悪夢
ダンスを終えて、私は美味しい料理を食べていた。
今日は結構動いたので、いつもよりお腹が空いているのだ。
「ソフィー、こちらのお肉も絶品だったぞ」
クリストフが料理をお皿で運んでくれた。私はそれをもぐもぐと食べる。
「あっちもよかったからこれもどうだ」
どんどん持ってくる彼のおかげで十分お腹いっぱいになった。まるで餌付けされているみたいで少し恥ずかしかったが。
「そろそろワインが飲みたいな」
先ほどから甘いジュースしか飲んでいない。
過去に戻ってからは全くお酒に触れていない。今日はクリストフも近くにいるから、少しくらい酔ってもいいだろう。
私はワインをもらうためにウェイターを呼ぼうとしたら、クリストフから肩を持たれた。
「今日は大聖堂に泊まるのに飲んではならん。禁止はされておらんが、誰かに見つかったらあまり良い目をされんからな」
「そんな……」
みんなが美味しそうに飲んでいる姿を見たら、私も欲しくなってくる。
だけど今日は運が無かったと諦めよう。
「しかし意外だな。お酒が好きとは知らなかった」
「ものすごく好きなわけではありませんが、高いお酒は味が違うと聞きますので、どうしても比べてみたかったのですよ」
未来ではお金が無かったので安いエールくらいしか飲んだことはなかった。
だからこそ一度は美味しいお酒というのを飲んでみたいのだ。
ちなみに彼はどうなのだろう。
「クリスはよく飲むのですか?」
「嗜む程度にな。だが俺は司祭だから、隠れて一人で飲むだけだ」
普段から清く正しく生きる彼らしい。それならと私は提案する。
「それなら今度、二人で飲みましょうね。私の屋敷なら誰にも見られませんし」
それなら彼も思う存分飲めるだろう。彼もまた頷いて「楽しみだ」と笑っていた。
その時、誰かがこちらへ来ているのが見えた。
「ソフィアさん、お元気そうで何よりですわ」
私を呼ぶのは同じく公爵家のブリジットだ。彼女は翡翠の髪を指で遊んでおり、落ち着かない様子だった。
「そちらもお元気でよかったです」
狩猟大会で動物が暴れたせいで、彼女は命を落とすところだった。
原因は私の魔女の性質のせいで起きたため、彼女に合わせる顔がなかったのだ。
「私の派閥からは今回のリオネス殿下の件は噂すら禁じたから安心してください」
「そうなのですか? それはとても助かります」
彼女も公爵家として私の家と並ぶ大貴族なため、彼女が手綱を引いてくれるならとてもありがたい。
私は信頼を失っている最中のため、派閥があってないようなものなのだ。
「もちろん、こんなので命を救ってもらった恩を返してもらったと思っていないわよ。もし良かったら今度のお茶会でおもてなしさせてくださいませんか」
「えっ、いいのですか!」
私は思わず彼女の手を握って再度確かめる。いわばお友達を作るチャンスということだ。
「ええ。ちょうど今度のドレスの布の選定もしますので、興味があればですけど」
「それは絶対に行きたいです!」
ドレスの布選びは今年の流行を決めるので、是非とも参加しておきたい。
そこで私は守られる立場にあることに気づき、クリストフへ確認を取らないといけない。
「クリス、行っても大丈夫ですか?」
「其方の好きにするといい。ブリジット殿、彼女は今危ない者達に狙われている。邪魔をするつもりはないため、どこかで待たさせてもらえないだろうか」
クリストフを待たせて私だけ参加するってものすごく居心地が悪くなりそうだ。
だけどブリジットは「ぜひクリストフ猊下もご参加ください」と彼の出席も許可してくれた。
彼もそこで断ることはせずに受け入れてくれた。
「ではまた日程が決まりましたらご招待しますわ」「はい!」
彼女に手を振って別れた。とても楽しみだとうきうきになっていた。だけど彼は不思議そうな顔をしていた。
「ソフィーとブリジット殿は仲が悪いと聞いていたがとてもそうは見えないな」
「悪いというより、お互いの家の事情でそうなっているだけですよ」
やはり同じ騎士の家系のため、ライバルとしてお互いを高め合ってきたのだ。親がそうであるため、どうしても子供の私達もお互いに意識をした。
