「ソフィア様って本当にお綺麗ですね。まさかこれほどドレスが似合うなんて……」
「大げさですよ」
「いえいえ! 絶対に綺麗ですって! 猊下も見たらとてもお喜びになりますよ!」
そうだといいな、と思いつつ鏡で自分の姿を見てみた。
ふんだんにレースを盛り込んでおり、可愛く仕上がったドレスに私も悪くはないのではないかと思えた。
――落ち着いたら、本当の結婚式したいな……。
私達は書類だけで結婚をしたので、まだ式は行っていない。もちろん絶対にしないといけないわけではないが、やはり一度は経験したいと思うものだ。
もう少し落ち着いたら、彼と話し合うのもいいかもしれない。
「次こそはやるぞ!」
とうとう私の番になったので、今回こそはしっかりと与えられた役をこなしてみせる、と意気込む。
彼は背中を向けて誰かを待っている風を装っていた。その背中に向けて足を進める。
すると私の気配に気付いたかのように振り返った。
振り返った彼は目を大きく見開かれ、そして息をのんでいた。
そして小声で話す。
「本当に綺麗だ……」
彼は膝を突いて私の手を取った。
「待っていた。私の愛しの姫君。どうかそのベールの下を見せておくれ」
彼は立ち上がってベールを上げた。すると彼は尋ねてくる。
「どうしたのだ? 下を見つめていたら顔が見えない」
「だって……」
恥ずかしくて思わず顔が下を向いてしまったのだ。
「似合っていますか?」
すると彼はまるで慈しむような目で顔をさらに近づけた。
「ああ。このまま独り占めしたいくらいにな」
ゆっくりと唇を合わせる。
――ちょっとクリス!
本来、ここはキスしている風を装うだけで良かったが、彼はそんな台本はお構いなしに、この場に居る客達へ見せつけるように、私へ情熱的なキスをし続けた。
周りから拍手ももらい、文句なしのフィナーレを迎えるのだった。




