第6話 観光地価格
森林に覆う木々の中に湖に囲まれた小さな街がある。人の往来は少なく、最先端の技術も使われていないが住んでる人々は豊かで温和だった。周囲が湖になっているので街に入るには1つしかない羽橋を利用するか、専用のボートが必要だった。
小さな街ではあるが湖に住んでいる魚は珍味揃いで山の山菜も相まって食に関する店はどこも精鋭揃いとなっている。中でもこの湖にしか生息していない混沌魚と呼ばれる魚は至高の味をしており、それを求めて各国から遠路遥々足を運ぶ者もいるという。
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白猫と黒猫は凡そ500mはある大きな羽橋を渡りながら広大な湖を見渡していた。透き通った綺麗な水で水底で泳ぐ魚の影も見える。
「ここが噂の名店が並ぶ湖の街ですか。泳いでる魚はどれも美味しそうです」
白猫がいつになく上機嫌でカラフルな魚群をうっとりしながら眺めている。端の方を歩いているので落ちるではないかと黒狐が心配そうにしているのには気付いていない。
「ここに来たならやっぱ混沌魚を食べないとな。ここでしか食べれない混沌ラーメンはスープが超美味いって聞く。何でも出汁を作るのに1週間近くかかるらしいし、おまけに麺も森で取った薬味を混ぜててラーメンなのに全くコッテリしてないんだって! 絶対食べたい!」
「お姉ちゃん分かってない! 混沌魚が一番映えるのはお刺身だよ! 両手で抱える程の混沌魚を全部舟盛にして、魚本来の味を楽しむのが通ってもんだよ! 変に調味料とか混ぜたら絶対美味しくない!」
「何だと! 刺身なんて捌いただけの食い方じゃないか! あれを料理と呼ぶか!」
「海鮮ラーメンなんかその辺の街でいつでも食べれるじゃん! あれこそ安い食べ方!」
橋の上で姉妹喧嘩が勃発し通行人から冷ややかな視線を送られている。誰も関わりたくなさそうにそそくさと逃げていた。
2人も悪目立ちはしたくないのか一度深呼吸して冷静になる。騒ぎになって絶品料理が食べられなくなる方が大問題なのである。
「よし、こうしよう。両方食べる、それなら問題ないはず」
「異論なし。問題は無一文だという点かなぁ」
お金がないのはいつものことで、その時は適当に稼ぐのが彼女達のやり方である。
「どうやって稼ごうか。今回は320テイルでは足りないし、やはり妹の力で荒稼ぎか?」
「最悪はそうするね」
そんな成り行き任せにしながら街へと入った。出歩く人は殆どおらず、見かけるのは大抵着飾った金持ちそうな人ばかりで、遠くから来たというのが分かる。
この街は現地人が少なく皆が日中仕事に勤しんでいる。なのでここでは観光客によって経済が回っているといっても過言ではない。
とはいえ街の立地もあいまってそう多くの観光客は来ない。そのせいか街の物価は結構高いのだった。
黒狐は早速通りにラーメン店を見つけてガラスケースに並ぶサンプルに目を奪われた。
当然、そこには混沌ラーメンもあったのだが、問題はその額である。
「一杯2750テイル!?」
「わーお。首都で食べたラーメンの4倍近くするね」
黒狐もそんなに高いとは思っておらずガラスケースに張り付いたまま悲しそうにサンプルを見ていた。
「これはお刺身にするしかないね」
「いやぁ。私は混沌ラーメンが食べたいのぉ!」
そんな姉の襟を掴んで白猫が先へと歩いた。そんな白猫の視線の先には暖簾がかかった趣のある酒屋があった。店の前には看板があり、目玉商品である混沌魚の舟盛とその値段が書かれている。その額、7200テイル。
この有り得ない額に白猫は目を見開いてメニューを1つずつ見ていく。そう舟盛でなくとも普通のお刺身があると思ったのだが、残念ながらそれはない。
「なるほどな。私らのような観光客を釣る為に強気な値段設定にしてるわけだ。わざわざ遠い所から来たなら手ぶらで帰れないし」
黒狐がこの街の仕組みをようやく理解して肩を竦める。
「釣るのは魚だけにしてよ! 資本主義反対!」
「落ち着けって。逆に考えるんだ。そんな美味いご当地料理もたったの1万テイルあれば食べられるんだ」
「お姉ちゃんは馬鹿だよ。320テイル稼ぐのとは訳が違うよ」
おまけにここでは人の出入りが圧倒的に少ないせいで荒野の街のように白猫の術で稼ぐという作戦は難しい。