「彼女の家と仲良くなるのは得策だろう。其方はやはり彼女を救おうとしているのだろ?」
彼は、流石はソフィー、と褒めているように感じた。
はて、何のことを言っているのだ
私はそこで彼女の家に何が起きたかを思い出した。
少し先の未来で、彼女の領地は突然の獣の暴走により、領地が悲惨な目に遭ったのだ。
そこで彼女自身も命を落とす。あやうく忘れたままだった。
「もちろんですよ」
今思いついたことだが、彼に失望されたくなかったのででまかせを言う。
彼には私が心を入れ替えたと言っているのだ。
しっかり心のメモに書き込んで、彼女を助けることもしっかり覚えておかないといけない。
「ではそろそろ帰ろうか。今日は疲れただろ?」
「そうですね。では……」
ふと彼の顔を見て気付いた。超人の彼らしくないほど、疲労が顔に出ている。
それもそのはずだ。彼は今日のパーティーに間に合わせるため、ドラゴン退治後にすぐさま来たのだ。ほとんど寝ていないに違いない。
私は自分のことばかりで彼の体調を気にしていなかったことを恥じた。
「ええ。帰りましょう」
なるべく早く帰って少しでも彼を眠らせないと辛そうだ。
私達は馬車に乗って大聖堂へと向かう。座って初めて疲れが押し寄せてきた。
「今日も色々ありましたね」
「そうだな」
普通の返事だが、やはり少し気が抜けているようだった。
「クリス、少しだけ横になったらいかがですか?」
「もうすぐ着くのだから大丈夫だ」
「いいから、いいから」
私は嫌がる彼をこちら側に倒して、頭を太ももの上に乗せた。
いわゆる膝枕だ。彼は起きようとするので、それを阻止する。
「流石にこれは子供っぽい。それに俺の頭は重いだろ」
「これくらい大丈夫ですよ。それに大聖堂についたら別々の部屋になるのでしょ? それなら今だけでもこうさせてください」
そう言うと、クリストフは恥ずかしがりながらも、寝た姿勢のままになった。
「何を言っても無駄そうだな。ならお言葉に甘えよう」
もっと抵抗するかと思ったが、やはり疲れていたようで彼はすやすやと眠りに落ちた。気持ちよさそうに眠る彼の横顔は可愛らしい。馬車も大聖堂前に着いたが、御者にお願いして止まったままにしてもらった。
だけど彼はすぐに起きた。
「すまぬ、寝過ぎたようだ」
「三十分も寝ていないですよ。もう少しこのまま眠ったらいかかですか」
「君の足は心地よすぎる。ずっとこのままでいたいとおもってしまうほどにな」
何を言ってもこれ以上は眠ってくれそうにないので、仕方なく私は彼が頭を起こすのを止めなかった。
「仕方ない――んぐっ!」
ため息を吐いたタイミングで口を塞がれた。彼の顔がいつの間にか目の前に来ていたのだ。
そして短い時間の後に彼は離れた。
「大聖堂内では許されないからな。その前に其方を久々に味わいたかったのだ」
「だからっていきなりすぎですよ!」
予想していなかったため、ドキッとする私の気持ちを知れ!
彼は朗らかな笑いを浮かべて、実に元気な顔に戻っていた。
私達は馬車を降りて、目の前にそびえ立つ大きな大聖堂の前に立った。
正教会の威光を示すように大きく、私は改めて緊張してきた。
「では行こう」
彼が先頭に中へと入る。一階は教会も入っているため、一般の人たちが入れるスペースになっており、二階は執務室。三階は男性神官の寮、四階は女性の寮、五階は大神官以上の個室だ。
階段を上るだけでいい運動になる。
「大丈夫か、ソフィー?」
私はぜえぜえと息切れを起こした。
ヒールの靴から普通の靴に代えてもらったが、それでもやはり体力の無さが出てしまった。
「大丈夫ですよ。これくらいなら……」
やせ我慢だが、こんなことで彼に余計な心配をさせたくなかった。
やっと彼の部屋にたどり着く。やはり司祭の部屋ということもあり、彼の部屋だけは大きくスペースを取っていた。
中にはいくつも部屋があるらしい。
「其方は俺の部屋で寝るといい」
「はい。クリスは書斎で眠るのでしたよね」
「ああ。だが心配するな。よくそこに籠もるから仮眠用にベッドを置いてある」
――仕事人間め!
