第8話 無賃乗車の先
ウォォォォォォォォン!
警報音が学術都市全体に鳴り響く。白猫と黒狐が学園から逃亡したのは瞬時に伝えられ、100人以上にも及ぶ特務機関の人間が銀色の四輪車を黄色く光らせて走っている。
この四輪車は最高速度が時速300kmで非常に頑丈な造り故、外壁を突き破って走らせても問題がない。彼らは時として対象を補足し排除する為ならば常識すら打ち破る。
「はぁっ、はぁっ。こっちは一睡もしてないのにインチキだよ!」
「喋るな。余計な体力使うと疲れるぞ」
白猫と黒狐は混乱している市民を横目に走り続けていた。警報音は周囲何箇所からも響いていつ場所を特定されるか分からない。
しかし、それらを振り切れるだけの能力を彼女達は持ち合わせていなかった。
白猫も黒狐も並外れた力を持っているが、身体能力に関しては人間とそう変わらない。実力的には屈強な男性レベルと同等で空も飛べなければ音速で移動も出来ない。だから戦略を駆使して戦う集団相手とは非常に分が悪いのである。
走っている彼女達だったが、その足を魔弾が貫く。
「くっ。もう特定されたか」
黒狐が恨めしそうに言って狙撃兵を探す。しかし、暗い学術都市ではどこに居るか分かりにくい上に狙撃兵も1人だけではない。度重なる銃撃が黒狐を襲う。
それらの戦術は黒狐に非常に効果的だった。何故なら彼女の能力上、相手に注意を向けなければならない。それがどんなに離れた相手だったとしても視認し意識を向ければ殺せる。
だが四方八方の攻撃は彼女の意識と思考を度々逸れてしまう。白猫のおかげで傷は完治するも一瞬の痛みは感じている。だから上手く能力が使えない。
銃撃の雨は近くの市民を驚かせて悲鳴を上げさせ、余計にパニックにさせるだけだった。
逃げ惑う彼らに追い討ちするように壁を突き破って銀の四輪車が目の前に現れる。
特務機関の目的は彼女達だけ。
唐突な襲来に一部の市民が車に巻き込まれて飛ばされ地面に這いずる。だが彼らに情を投げるほど特務機関は優しくない。
「助けて、助けてくれぇ!」
「痛い、痛いよぉ!」
「いやぁぁぁぁぁ!」
混乱は混沌を生み出す。現実とは思えない非日常に誰もがどうしていいか分からない。
ただ銀の四輪車だけは彼女達を目測して切り返そうとしている。
白猫と黒狐はすぐに人の居ない裏道を目指して走り出す。白猫はチラッと倒れてる人を見て指を順番に差した。彼らの傷は瞬時に治ったが、それが誰のおかげかを把握する者はいない。
道なりに走るが狙撃と追跡の板ばさみ状態。おまけに背後から迫る銀の四輪車に搭乗する特務機関が別働隊に報告していた。このまま逃げても囲まれるのがオチ。
黒狐は白猫の手を引いて車の方へ向いて走り出す。衝突寸前で手を突き出せば、銀の装甲は一瞬で溶解して丸裸となった。
だがそれを予測していた搭乗する特務機関2名は既に魔銃を構えている。銃撃を浴びながらも白猫と黒狐に右ストレートを顔面に受けて派手に吹き飛んだ。
その後、壁を腐敗させて民間人の庭へと侵入し、奥の壁を登って別の道へと飛び出す。敢えて能力を使わないことで追跡を抑えるためだった。死角になったのか狙撃も止んで一時の休息を得られる。
彼女達は急いで隠れられる場所を探した。そんな中、道端に止まっている大型の四輪車を発見する。荷台のコンテナを見ては両者が頷いてそこへと駆けつけ黒狐が手を触れた。丸い小さな穴を作って急いで中へと入った。
2人は小さく呼吸を繰り返し後は祈るだけ。空いた穴が特務機関に見つかってしまえばそれで終わりだからだ。白猫の能力でも物は修復できないのである。
直後に警報音が鳴り響いて何台もの車が走った。彼女達は息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待つ。そんな中、前の方から声が聞こえた。
