第7話 一瞬の青春
===エーテルクライス世界新聞===
世界政府特務機関は基礎教育における各学校において『魔術』という科目を必須にするのを本日決定しました。来年以降、初等教育及び中等教育において『魔術』を学ぶのを必須とされます。現在、初等者及び中等者につきましては高等教育で魔術専攻を必須科目となります。
この決定に対して世界政府特務機関局長は魔術の認知度は年々増しているがあらゆる面で人々の生活や仕事の助けになるとし今後魔術を活用した技術を多方面で展開したいと話しました。
現在成人している大人に関しては無料で魔術科目を実習できるキャンバスを設置しており、役所で実習カードの発行さえすればいつでも講義に参加できるようになります。
今後、私達の暮らしは大きく変化するでしょう。
※
整備された街道、行き交う鋼の四輪車。見渡す限り石の道と建物が広がるこの地こそ学術都市に他ならない。年中曇り空が多いこの都市はいつも空気が湿って暗くどんよりしている。おまけに建物も全体的に黒基調が多いせいで余計にそう思わせた。
とはいえ、その分明かりの数が多く10歩も歩けば街灯が設置されている。この街灯にはポールがなく黄色い玉が浮いているのだ。これは魔術を利用した仕組みでその他多くの施設でも併用されている。他にも一階と二階が切り離されて梯子だけが伸びて二階が浮いているという建物もある。また時々空を駆ける流星群が起こるがそれらは全て人の手によって動いている。
このように学術都市は全体的に物が浮いている、という印象を抱きやすい。実際進路を示す看板も店の掛け軸も出かけている人の鞄すらも浮いている。
そんな街並みの中を2人の姉妹が歩いている。黒狐は捨てられてあった新聞を片手で読みながら紙面トップを流し読みしている。一方、白猫は眠たそうに欠伸をしながら瞼を擦るばかりだった。
「ねーいつになったら街を抜けられるのー?」
寝ずに一晩と半日も歩いているせいで白猫の不満も溜まっていた。この街は異様に広くそれだけ人も集まっている。そんな場所で寝泊りできるはずもなく、ずっと歩きっぱなしなのである。
「その内出られるでしょ」
「さっきからそればっかりじゃん! わたしは人が多い所が苦手なの!」
現に耳障りなほどに人の喧騒な声が響いており聴覚の優れている彼女達にとって余計にストレスになっていた。
「ここを通るしかないんだから仕方ない。諦めて歩くのに集中したら?」
「うー、どこを見ても人人人で嫌になっちゃう。もう目を瞑って歩こうかな」
「手を引いてあげようか?」
「うん、お願い」
黒狐は新聞紙を丸めて程よい高さに浮いているダストボックスに捨て白猫の手を握った。
彼女も口調では冷静だが心の中ではうんざりしているのは同じだった。
だが1つだけこの街に感謝している部分もある。
「これだけ人が居るのに誰も私達を気にしないな」
大抵の人間は必ずといっていいほど誰かと行動しており楽しそうに雑談したり仕事の会話をしている。こんな街中に指名手配犯が歩いていればさぞ騒ぎになっただろう。
「暗いから分かり辛いんじゃない?」
「それはあるだろうな。私の耳なんて闇と同化してるよ」
それでも近付けば他の人にないその特徴は派手で一目瞭然である。なのに誰一人として足を止めて振り返りもしない。
「利口に生きてる一般人はわたし達のことなんて、すっかり忘れてるのかもね」
「話題から消えれば記憶からも消える、か。人の脳の仕組みには感謝しないとな」
そんな風に歩き続けている彼女達の前に広い敷地に大きな校舎がいくつも並んでいた。そのいずれも5階以上の高さでそれらの頭上には立方体の時計が浮いている。
校門前には魔術高等教育機関と仰々しく書かれており、老若男女が敷地内へと入っていた。