よく働くが、それでは楽しみなんぞないではないか。今だってずっと私と側にいて自由という自由がないのに。
そんな彼は私の気持ちを知らず、彼の部屋の案内をする。
「部屋は自由に使っていい。後で世話役も何人か呼ぶから待ってくれ」
「お気遣いありがとう存じます」
「それと夜は大聖堂内とはいえあまり出歩かないようにな。特に若い者達には目に毒だ」
はて、どういう意味だ。別にいかがわしい恰好なんてするつもりはない。
だけど彼がそういう意味で言ったわけではないだろうし。
すると彼は私の髪を手ですくう。
「其方は自覚がなさそうだな。こんな可愛い女性が現れたら、まるで女神が現れたと錯覚して、よからぬことが起きるかもしれないだろ」
どうやら彼なりの心配らしい。私は「出ませんよ」と念のため答えた。
彼は「結構」と部屋から出て行き、それからしばらくして私の世話係達が化粧落としや入浴の準備をしてくれる。
そういえば私とクリストフが同じ部屋にいてもいいのは何時頃なんだろうか。
私は目の前にいる世話係の人に聞いてみた。
「零時まででしたらご自由に出入りは大丈夫です。ただそれを過ぎたら日が見えるまでは男女が同室にいるのは禁止されております」
まだ時間まで余裕もあるため、眠る前に一言くらいおやすみを言いたい。
魔女の印がバレないように、体は自分で洗うと伝えてしばらく一人の時間を過ごす。
そして後はパジャマに着替えて眠るだけだが、まだ零時まで少しだけ時間もあるため、彼に会いに行こうと思い立つ。一度部屋を出て、向かい側の部屋が彼の書斎へ向かった
「クリス、起きているかな」
私はノックをしようとした時、部屋からうめき声が聞こえてきた。
「やめろ……やめてくれ……」
クリストフの悲痛な声が部屋の中から聞こえてきた。彼がこれほど弱々しい声を出したところを聞いたことがなかった。
何かあったのかと許可を取らずに部屋に入ると、苦しそうにしている彼の姿があった。
部屋には彼以外には誰もいないため、どうやら夢にうなされているようだった。
「前に寝たときはこんなことなかったのに……」
とりあえず私は彼の近くにいく。顔から大量の汗をかいており、悪夢にしてはうなされすぎだ。
「やめろ、家族を返せ……」
あまりにも悲痛な彼に手を伸ばそうとした。
だが彼の手が私の腕を逆に引っ張った。
「きゃっ!」
彼が馬乗りになって私を見下ろした。見上げた彼はまるで獣のように目を血走らせているように見えた。だが次第に私と認識して、その目が和らいでいた。
「ソフィー……どうしてここに……」
「クリスのうめき声が聞こえてきたから、何かあったのかと心配したのですよ」
彼はバツが悪そうな顔をする。私を解放してくれた。お互いにベッドに座り直す。
「其方にはこんな不甲斐ない姿を見せたくなかった。こんな時に昔のことが夢に出てくるとはな」
私は前に彼の背中を見た。その火傷は治ったとはいえ、今も痛々しく痕を残していた。
一生消えない傷が彼にはまだあるのだ。
「気にしないでください。クリスはいつも真面目すぎるんですよ」
だが彼は自嘲気味に笑った。
「ふっ、まじめか。そんなかっこいいものではない。ただ悪夢を忘れていたいから、修行に打ち込んだだけだ。寝ればまたあの日のことを思い出すかもしれないからな」
私が小さい頃に彼の領地は謎の爆発で辺り一帯が焼け野原になった。
領民もたくさん死んで、彼の屋敷は原型を留めてなかった。
生き残ったのは奇跡だと言われているほどだったのだ。
「だからそれを忘れるためにずっと働き続けてきたのだ。笑えるだろ、いくら周りがストイックだ、何だの言っているが、ただ寝るのが恐いだけなんてな」
「そんなこと――」
「ソフィー!」
私は否定しようとしたが彼は止めた。弱さを見せたくない彼は私に顔を合わせない。
「俺は大丈夫だ。もうすぐ零時になる。明日になれば元の俺だ。心配するな、俺はもう其方まで失うつもりはない」
いつもの彼と同じ言葉なのに、初めて安心では無く不安を感じた。それは彼が弱そうに見えたのではなく、私は彼の支えには決してなっていないことに。




