子供の言い訳
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どうして王太子である僕がこんな屈辱を受けないといけない。
苛立ちで何かに怒りをぶつけたくてたまらない。
あの司祭が僕の彼女を奪わなければ全てが上手くいくはずだったのに。
パーティーを抜け出して、僕は廊下を一人歩く。あの場に残っていては気が狂いそうだ。
他の令嬢達からの誘いを受けたら、まるで負け犬のような人生を送ることになるため、絶対に受けたくない。
「どうして彼女もあんな男を選ぶのだ」
いつの間に交流を深めていたのかも謎だった。僕の誕生日の前日までは彼女も僕を慕っていたはずだ。
何かあるはずだが、でもその理由が分からない。
「もしかしたら脅されているのか? だがソフィアをどうして選ぶ?」
いくら考えても答えが出てこない。その時、ランプの光が廊下を照らすのが見えた。
この時間に王族以外がここを歩いているのなら不審者かもしれないため、とっさに僕は身を隠した。
だが一人だけではなく、誰かと話をしている声が聞こえた。
「大切なパーティー中に陛下のお時間を取って申し訳ございません」
「構わない。其方も帰還したばかりなのに、もてなしもせずすまないな、ベアグルント公爵よ」
――ソフィアの父君だと!?
父上が相手の名前を出して俺は動揺した。遠征に行っていたはずの彼の父親が帰ってきていたのだ。今なら今回の婚約破棄の理由を知れるかもしれない。
「おや、今ここらへん音が聞こえませんでしたか?」
ソフィアの父君が辺りを見渡しているようだ。僕は息を潜めてバレないように姿勢を低くした。
「気のせいであろう。其方は戦場から帰ってきたばかりで、戦いの気分が抜けていないだけでないか」
「それでしたらいいのですが」
また二人は歩き出す。バレずにホッとしたがこの時間に二人で話すのなら大事な話に違いない。
僕はこっそりと二人の後を追いかけた。
~~☆☆~~
クリストフから半ば追い出されるように部屋から出た。
いつもの余裕げな彼とは思えないほど弱っていた。
だけど私では支えにならないようなので、今は大人しくするしかなかった。
「ちょっと風に当たってこよう」
廊下の先にバルコニーが見えたので、気分を変えに向かおうと思う。
クリストフの部屋から出てバルコニーまで歩く。
すると先客がいるようで、外を眺めている長い金髪をなびかせている男性がいた。
白いローブを纏っているのでおそらくは神官だろう。このフロアにいるのなら大神官以上であるはずだ。
あちらも私に気付いたようで振り返った。
柔らかそうな雰囲気を持つ男性で、私を見て微笑んでいた。
「おや、こんばんは。ソフィア・ベアグルントさんですね」
「どうして名前を!?」
顔なじみでもないので、すぐに私の名前を当てられたことに驚いた。だけど目の前の彼は「簡単ですよ」と言う。
「クリスの奥様ですから」
クリストフを親しげに呼ぶ間柄。やっと私は目の前の男性に見覚えがあるのに気付いた。洗礼式で聖典を呼んでいた男性が頭に浮かんだ。
「もしかすると、大司教様ですか……?」
「ええ。申し遅れましたね。私はガハリエ・セラフィンと申します」
一気に眠気が全て吹き飛んだ。
クリストフの上司であるため私は急いで姿勢を正して挨拶をし直した。
「大変失礼しました。こんな夜更けにいらっしゃるとは思わず、大変ご無礼を働きました」
だが彼は手で頭を下げるのを止めようとする。
「気にしていませんよ。せっかく綺麗な星の下にいるのですから、私だけ独り占めするのはもったいないと思っていたくらいですから」
あまり身分の差というものを考えていない方で助かった。だけど私のせいでクリストフに対する評価が下がることだけは避けなければならない。
しかし私が子供の頃から彼は姿が変わらず、若々しいままだった。
髪だってさらさらだし、肌つやも良さそうなので、少しだけ羨ましいとさえ思えるほどだ。
「クリスがまさかソフィアさんとすぐに結婚を決めたことに驚きました。ずっと仕事人間でしたから、家庭を持てば少しは加減を知ってくれるでしょう」
上司から見てもやはりクリストフの印象は変わらないようだ。そして手を頬に当てて喜ばしそうな顔を見せる。
「彼は私があの日に助け出してから、いつも死にそうな顔をしておりましたからね。生きる糧が出来たのは喜ばしいことです」
「大司教様がお助けになったのですか?」
これはもしや彼の過去を一番知る人物ではないだろうか。もしかしたら彼の過去を全部知れる良い機会かもしれない。
「そうですよ。あの日は偶然にも珍しい薬草の採取をしておりましてね。まさかあのような爆発が突如として襲うなんて、まさに魔女の所業。正教会としても防ぐことが出来ず遺憾です」
ズキッと心が痛む。私もその魔女の一人なので、もしかすると私も彼に二度目の惨劇をもたらすかもしれないのだ。
「おや、少し顔色が悪いですが大丈夫でしょうか?」
セラフィン大司教が私を心配そうにのぞき込んでいた。これ以上は私もボロが出そうだ。私はなるべく平静を保ちながら答える。
「はい。少し夜風に当たりすぎたみたいです。そろそろ眠らせていただきます」