「魔術学校に着いたぞ」
「あ、そこ知ってる。前に特集の本で見たんだよね」
「そうそう。学食の料理かなり美味しいらしいね」
「1階から5階まで切り抜かれて建ってるんでしょ? 料理も飛んでくるってロマンだよねぇ。しかも、ここのスイーツが有名なんだよ!」
「私も知ってるぞ、それ」
2人はせーのと息を合わせてクレープと叫んだ。見事な阿吽の呼吸に2人が手を握った。
「死ぬまでに食べたいスイーツ100選に載ってるほどなんだから美味しいんだろうなぁ」
「よし。丁度今は一般人にも開放してるみたいだし入ってみる?」
「いいね! わたしクレープ食べたい!」
「決まりだな。じゃあ行くか」
黒狐が手を引こうとしたが白猫は目を開けて先先と駆けて行く。食べ物の話になると目がないのが彼女だった。そんな妹に呆れながらも黒狐も後に続いて校門を抜けた。
ピピピピピピピ。
校門の横に浮いていた小さなボックスの中で眠たそうにしていた職員がその警告音を聞いて意識が覚醒した。モニター画面が目の前に広がっており、その中に『ノーカード』という文字が2つ並び顔も表示されている。
実はこの校舎全体には特殊な結界が張られており、不審者の侵入を許さない造りになっているのだった。職員はその2人の顔をアップで見ると顔面蒼白になり急いで通信魔術の画面を展開するのだった。
「おねーちゃーん! どうしたの?」
「いや」
黒狐は妙な音を感知したので目を向けていた。しかし、白猫は無邪気に首を傾げているだけだ。
「お姉ちゃんは気にしすぎなんだよ。どうせ今日限りじゃん」
「お前、気付いていたのか」
「耳はいいもん。でもさ、今更どこへ行ったって待遇が変わりはしないよ。成るようにしかならないんじゃない?」
「良いように言ってるようだけど、要はクレープ食べたいだけでしょ?」
白猫が親指を立てたので黒狐もやれやれと思いながらも気にするのを止めた。
2人は早速食堂へと向かった。そこは円柱の建物で全部で5階。壁は全部ガラス張りで外を一望できる。階層毎に切り抜かれているのでまるで浮いてるように見える。階段がないのだが、それは見えないだけで人が上り下りしていない時はハイライトが消えて背景に同化してしまうのである。なのでこの食堂はまるで高級ホテルの一等地で食事をする気分を味わえ、多くの人から人気を博している。この食堂に通うためだけに魔術を学びに来る人も多いという。
「おぉ~」
「こいつは写真で見る以上だな」
白猫と黒猫は実物を前にして感嘆した。厨房は3階にあって次々と料理があちこち飛び回っており、それもこの食堂の特徴だった。空の皿も自動で回収されて飛び、まさに白皿乱舞な状態だった。そんな光景に見惚れている間にも背後からどんどん人が押し寄せる。
すでに満席状態なのだがそれでもお構いなしだった。2人は人混みの波に押し退けられて端の方に飛ばされてしまった。この食堂で立ち止まるのは自殺行為に近いのである。
それを知らなかった2人は恨めしそうに人を見ていたのだが、そんな彼女達に駆け寄って来る人がいた。
「大丈夫ですか!?」
快活のよい声で茶色の長髪の女子が駆け寄って来る。倒れている2人に手を差し伸べるのだった。白猫と黒狐はその手は取らずに2人の手を持ち合って一緒に立った。
「大丈夫だよ。初めてだったから驚いただけ」
白猫が笑みを見せるもそれが表面上だけの笑顔とも知らずに相手の女子もほっと胸を撫で下ろした。その後、その女子の連れと思われる同姓の友人が来た。
「どした~? また何かあったの?」
「食堂が初めてだったそうで人の波に飛ばされていたんですよ」
「あー。ここは多いからねー。ある種戦争だよ戦争」
短髪の女子が特に珍しくもなさそうに発言する。だが相手は少ししてからようやく彼女達の立派な耳と尻尾に気付いた。それを見るや物珍しそうに見つめている。