「おいおい、何で特務が走ってるんだよ」
「こりゃ不味いですよ。もう行くしかないですって」
「仕方ねぇ。特務にパクられるのはごめんだぜ」
若い男性2人が何やら焦った様子で話しているのが聞こえて、すぐに大型車に乗車して煩いエンジン音を鳴らして発進させた。ガクンと揺れたのと同時にコンテナ内でガタガタと音がする。そこでようやく彼女達も落ち着いて目を配ると、中には何人もの子供が乗せられているのだった。特に少女が多く、いずれも手足を縛られて口を塞がれている。皆今にも泣きそうな顔をして白猫と黒狐を見ていた。
彼女達は顔を見合わせていたが、今下手に動いて見つかっては本末転倒なので暫く様子をみることにした。大型車は次第に速度が安定してきて、揺れも小さくなっていく。
警報音は遠くなっているのが分かると姉妹は小さく息を吐いて壁にもたれかかると、肩を寄せ合って深い眠りにつくのだった。
※
白猫と黒狐が目を覚ましたのは長い時間が経ってからだった。うん、と目を擦った後に背筋をぐっと伸ばす。意識がはっきりしていないが、子供達の顔を見て自分達の置かれてる状況を思い出す。
白猫が穴を覗き込むと外は荒野の公道を走っていた。遠くに茶色い山が見えて建物は一切なく、時折標識が過ぎ去るだけだった。天気は晴天で陽の位置からして昼前くらいと思われる。彼女達が眠って丸1日は経っているのだが、どうやら前の男達に見つかった形跡はない。
2人は体育座りをしてこれからどうするかを考えていた。このまま飛び降りる選択肢もあるが、何もない荒野を歩くのは疲れるだけというのを知っている。なのでもう暫く楽をさせてもらおうと決めた。
「けどさぁ、《死神》が時間通りに来ないって初めてだよな」
「重要な取引があると言ってたが何かあったのかもしれないな」
「案外特務に狙われてたのって《死神》じゃね?」
「どうだろうな。あの人がそんなヘマするとは思えないし、人の多い場所はあの人にとって有利だ」
「あーあ。だから馬車なんて時代遅れの乗り物使うなって言われたのにな」
「あの人も拘り強いからなぁ」
「・・・後ろの奴ら、いくらになるだろうな」
「いい値は付かないだろう。王女の1人でもいれば違っただろうが」
「全くよ。最近は警備の目も厳しいからガキの1人攫うのも大変だっつーの。もうちょい臨時手当くれってもんだ」
「文句なら《正義》に言ってくれ。俺は言う自信がない」
「はぁ。だよなぁ」
白猫と黒狐は耳をピンと立てて男の会話を聞いていた。内容から彼らがどういう人物か凡そ理解する。
「お姉ちゃん、どうする?」
白猫は小声で囁いた。このまま乗り続けても良い事はないと言いたげだ。
「前向きに考えよう。少なくとも彼らは人の居る場所に向かっている。そして、彼らの行く場所は政府が関与していない所。今の私達にとって悪い話じゃないわ」
大分時間が経ったとはいえ、いつ特務機関の追っ手が来るかは分からない。自分達の居場所を知られるのは彼女達にとって最も嫌がる部分だった。
姉の決定に白猫も同意して頷いた。2人が何も行動を起こさないので縛られている子供達も悲しそうに目を瞑るばかりとなる。
大型車が停車したのは、それから1時間も経たない内だった。穴から覗いた景色では砂漠のような砂が吹き溢れる場所だった。ボロボロな居住区がいくつも並んでおり、錆びた鉄板で舗装されてあったり、千切れた服が干されている。歩く人も全体的に不健康そうで痩せ気味なのだが、一部は身なりも整って肥えたものもいる。
「今日の納品、来ましたよ」
「数は?」
「奴隷が23人」
「ふむ? 武器や金銀もあると伺っていましたが?」
