二人の答え合わせ
突然、クリストフは私と離れることを告げる。
組織のボスから狙われているのに、彼無しで今後も無事でいられる自信が無かった。
その代わりに彼の部下であるアベルを残してくれるらしい。
でも安心できない。
クリストフはそんな私の気持ちを知らずに話を続けていた。
「すぐに片付けて帰ってくる。その間は俺の腹心であるこいつを側に置く。好きに扱っていい」
「よろしくねー」
アベルを信頼しているのだろう。
しかしやはり未来のことがあったので、神官と一緒に行動するのは不安があった。
アベルはその紹介だけですぐに帰っていった。
残ったクリストフは、私をベッドに座らせて、彼も隣で私の体調を見てくれた。
「体はその後も異常は無いな?」
「はい。それよりも……」
あのキスの意味はなんだったのかを知りたい。
彼は私のことをどう思っているのか。やはり朝にキスのようなことをされたのは、幻では無かったのだ。
「どうかしたか?」
クリストフはあんなことがあっても何も無かったかのように平然としている。
気にしているのは私だけのように感じてしまい、とたんに恥ずかしくなった。
「今日は一緒に眠りますか?」
一気にすっ飛ばして直接的なことを言ったことに気付いた。私は自分の発言に後悔しながらも、彼の反応を待った。
だが彼は急によそよそしく立ち上がった。
「昨日、神聖術を掛けたばかりだから不要であろう」
「そうなのですね……」
初夜は供にしたとはいえ、私と彼は男女の関係ではない。
だがあのキスの意味だけは知りたかった。
「さっきのキスはどういう意味だったのですか?」
彼はこちらを見ずにまるで石像のように止まった。
そしてゆっくりと息を吐き出して、そのままドアまで歩いて行く。
そして一言だけ残す。
「あれは気の迷いだ。忘れろ」
バタンとドアを閉じて出て行ってしまった。
私は引き留めることもできず、当たり前の結果に笑いそうになった。
「そうよね。馬鹿みたい……」
彼と私は本来は敵同士。これから善行を重ねようとも過去の悪行がなくなるわけではない。
急に重くなった体を休ませるためにベッドに横になった。
ベルメールが夕食の時間を知らせに来たが、体調が悪いことを伝えて、そのまま寝かせてもらう。
「寝れない……」
体は疲れているのに全く眠れずにいた。仕方なく私は紅茶でも淹れようかと、起き上がろうとした。
その時、部屋の外からドタドタと足音が聞こえてきた。
「ソフィー、いくつか体調を良くするハーブを買ってきた!」
ドアを開けて決死の形相でクリストフが入ってきた。後ろからベルメールが「病人がいるのですから、もっと落ち着きなさいませ!」と叱る声も聞こえてくる。
体を起こしていた私と目が合い、彼はすごい速さで近づいてきた。
「さっきは問題ないと言っていたのに、急にどこか痛みだしたのか?」
「い、いいえ! ただ急に色々と不安が襲ってきてしまって……」
貴方のことを考えていたせいですよ、と正直に言えればよかったのに。
だけど私はその言葉が出せずにただ黙るしかなかった。
しかしその後ろでベルメールがわなわなと震えていた。
「だから申したではないですか! 危険な目に遭ったばかりなのに、奥方を一人にしてどうするのかと!」
ベルメールはクリストフへ叱りだした。彼もベルメールへは言い返せないようで、これまで見た中で一番弱々しくなっていた。
「すまない、俺がもっと気を遣うべきだった」
心配するように彼は私の膝元に座って、私の脈を測り出す。
正直彼を意識しすぎて、今の距離感だとものすごく脈が速くなっている気がした。
ベルメールは「お邪魔そうですねので、失礼いたします」と部屋から出て行った。
残ったのは私と彼だけだ。
そして彼はベルメールがいなくなってから、言いづらそうな顔で切り出す。
「もしかして先ほどのキスが嫌すぎて体調が悪くなったのか?」
彼からその話をされると途端に体温が上がってきた。どう答えようか悩んでいると、彼は頭を下げる。
「本当にあれは俺がどうかしていた。いくら君が魅力的でもあの時にするべきではなかったのに」
彼の顔がまるで茹で蛸のように真っ赤になっている。だがそれと同じくらい私も赤くなっている自覚があった。
「それは……そのぉ、そういう意味ですか?」
どんどん恥ずかしくなっていく。彼は首を小さく縦に振った。天下のクリストフがこれほど自信なさそうな顔をするのを初めて見た。
だけどどうしても気になることがあった。
「クリスは私のことを嫌いではありませんでしたの?」
なんと言われるか恐かった。だけど彼はこれまでで一番強烈な顔をした。
「そんなわけないだろ!」
急に彼は大声で叫ぶ。その声に驚きすぎて体が硬直してしまった。そして彼は口を押さえて、外に声が漏れていないか心配していた。
そして彼はうつむき加減にぼそりと言う。
「嫌いな相手を自分の妻として誘うわけがないだろうが。あの時は王太子と別れた君を無我夢中で奪いに行ったのだからな」
少し間を置いて私はやっと今の言葉が頭に入ってきた。
「そうだったのですか!?」
あれは色々と計算して行った結果ではないのか。