「へー、その耳と尻尾よく出来てるね。可愛いよ」
「まるで本物みたいです。どこで買ったんですか!?」
文字通り本物なのだが説明するのも面倒なようで「東地区の路地裏」と適当な嘘を言ったのだが長髪の女子は信じている様子だった。
「そういえば先ほど食堂は初めてと仰りましたが、もしかして学園に来たのも初日ですか?」
「そんな所。腹ごしらえに来たんだけどこのザマさ」
「といってもわたし達お金持ってないんだけどねー」
それを聞いた相手の女子2人が驚いて目を見合わせていた。
「何それ、ウケル。どうやって食べるつもりだったの?」
「歌でも歌って投げ銭してもらう感じかな」
「私と妹のデュエットは最強だぞ」
「姉妹だったんですね! 通りで!」
黒狐は自身の失言に気付いて白猫に睨まれるのだった。そんな2人に愛着を持ってしまったのか長髪の女子が先を指差す。
「なら一緒に食べませんか? 少しなら驕ってあげられます」
「「じゃあクレープで」」
「すげぇ息ぴったりだ。マジでデュエットする気だったのか?」
最早どこまでが冗談かも分からなくなって相手も2人のペースの飲まれるのだった。
そうして、女子学生2人と仲良くご飯することになり、食堂の最上階である5階まで来ていた。最上階というだけあって見通しもよいが、人はそこまで多くない。というのも移動手段が階段しかないので上り下りが大変だからだ。そうしてる間に講義が始まってしまうので比較的穏やかなのである。
4人はテーブル席を囲んで机の上にモニターが表示された。それがメニューで注文したら厨房に届く仕組みとなっている。因みにこの食堂の支払いはカードによる先払いのみである。なので注文と同時に支払いをしなくてはならない。
女子学生も注文を終えるとカードをモニターにかざして残高が引かれる。その後、少ししてから料理が飛んできた。空飛ぶクレープに白猫と黒狐は感動しながらもそれを手に取った。
「これが魔術学校名物のクレープ! 想像以上に棒状だよ」
この食堂で作られるクレープは他とは形状が大きく異なっている。本来、クリームや果物などの具材を包んで扇状なのが普通だが、ここのクレープは筒のように丸く長く生地でしっかりと中身を包み込んでいる。なので見た目では中身が見えなくなっている。
「あまっ。ていうか、あれ? 味変わってる?」
黒狐は生地と果実、そして七色のクリームが露出しているクレープを注視しながら話す。
それには白猫が得意気に身を乗り出す。
「説明しよう! ここのクレープでは調味料に魔風味という特殊な材料が使われているのだ。それは温度によって味が変化し甘くなったり酸っぱくもなるし苦くもなる。だがここの食堂では特殊な調理法によって魔風味から苦味などの成分を取り除き甘さの七変化に成功させたのだ! 美味い!」
「いや、なんでそんな詳しいし」
「スイーツには目がないんだよ~」
「はいはい」
そんな姉妹のやり取りを見て女子学生らはおかしそうに笑っていた。
「仲が良いんですね」
「まーねー」
「所で2人はどの科目を専攻してるの?」
ここに通っていると信じているせいで短髪女子が自然な口調で尋ねる。
その問いに対して2人が迷う様子はない。
「高位魔術理論と実技。後は天体魔術の歴史」
「わたしは医療魔術の学科だね。因みに実技の方は既に単位満了して試験免除されてるのだ」
「マジで!? 医療魔術って最高難易度で高学歴の集まりじゃん。あれ免除ってヤバくない?」
「あれ、先ほど初日と仰ってたような・・・?」
長髪の女子が首を傾げるので黒狐が妹の尻尾をつねっていた。知識は豊富にあったので適当に盛ったのである。実際彼女達にそれらの知識はない。