「合流する奴が来なかったから先に来た」
「なるほど。では拝見致しましょう」
別の男と会話しているのが聞こえる。彼らの足音がコンテナに近付くので2人も穴から離れた。
「ん? いつの間にこんな穴出来たんだ?」
「このコンテナも古いじゃん。買い替えようぜ」
「そんな金ねーよ」
その後、ガチャリと音がして光が内部に差し込んでくる。男3人が立っており、コートを着込んだ年配の男性だけが全体を目配りしている。
「ふむふむ。健康状態は良さそうだ」
男は整えられた髭を触りながら話す。
「当然だ。こいつらは全員学術都市から攫った奴ばっかりだしな」
「ふーむ。ならば身体はそこまで強くないか。再教育も必要だな。む?」
髭男の視線が端で座っている白猫と黒狐に釘付けとなる。それを見た髭男は上機嫌になって笑みを見せた。
「これは素晴らしい品もあるじゃないか。正直期待はしてなかったが掘り出し物だ」
髭男の言う意味が分からず彼らも中を覗くとそこには自分達が捕まえた覚えのない女子が2人居たのである。彼らは何か言おうとしたが口を閉ざした。
「ではこれが今回の支払いです」
髭男が茶封筒を手渡すと、男は迷わずにその中身を確認した。そこには1万テイル札が30枚入っている。それを見て男は拳を握って笑みを見せる。
「毎度あり。今後ともご贔屓を」
「ええ、こちらこそ。フフフ」
男2人はいつのの倍以上の額を受け取れたので浮かれており、その獣の姉妹が誰かを知らない。直後、髭男の合図で屈強な男性が何人も現れて子供達を次々と担いでしまう。子供達は必死に呻いてもぞもぞしていたが抵抗も意味なかった。
白猫と黒狐も触られそうになったが腕を払って自分達の足で降りた。
コンテナが空になると大型車は黒い煙を吹いて走り去ってしまう。
「さてはて。何ゆえ、高額の賞金首がこのような地まで来たのですかねぇ」
髭男は相変わらず髭を触りながら白猫と黒狐に問いかける。既に子供達は後ろに立っている馬小屋へと運ばれていた。
「あんたに話す必要性は皆無だね」
黒狐が目付きを尖らせると、髭男は両手を上げて大袈裟に後ずさった。
「おお怖い。噂通りの危険人物のようだ。とはいえ、あなた方のような上物が手に入ったのは嬉しい誤算ですよ。きっと《正義》様もお喜びになるでしょう。フフフ」
髭男がにやにや笑うので白猫は気持ち悪そうに表情を歪めた。
「悪いけど誰かの奴隷になる趣味はありませんので」
「あなた方が望もうが望むまいが関係ありません。ここには法律も秩序も人権もありませぬ故に。犯罪も殺人も正道。詐欺も暴力も日常。ここに来た以上帰れませんよ」
髭男が手を上げて合図をすると各地から何十、何百という男が出てくる。それらを物珍しそうに貧しい者も見物に来る。
「さぁさぁ。この者達を捕らえた者には100万テイルの報酬を与えましょう。早い者勝ちですよ!」
それを聞いた貧困者は目の色が変わって立ち上がり走り出す。そんな欲深き人間相手をあしらって2人は全員返り討ちにした。数が揃っても結局は武器も持たず身体も貧弱な者ばかりだからだ。
「おやおや、お強い。けれど、けれどです。この街は《正義》様が管理する場所。ここに居る限り何者も逃げられませんし、あの方が命令すればここの人間全員、いいえ、裏社会の人間もあなた方を襲います。その覚悟、ありますか?」
髭男は不気味に笑いながら問いかける。ここで大人しくするのが利口だと言いたいのだ。
だが、彼女達は良くも悪くも人の言うことを聞かない。2人共、笑いを堪えながら腹を押さえた。そんな様子を見て髭男が真顔になる。
「覚悟、覚悟か。そんなものあそこから出たあの日から決まっていた。裏社会の人間? 笑えるね。私らは元より世界中の人間が敵さ」