もっと彼の話を聞きたいが、また機会もあるだろう。しかしセラフィン大司教は残念そうな顔をする。
「そうですか。それは残念です。最後に一つだけ聞いてもよろしいですか?」
「はい、なんでしょうか」
「クリスとは本当に愛し合って結婚をしたということでお間違えないですか?」
またもやこの手の質問が来た。やはり不自然な私達の結婚にはこうした疑惑が常につきまとう。
ここで迷って言い淀んではいけない。だが私の代わりに別の人が答えた。
「もちろんですよ、大司教」
いつの間にかクリストフがバルコニーまでやってきていた。
彼は歩き出して、大司教を越えて私の元まで来た。そしてローブを私へ着させてくれた。
「謝ろうと思って部屋に行ったらいないから心配したんだ」
「ご、ごめんなさい」
「別に怒ってはいない。ほら、ここのバルコニーは冷えるから側にいろ」
彼は私の肩を抱いて胸へと引き寄せた。
「セラフィン大司教、ドラゴンの巣の破壊は無事完了いたしました。報告は別の者に任せているので報告書を後ほどお受け取りください」
「ええ。もう少し掛かると思っていましたが、流石は私の教え子です。ソフィアさん、私の話はお忘れください。この子が怒りそうだ」
セラフィン大司教はお辞儀をして廊下を戻っていく。残った私たちも部屋まで歩きながら話す。
「ごめんなさい、勝手に廊下へ出てしまって……」
「別に其方の行動を規制するつもりはない。たださっきは心配してくれる其方を無下に扱ってしまって本当にすまなかったな」
彼は心底落ち込んだ顔をして私を見下ろす。普段とは違う彼の顔はちょっと可愛らしい。
「いいですよ、誰だって辛い時はありますから。もし助けが欲しいときがあればいつでも頼ってくださいね」
頼り甲斐がない私に彼が当てにするとは思えないが。また部屋に入って、お互いに部屋が分かれる。
「では私はこのまま寝ますね」
「ああ」
少し寂しそうにする彼だが、このままここにいても仕方が無い。名残惜しくも寝室に入ろうとしたら、彼が私の手を離してくれず引き戻された。
「クリス?」
「ん……ああ、すまない」
心ここにあらずの彼は私の手を握っていることすら忘れているようだった。まさかさっきのことで未だに責任を感じているとは。
「ソフィー、一つの提案だが耳を貸してくれるか?」
彼は声をすませてきた。何やら深刻そうな顔をする。どんな話なのか気になって耳をすませる。
「ええ、いいですよ」
すると彼は小声で話し始める。
「一緒に寝てはいけないが偶然にもだ。私がソファーに座っていて、君が偶然にも寝ぼけて俺の膝の上に頭を乗せてしまうのは不可抗力だと思わないか」
「はい?」
私は思わず何を言っているのだと、彼を見てしまった。まるで子供の言い訳みたいなことを思いつく彼がおかしくてたまらない。だけど彼は妙案だと言いたげな顔をしており、もし犬の尻尾があれば振っていそうだ。
「もうそれなら黙って部屋で一緒に寝るのはいかがですか?」
「それは規則でならん」
変なところで頑固だ。だけどそれでは彼はずっと座った姿勢で眠ることになる。
「私は構わないですが、クリスは座ったままで辛くないのですか?」
「修行で山の中で野宿したときはよくあった。それに比べたらソファーがあるだけで天国だ」
彼はどんな生活を送ってきたのだ。だけどそれで彼が満足するのなら別に受け入れてもいい。
「ではブランケットだけ持ってきますね」
私は寝室からブランケットだけ借りて、彼が待つソファーに向かった。
「掛けてあげるから、それを渡しなさい」
私は彼にブランケットを渡し、彼の膝に頭を乗せて天井が見える姿勢になった。枕にしては固いが許容範囲だ。
そして彼はブランケットを掛けて私を包んでくれた。
「本当にこんなので満足なのですか?」
「ああ。其方の寝顔が見れるのだからな」
私の前髪に触れて、横へ流す。なんだか気恥ずかしい。
「ところで大司教とは何を話していたのだ?」
「クリスのことですよ。あのお方がクリスの恩人って聞きましたよ」
「確かにあの人のおかげで俺はこうして生きている。返しきれない恩ばかりだ」
「そのわりには複雑そうな顔ですね」
彼の顔はどこか悲壮な顔をしている。
「其方が大司教と話をしているから嫉妬したのだ」
「それって私が簡単に別の人を好きになるって言いたいのですか?」
頬を膨らませると、彼は「失言だ」と顔色を悪くする。
「大司教は俺より何倍も上の男だ。年齢は重ねているとはいえ、今でも顔は若く、そして人格者ときた。それに比べて未来のことがあるから君はまだ俺に怯えるだろ?」
正直に言えば、まだ彼が恐いと思う時もある。だからといって彼から離れようとは今さら思わなくなっていた。
「なら早くそれを上回る思い出で埋めましょう。私はまだ美味しい物を少ししか食べていないのですから。クリスは私の夫なのですから、私のわがままに付き合ってくださいよ」
それを聞いた彼は目を見開く。そして優しく私の頭を撫でた。
「そうだな……さて、そろそろ寝よう」
「ええ、おやすみ、クリス」
「おやすみ、ソフィー」
彼の撫でる手がどんどん心地よくなっていき、私はいつの間にか寝てしまった。
どうしてか彼はこんな体勢でも今日はぐっすり寝ている気がしたのだった。