そんな時、唸る姉妹の背後を大きな馬車が走り去って風が吹く。その後、少ししてから見た目10歳前後のワンピースを着た少女が息を切らしながら走って行った。だが体力の限界か、何もない所で転んでしまう。
「誰か! 誰かあの馬車を止めてください! 弟が、弟が攫われたんです!」
少女が悲痛な叫びをするもそれ聞くのは他所から来た観光客だけ。彼らは面倒事だと思ってかどこかへ行ってしまう。残されたのは涙を浮かべて馬車の背を目で追う少女と2人の姉妹だけ。
「渡りに船だ」
「なら乗るしかないね」
白猫と黒狐は落ち着いた様子で少女の方へと歩み寄った。少女は自分の悲痛な願いを聞いてくれる人がいたと感動しながらも顔を上げる。
「あの! 馬車を・・・」
「1万だ」
黒狐が少女の言葉を遮って言った。少女は意味が分からずポカンと口を開けている。
「1万テイル出すなら何でもしてあげる」
「えっと」
「早くしないと馬車が行っちゃうよ?」
「だ、出します! でも今は手持ちがありませんから、お父さんに頼んだら多分・・・」
「じゃあ家に行くなり仕事場に行くなりしてどうぞ。あの中に居るんだよね?」
既に馬車は羽橋の上を渡っていて見る見る遠ざかっている。少女が何度も首を縦に振ったのを確認してから、黒狐は指を軽く振ると馬車の車輪が全て潰れた。
そして、荷台や席から多くの男が降りて何事かと騒ぐのを他所に黒狐が少女に目配りする。
彼女は戸惑いながらも2人を信用してその場を後にした。
「さてと。仕事だね」
「間違っても弟君を殺さないでね? わたしの仕事が増えるから」
「分かってるって」
2人は特に慌てる様子もなく歩きながら羽橋の方まで歩いて行く。橋の上では人相の悪い男達が声を張り上げて騒いでいた。補助輪を用意してあったらしく急いで取り替えている。
だがその車輪も黒狐が指を動かしただけで溶けてしまった。
「大変だ! こっちも消えた!」
「早くしろ! 誰か来るだろうが!」
「もう替えがないですよ!」
「だったら押せ!」
ギャーギャー騒ぐ彼らの元へ自然な足取りで白猫と黒狐が近付く。すると、近くに立っていた身長2mはある屈強な男が立ち塞がった。
「おい、姉ちゃん。こっちは込み入ってるんだ。あっち行きな」
威圧感の篭った声に嘘はなく、腰に銃を2丁下げていて片手はいつでも抜ける状態にしていた。
そんな大男のドスが利くはずもなく黒狐が横を素通りする。大男は彼女の肩を掴もうとしたが空気を切るに終わった。
彼は疑問府を浮かべたが、直後に右腕に激痛が走り、目を向ければそこにあるはずの手がなかったのだ。
「ぎゃあぁぁあぁぁ!」
黒狐は荷台へ飛び乗って中を見渡す。銃や刀、金や銀など金目のものが多く積まれている。問題の弟の姿はなかったが一番奥にある樽が揺れていたのでそれに手を触れて溶かすと中には口を塞がれ、手足を縛られた幼い子が蹲ってもがいていた。
黒狐は少年を縛るものを全て解くと、彼を背負って荷台から降りる。しかし、その場には10名近くの男が取り囲んでいるのだった。おまけに白猫もリーダー格と思われる黒スーツの男に首を抑えられている。
「おやおや。正義のヒーロー気取りですか」
黒スーツの男はにこにこしながら穏やかに話す。しかし、片手をナイフのように尖らせて白猫の首に当てている。黒狐は特に何かをするでもなく相手をジッと見ていた。
「ですが驚きましたよ。警戒度7と4の最悪の姉妹と合間見えるとは思ってもいませんでしたから」
「内の妹、離して?」
「ならばその子を離しなさい。そして、あなたが壊したのを直しなさい」
「ふーん。いくら出せるの?」
黒狐としてはお金さえ手に入ればそれでよかった。彼女に正義感も使命感もない。そんな態度に黒スーツの男が呆れていた。
「本来これは損害賠償ものですよ。あなた方がした行為はれっきとした営業妨害です」
「あっそ。交渉決裂」
黒狐が躊躇いもなく黒スーツの男に対して能力を発動した。それだけで相手は死ぬ。いつも通り苦しみながら倒れる。そう思っていたが、何故か倒れたのは隣に立っていた大男の方だった。大男は一瞬の呻きと共に絶命する。
それには黒狐が僅かに眉を潜めた。狙いを外したつもりはなく、大男を対象にしたつもりもない。黒スーツの男はにやにやしながら笑うのみ。