私はもしかすると思い違いをしていたのだろうか。
私は彼になんと言えばいいのだろう。
戸惑う私に彼は上目遣いをする。
「ここまで言ったのだから、ソフィーの気持ちも聞かせてもらう。もう気持ちがどんどん抑えられなくなっている。拒絶してもらわなければ、俺は君をもう手放さないぞ」
さっきまでの弱々しい彼とは一変して急に力強い目に変わった。
そして私を逃がさないように、ゆっくりと立ち上がって私をベッドに押し倒した。
お互いの顔が近くなり、私が何かを言えばこの関係に大きな進展があるのは確実だった。
「私も……」
彼の喉を鳴らす音が聞こえた。
そして覚悟を決める。
「嫌ではありませんでした……ずっと貴方のことを考えてしまっていました」
「それなら――」
「でもキスのことは気の迷いって言われたから、もう何が何だか分からなくなって……」
何だか急に泣きたくなってきた。
すると彼も苦い顔をする。まるで反省するかのように目を閉じて、また彼は目を開けた。
「これは気の迷いではないぞ」
彼の顔が近づいてきたので、私は目を閉じた。そしてすぐに彼の唇が合わさって、長い時間が経った気もした。
荒々しい時の彼とは違い、とても優しく甘美なものだった。
そしてゆっくりと唇を離れ、私は彼をもっと求めたくなってしまっていた。
だけどまだ私達は知らないことだらけだ。今はまだゆっくりと歩み寄りたい。
「本当は心細かったので、一緒に寝てくださいませんか?」
「ああ。それくらいお安いごようだ」
彼もベッドに入って私の横に寝てくれた。
そして彼は私を抱きしめてくれたので、私はその温かさに包まれるのだった。
「不思議……あんなに恐かったのに落ち着く」
「どうして怯える必要がある?」
彼はまるで分かっていないようで首を傾げていた。
自覚がないことに少しだけ苛ついた。
「だって、毎回恐い顔で襲ってくるし、死ぬ間際までとどめを差そうとしてきたではありませんか」
思い返せば激闘の数々。それも全部大敗。どこに怯えない要素があるのか教えて欲しいくらいだ。
だが彼はあんぐりと口を開けていた。
「おい、待て。それは誤解しているぞ!」
彼は急に慌てだした。必死に説明しようとしてくる。
「ソフィーを組織へ入れた連中へ向けて怒っていただけだ」
「えっ! では私の死ぬ寸前のは一体なんだったのですか?」
「君が死ぬのが耐えられなかっただけだ」
あれ、もしかして彼はずっと私のことを気に掛けていてくれていたのだろうか。
「君は逆に組織による被害を最小限にしようとしているのは分かっていたからな。だがもう教会から君を殺すように指示はあったから、なるべくバレないように加減をした」
「そうだったのですね」
私があの日まで生きていたのは彼の手加減によるものだったらしい。
ただ彼の立場を考えても、私を野放しにはできなかったのだろう。
しかしここで思わぬ真実を知る。
「たまに差し入れだけはしたがな」
「差し入れ? 何かいただきましたか?」
「ああ。食料やお菓子をな。あれで君の好みを知った。覚えていないか?」
一人だけ思い当たる人物がいた。いつもお腹を空かした時だけ差し入れをくれる謎のフードを被った男性。
そんな人物に思い当たるのは、目の前の彼しかいなかった。
ひもじい日々が思い出され、急に涙が出てきた。
「ほんどうに……おいしかったです」
「どうして泣く! ほら落ち着け」
彼は私をあやすように背中を擦ってくれた。
本当にお金がなかったので、彼からの施しがなければ飢え死にしていたかもしれない。
それほど生きるのに必死だった。体を売ろうかと考えた時期もあったが、謎のフードの男に説教されてどうにか踏みとどまったのだ。
返しきれない恩を彼から受けているようだった。
「ソフィー、もう一度だけいいか?」
何を、と聞く前に彼はキスをしてきた。私もそれを受け入れた。
彼の温かさが身にしみる。
「クリスはキスが好きなのですね」
なんだか微笑ましい気持ちになったが、彼はため息を吐く。
「こんな体勢で気持ちを鎮めるのは大変なんだぞ」
私と彼は抱き合うような形になっていた。一体、なんのことと思っていたが、次第に頭で理解してきた。
「あっ……えっ! 待ってください! まだ気持ちの準備ができてません!」
「分かっているから落ち着け」
彼は優しく私の背中をさすってくれた。それでも心臓の高鳴りが止まらない。
「次にベッドで一緒に眠ったら、この気持ちは止められん。我慢するのは今日だけだぞ」
「はい……」
それはつまり、もう偽装結婚ではなく、本当の夫婦になるということだろうか。
彼は耳元で囁く。
「そんなに可愛い反応をするなら今すぐでもいいがな」
「ん~~!」
声にならない叫びが出た。彼は意地悪そうな顔でまたキスをする。
結局その日は一夜を過ごした。
だが途中から彼は遠慮しなくなってきた。
「そういえば忘れていたが、俺はキスが好きだった」
「えっ! ちょっ――ッ。そこ――ん……ぁ。待って――ッ」
もちろん彼と一線を越えることはなかったが、軽くはないスキンシップは何度もあったのだった。
彼は私を抱きしめることで、動けないことをいいことに好き勝手にするのだった。