「全員は言い過ぎだけどね。無害な人間も多いし、料理作ってくれる人間は良い人」
「素晴らしい虚栄心だ。ならばそれが本物か試してみよう」
髭男が右手を挙げると一斉にライフルが連射される。
パパパパパパ、と軽快な音を鳴らしながら姉妹の腹、腕、足、顔と容赦なく貫く。その度に血を流すのだが、流しただけに終わる。傷跡など最初からなく無傷。地面だけは汚れて弾薬で散らかっていた。
数度に渡ってそれが繰り返されるが結果は同じ。状況が進展せず弾だけ浪費するので髭男が慌てて手を挙げて制止を呼びかけた。
「これ、只の銃弾じゃん。これじゃあ意味ないよ」
黒狐が地面に転がる弾を1つ拾って摘んだ。
「そういう意味なら特務機関の方が先端技術だよね」
白猫も呆れて両手を広げてやれやれと溜息を吐く。
馬鹿にされた髭男は顔を真っ赤にして背中に背負っていた極太の散弾銃を両手で構えた。掌に丸々収まるほどの弾を装填すると躊躇いもなく白猫に目掛けて撃った。
彼女の腕と腹が吹き飛んで肉片が飛び散り穴が開く。男は休まずに続けて撃った。次は足が飛んで転ぶ。最後に撃って顔も吹き飛んだ。真っ赤な血溜まりが地面に広がって肉片が転がる。
髭男は荒い呼吸を繰り返して照準を合わし続けていた。彼は情報で彼女の能力上再生すると知っている。肉片を掻き集めて再び動くと思ったのだ。けれど肉片は動かない。
髭男はフッと笑ったが、背後から肩を叩かれる。
「へぇ凄い。あなたは無抵抗な女の子も撃てるんだ」
囁く白猫の声がして髭男の背筋が凍る。すぐに振り返って引き金を絞ったが引けなかった。何故ならトリガーの部分がなくなっていたからだ。
「人間にしてはまぁまぁ頑張った。20点」
「駄目だよ、お姉ちゃん。わたしを先に狙うという判断は正しかったからプラス10点はしてあげないと」
「おおそうだな。良かったな赤点回避だ」
この瞬間、髭男はようやく彼女達の警戒レベルが高い理由を理解した。どんなに強かろうが殺せば大丈夫、そう思っていた。だが彼女達はそんな人間の常識内にすら立っていないんだと理解する。
黒狐が歩み寄ってくるので慌てて腰の拳銃を抜いて撃つが無駄な抵抗だった。すぐに弾はなくなりポケットから弾を取り出そうとするが震えて全て零れていく。
「お、おい誰か! 誰か助けろ!」
髭男の問いに返事をするものも行動を起こすものはいない。既に部下達は逃げていたのだ。
彼は絶望し見捨てられたというのを理解する。黒狐がにっこり笑って彼の右腕を掴むと肩から先の部分が見事に消え去った。
「ぎゃ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!」
瞬時にやってくる激痛に髭男は悲痛に叫び声をあげてその場に転げまわった。
「痛みを感じられるなら正常な人間の証だ。表の人間に復帰だな」
「お姉ちゃん、そんないじめたら可哀想だよ。やるなら一思いにしないと」
「ごめん。妹に酷い仕打ちしたんだから同じ痛みを受けてくれないとって思って」
「わたしは気にしてないから大丈夫」
「ま、待ってくれ! ゆる・・・」
髭男が喋る前に黒狐は力が作動して肉片すら残らず消失した。残った姉妹は特に情緒もなく次の進路を考えようとする。
そんな時。それらの一部始終を見ていたスラムの人達が集まって彼女達の前で這い蹲って頭を垂れるのだった。
「救世主だ。救世主がお出でになった」
「どうか我々を救ってくださいませ」
「私達に自由をもう一度ください」
彼らからすれば髭男は自分達を苦しめる元凶の1人だった。それを殺してくれたので彼女達を敬うはめとなったのである。白猫と黒狐は目を見合わせて面倒になったと心底思うのだった。