親か妻か
魔女として囚われの身になった私のところへ、大司教がやってきた。しかし彼の正体は未来で国を荒らした組織のボスだったのだ。
いつも顔が見えないように仮面を付けていたが、この雰囲気と低い声には覚えがある。
焦りが見えないように慎重に尋ねる。
「どうして大司教である貴方が、組織なんかで悪事を働くのですか?」
目の前に立つ大司教ガハリエは笑みを浮かべたままだ。すると私の体はまるで金縛りにあったかのように動けない。声も出せなくなった。
「私はやかましい女は好きではない。そのまま静かにしたまえ。美しさは静かさによって引き立たせられる」
彼の手が頬をなぞる。そのたびに鳥肌が立つ。人の好意がこれほど気持ち悪いと思ったのは初めてだ。
「あの夜にクリスが来なければそのまま連れ去りたかったのだ。分かるか、私のこの劣情を。罪な女だ」
彼は私の体を押してベッドに倒す。少し距離が離れたせいなのか、言葉が出るようになった。
「やめて! もう私はクリスの妻です!」
これからこの男が何をしようと考えているのか理解してしまった。少しでも良心へ訴えようとしたが、この男はさらに恍惚な顔を浮かべるだけだ。
「だからどうした。人の尺度なんぞで語るでない。だが今日だけは許そう。記念すべき初夜は男側が全てを許す日だ」
話にならない。
逃げたい、そう思っても体が動いてくれない。私に覆い被さり、匂いを嗅ぐように首に顔をうずめる。
吐き気をもよおす気持ち悪さに、クリストフに助けを心の中で何度も呼んだ。
死ぬのはいい。だけどクリストフ以外に抱かれて死ぬのだけは、死ぬよりも嫌だった。
動けない自分が嫌で、目元が熱くなっていく。
「おやおや、涙とは……まだ君は立場を分かっていないようだな。もう君は私の元でしか生きられない。魔女とバレてしまっては、君を待っているのは断頭台だけだ。その筋書きを書いたのは私だがね」
ガハリエの手が私の服をまくり上げる。クリストフ以外にまた肌を晒す屈辱。殺したいと思っても動かないこの体に苛立ってしょうがない。
「魔女の刻印はまだまだ六芒星にはほど遠いな。おや? 今一本だが線が繋がったな。もしやそなたの感情とリンクしているのか」
何か考え事をするガハリエ。嫌なひとときは体感時間を長くする。おぞましい存在が早く消えて欲しくてたまらない。
するとガハリエは何か思いついた顔をする。
「知っていますか、ソフィアさん? 私が正教会へ伝えた神聖術は魔女と相性が良いのですよ。破壊の衝動は体の感度を良くする効果もあります」
この男が何をしようとしたのか一瞬で理解した。だけど逃げたいのに体が動かない。
「嫌っ! やめて! やめて!」
だが私の悲痛な叫びは彼をさらに興奮させるだけだった。彼の手が胸の下の刻印に触れる。
すると耐えがたいほどの快感が押し寄せてくる。体が動かせないため、歯を食いしばって快楽に耐えるしか無い。
「いい表情だ! やはり君も求めているのではないか!」
無理矢理にされて良いも悪いもあるか。こんな男に感じさせられているなんて絶対に認めない。
「美しい肌をしている。クリスにはもったいない。どうせあの子はまだ手を出せていないのだろ?」
肌を指で触られるだけで、声が漏れそうになった。
耐える私の反応をこの男は楽しんでいた。
「刻印に神聖術を掛ければ、さらに早く魔女へと目覚める。楽しめる時間は減りますが、狂人となった君を動けなくしてから楽しむのも一興。狂った妻なんて私しか嫁のもらい手なんていませんよ」
恐ろしい考えをする。この男は妻とは消耗品かなにかと勘違いしているのではないか。考えがもう人とは異なる。
密室のこの状況では誰も私を助ける者はいない。
だが一つだけ道があった。
――助けて!