彼女はもう一度能力を使った。またしても倒れたのは彼の部下だった。
「ま、待ってくださいよ! 俺らは! うっ」
次々と部下が倒れていき彼らの間に焦燥感だけが走っている。ただ1人スーツの男を除いて。黒狐もいよいよおかしさに気付いて能力を使うのを止めた。
それを待っていたかの如く、相手が口を開く。
「そろそろここらで見逃してもらえないでしょうか。こちらとしても無為に部下を失うのは心苦しいものでして」
全く心無い発言だったが、相手も明確な敵意を持っているように見えない。現に白猫に対しても一切手出しはしておらず黒狐を見据えているだけだ。
「今度はそっちが交渉か? 悪いけどお前は胡散臭い」
「これはこれは手厳しいです。正直な所、私はあなた方と争うつもりはないんですよ。同じ裏社会を生きる者同士ですからね。くっくっくっ」
黒狐は笑っている隙を狙ってもう一度能力を使ったがやはり倒れたのは部下だった。その部下が最後で残るは彼1人となる。
「おっと。力を使う場合は慎重に。取り返しがつかなくなっても知りませんよ?」
嘘かハッタリか。少なくとも相手の能力も正体も掴めていない状況で攻めに転じるべきでない。そう考えた黒狐は腕を下ろした。その行動に賞賛して黒スーツの男がにやっと笑う。
「では、もう一度交渉といきましょうか?」
立場が逆転したことで相手が強気になる。黒狐はふーっと息を吐いて顔を上げた。
「下記の者と遭遇した場合は直ちに避難せよ。名前は不明。ここでは死神と記す」
「見た目30代前後の中肉男性。常に黒いスーツを着ている。武器の密輸を主に取り扱っており、他にも多くの闇取引を行っている」
「能力は不明。ただし、死神に攻撃を加える場合は注意すること。死神は決して傷を受けず周囲の者に及ぶ」
「以上を踏まえて警戒レベルを5とする」
黒狐と白猫が交互に言葉を発したのは紛れもなく目の前の男の情報だった。《死神》が一瞬驚いているその隙に白猫が肘打ちをして敵の束縛から解放された。
「もう1つ種明かし。あんたの力は周囲の人間じゃなくてコレだろ?」
黒狐が背負っていた少年の服を捲りあげると背中には赤い六芒星が刻印されてあった。
「わざわざ傷を肩代わりできるのに部下から先にさせるって人間らしくない。お前達は無関係な人間に冷たいじゃないか」
《死神》の力は刻印を記した者でかつ最も近い者から順番となる。白猫から手を離さなかったのは彼女に肩代わりさせる算段だったのだが、そもそも彼女の能力上それすら叶わなかったのである。
「素晴らしい。白痴の獣と思っていましたが、これは考えを改めなくてはなりませんね」
「これでも人間社会は結構勉強してるんでね」
「美味しい料理も作ってくれるしね」
白猫が少年の刻印も消滅させたので最早死神にダメージを肩代わりできる者はいない。黒狐は腕を突き出して最後に力を奮った。男の顔は消え去り骸が剥き出しになる。思考と意識が消えたのかそのまま橋の上から落ちていった。
「くくく、ふははははははは!」
最後の余力か《死神》は笑う。黒狐は確認する為に湖を見た。水の上には死神が着ていたスーツだけが浮かんでおり、骸が消えていた。妙な疑念が残るも、生きてようが死んでようがどうでもよかった。街の方から足音がし、少年の姉とその両親が駆けて来る。
両親は弟の無事を確認すると一目散に抱きしめて安堵の声をあげていた。
そんな様子を白猫と黒狐は気にもせず少女に近付く。彼女はオロオロしながら父親の袖を引っ張ると、彼は財布を取り出して10000と記された紙幣を手渡して何度も頭を下げていた。
彼女達も親子の間に水を差すつもりもなく早々にその場を後にしようとする。その時。
「お姉ちゃん、ありがとー!」
「ありがとう!」
歳幼い姉弟の声が背中から聞こえる。2人は振り返らずに手だけ上げて別れの挨拶とした。
「時給1万テイルって考えたら中々だよね」
「ああ。これでようやく食べられるぞ!」
「美味しい料理の為にいざ出発!」
その後、ラーメン店まで行ったのだがガラスケースの混沌ラーメンの値札がひっくり返って『完売』の文字が付いていた。酒屋の方も『完売御礼』と出されていた。
彼女達が頑張ってる間も観光客は黙ってくれない。
結局、それらを食べる為に1日滞在するはめとなったのであった。