白猫はすぐに謝罪して「冗談です」と付け加える。
そんな雑談に華を咲かせてる中、急にサイレンの音が鳴り響き食堂内が薄赤く照らされた。
「警告警告。現在、当学園に指名手配されている2名が侵入しています。全生徒は直ちに講師の指示に従い、他の生徒は安全な場所に避難してください。繰り返します・・・」
唐突に発せられる機械的な音声にざわめきと動揺が起こった。がやがやと騒がしくしているがその多くは危機感がない様子である。
「嘘。指名手配犯だって。鬼怖」
「と、とにかく逃げないと・・・」
女子学生2人が席から立ち上がったその時。
パァン。
甲高い銃声がして窓ガラスを打ち破る銃弾が食堂内に入り込んだ。弾は運よく誰にも被弾せず天井に埋まったが、その一連の流れで一気に大混乱が発生する。
次々と悲鳴と恐怖が伝染して生徒達は叫び狂って走り回った。
だが銃声は容赦なく次々と発せられる。その全ては5階を狙っており、逃げようにも逃げられずに机の下に隠れる生徒が多数いた。
「この容赦ない感じ。あいつらっぽいね」
「特務機関? わたし、あいつら嫌いなんだよね」
2人はこんな状況でも暢気に椅子に座りながら優雅にクレープを食べている。食べ終えると席から立ったが、丁度銃声が大人しくなったと見て男子生徒が逃げようとしたが運悪く足に被弾して蹲ってしまった。
「いてぇ、いてぇよぉ!」
目の前で流血した者を見れば更にその場に混乱が起きて逃げようとする者が多く現れた。誰もがこの場に居たら不味いと思ったからだ。だがそれは愚策で余計に発砲を受けるはめとなる。
次々と倒れていく生徒を見て2人は呆れる様に溜息を吐いた。白猫は手を掲げると倒れていた人達の傷が一瞬で完治する。彼らは何が起こったか理解できていなかったが、動ける内に逃げようと一目散に階段を降りた。
残されたのは白猫と黒狐と机の下に隠れる女子学生2名。彼女達はガタガタと震えながら出るべきかどうか判断しかねていた。すると白猫と黒狐は2人の前に立つ。
容赦なく銃弾が無数に放たれるが傷は一瞬で治っているので傍目からは弾そのものを防いでるようにすら見える。
「私らが時間稼ぐから早く逃げなって」
「クレープご馳走様。それと迷惑かけてごめんね」
女子学生らは頭だけ下げてその場から勢い良く立ち去った。残った彼女達だったが敵の目測はまるで見えず、常に四方八方から弾が飛んでくる。
「やっぱ手慣れてるな、コイツらは」
「常に注意を逸らして攻撃の手を緩めない、だっけ?」
「ああ。おまけにこの弾は魔弾だよ」
「改造銃の1つかぁ。ご苦労なことだね」
弾に魔術を込めて弾丸の性質そのものが変わっている。傷は治っているが弾を体内に受けたまま治療し続けるのは少し不味かった。
「体内に魔元素を取り込むのは毒って本当なのかな。わたし達も魔術が使えるようになるんじゃない?」
「無理な話だよ、妹。1000の銃弾を受けたあの日だって結局3日寝込む羽目になっただけじゃない。私達には生まれもって魔元素がないんだよ」
魔元素は魔術を扱う上で必要不可欠な元素の1つ。人は生まれながらにして大なり小なり体内に魔元素を生成する。また年齢や肉体的、精神的成長によっても時折魔元素の量も増えたりする。この魔元素を使い流れを見極めるのが魔術理論の基礎となる。
「ここの生徒には悪いことしたね。せっかくの食事も講義も全部中止になっちゃったし」
「別に害を加えるつもりもないのに政府の役人共は必死なんだよ。そこまでして隠蔽したいのか」
銃弾止まぬ中、彼女達は仲良く肩を竦めていた。このまま階段を降りて校庭に出るのは相手の罠なのは言わずもがな。だから2人は考え、迷わずにガラスを突き破って飛び降りたのである。その先には闇が広がる公道となっていて着地した彼女達も同じく闇に溶け込むのだった。