クリストフへの願いも込めて、一生使わないと心に決めた禁を破る。
欲に支配された頭をどうにか振り払い、体に流れる不思議な感覚を操った。
バンっ!と部屋の窓側の壁が爆発を起こして、外が丸見えになった。
「魔法ですか……まさか覚醒し始めたばかりですぐに使えるとは、想像以上に優秀ですね」
この男に放ちたかったが、私も巻き添えを食らうため出来なかった。
それにこの男に絶対に効くという保証もない。
だが今の爆発音を聞けば、誰だって異常が起きたと分かるはずだ。
どうか彼に届いて――。
「もう少しだけいじめて反応を楽しみたかったのですが、もっと壊した方がいいかもしれませんね」
ガハリエが指を鳴らすと、風景が変わった。一瞬の浮遊感があったため、私達が移動したが正しいようだ。
そこもどこかの部屋の一室のようだ。
「ここは最上階の私の部屋ですよ。私を誘惑するから当初の目的とずれるところでしたよ」
勝手な言い分に心底腹が立つ。全てが自分中心で回っているこの男を人の尺度で測るのは間違っているのかもしれないが、それでもこの男をクリストフと同列に見ることはないだろう。
「ん――!」
口を塞がれているような声が聞こえる。誰かいるのかと首を動かすと、そこには聖女セリーヌが縄で縛られ、口は猿ぐつわを嵌められていた。
「セリーヌ様!? どうして……」
答えは簡単だ。この男はセリーヌを始末しようとしているに違いない。だが未だに殺していないのはどういうことだ。その答えをガハリエが言う。
「君に覚悟を決めさせるためさ」
倒れている私をガハリエが力ずくで起こす。そして私の手に剣が出現した。
「聖女殺しは君がするといい。目障りなこの女は私を魔女の始祖と疑っていてね。たかってくるハエは振り払うようにしているのだ」
セリーヌは元々魔女に対してよく感が働くと未来でも聞いていた。しかしその直感が悪い方向へ作用してしまったのだ。
「人を殺すのは狂人を作る最初の一歩だ。これでもう逃げられない。指紋もその剣に残る。君は聖女を殺した大犯罪者になれるのだ」
「ふざけないで! 私だけ狙えばいいでしょ! どうして他の人を巻き込むの!」
おそらくリタの件もこの男が絡んでいるはずだ。彼女を苦しめた呪いは、ボス自ら使っていたものだ。
だがガハリエは全く私の話を聞かず、後ろから体に抱きついてきた。
「これで君は私の場所しか居場所はない。この距離なら君もさっきのは使えないだろ? 部屋も魔法でコーティングしたから君程度の魔女では壊して周りに知らせることもできない」
「悪魔め……」
こんな言葉しか言えない自分の無力さが憎い。体が勝手に動き出して、セリーヌの前まで立つ。
そしてガハリエ自ら私の腕を振り上げさせた。
「初めての共同作業は聖女殺しとは、私の素晴らしき企画力はまるで神の采配。正教会での遊びも楽しかったが、しばらくは君で遊べるのならそれでいい。悠久の中のひとときでしかないのだからね」
セリーヌと目が合うと、彼女は怯えることなく私を見ていた。その目はまるで全てを許すような慈愛の目だ。やはり本物の彼女と偽物のこの男では、目の綺麗さも違った。
こんな男に屈しない強い女性だ。
だが体の自由は奪われ、無力にもこの男の思い通りになってしまっている。
腕が勝手に下ろされようとした時――。
後ろの壁が大きくドゴーッン!と大きな音を立てて壊れていた。
「何事だ?」
ガハリエも予期しないことが起きた。壊れた壁に手が掛けられ、黒い髪が見えた。
そして軽い身のこなしで部屋へと待ち焦がれた人が来た。
その彼は、クリストフはまた危機一髪で助けに来てくれた。
「ソフィーいるか!」
「クリス!」
ずっと待っていた彼が来てくれた。早くこの男を倒してくれと言おうとしたが、また私の口が動かなくなった。
ガハリエは私の腕を掴んだまま、悲痛な声を出す。
「クリス、君は危険だ! この娘は聖女様を攫って殺そうとしたのだ!」
ここにきて大嘘を吐く。だが否定しようにも私もセリーヌも言葉が出せない。
小さな声が聞こえてくる。
「さてどちらを信じるかな。育ての親か妻か。答えは決まっているがな。どれほどあの男に時間と手間を掛けたと思っている。ソフィアさん、君は頼みの綱が切れた時、どんな顔をするのか楽しみだ」
この男がクリストフを育てたといっても過言では無いので、この状況ではこの男を信じてしまうかもしれない。
だがクリストフは一瞬のためらいなく、もうすでに目の前までやってきていた。
「俺の女から離れろ!」
彼の拳がすさまじい速度でガハリエの顔を捉えた。




