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第3話 少年よ、大志を抱け

 旅を続けている白猫と黒狐は現在木々が生い茂る渓流へと来ていた。久し振りに色のある場所で動物の鳴き声、木々のせせらぎ、水の流れる音色に感動していた。

 何より、水があるという事実が彼女達にとって最重要であった。何せ旅続きでろくに身体も洗えないので見た目少女の2人にはそれは厳しい事情である。


 その為、彼女達は渓流にある川辺で休んでいた。森で集めた薬草を潰して溶かし、そこに果樹を混ぜる。そうすれば簡単な匂い付き万能液が完成する。それで身体を清めて焚き火で服や髪をかわかす。すっきりすると今度はお腹が減ったのかどちらかがグーと鳴らす。


「さてと。目の前に川があるなら考えるのは1つだけ」


「釣りでもするの?」


 白猫は小さな岩場に座って足だけ川に入れて涼んでいた。


「そんな面倒な過程を踏むのは人間だけだ」


 黒狐は人差し指を水の中へ入れると川の中にいた魚が一斉に腹を出して浮き上がった。


「あーあ。自然を壊すのはマナー違反だよ。殺すなら人間にしないと」


「全部食べれば問題ない」


「わたし小食なんだけどなぁ」


 浮き上がった魚は引き寄せられるようにして川辺に打ち上げられ、その数は軽く100は超えている。白猫は溜息を吐きながらも掌を魚に向けるとその半数以上がびちびちと跳ね出し川の中へと帰って行った。


 その間、黒狐は木に近づいてソッと手で触れるとその箇所が一瞬で腐食し、幹が脆くなった木はそのまま倒壊する。樹皮を剥がして中の綺麗な部分を何枚も切り取れば魚を丸焼きにするに丁度いい串となった。


 それを持ち帰って魚を一匹ずつ串焼きにしていった。


「鮎の塩焼きだな」


「塩ないじゃん。醤油もない!」


「贅沢な猫ちゃんだ。そんなあなたにこんなのがある」


 鮎を焼いている間に黒狐が木を倒壊させた時に毟った葉だった。


「モズの葉。焼いた鮎に乗せると美味しくなるらしいよ」


「モズは実の方が好きだなぁ」


 時期が違うのかその木には実はなっていない。そろそろ焼けたと見て黒狐が熱そうに串を取って白猫に渡す。彼女は平気そうに堂々と受け取って片手でモズの葉を魚に巻いて頬張った。パリパリに焼けた皮と白い身、そこに後味をよくさせる若干の苦味が味を引き立てる。


「ん~。やっぱ焼き魚は美味しいね~」


「でも一番は刺身なんだろ?」


「勿論だよ~。魚は生が一番!」


 白猫が恍惚そうに食べているので、黒狐もその笑顔を見ているだけで自然と美味しく感じられるのだった。


 しかし、それは2人きりだった場合に限る。


 彼女達を木の陰から覗く視線があった。そこにはまだ年端もいかない少年が不恰好な服を着て震えながら立っている。黒狐は軽く溜息を吐くと立ち上がって少年の方へと歩き出す。


「お姉ちゃん。流石に人間は身体に悪いと思うよ。お魚にしておいたら?」


「あんなの食べる訳ないじゃない。添加物の塊よ」


「ここの人間は天然物だろうけどね」


 黒狐が接近してくると少年の震える仕草は増していく。しかし、本能的に逃げろと訴えられても足は動かない。彼にはまだその一歩を踏み出す勇気がないのだ。


 黒狐が少年の前に立って見下ろし目付きを尖らせる。その恐ろしい視線に少年は木にしがみついてギュッと目を瞑った。そんな彼に対して黒狐は少年の頭を軽く叩く。


「別に取って食いもしないし殺しもしないよ。あんたが無害な人間である限りね」


 しかし、彼女の言葉がまるで耳に届いていないのか少年は目を固く閉ざしたままだった。

 彼女はこのままでは埒があかないと思って丁度手に持っていた鮎の焼きを少年の口に無理矢理突っ込んだ。

 突然の出来事と口の中に広がる熱さに少年がジタバタする。


「ほらほら。早く食べないと窒息するぞ?」


 黒狐は串を抜こうとしないので少年は否応なく鮎を頬張るしかなかった。それで何とか食べ終えたので串を引き抜かれるも蒸せた少年はゲホゲホと咳き込む。


「少しは頭が冷えたか? いや、熱くなったか。まぁいいけど。我に返ったなら早くマザーの元に帰りなさい」


 少年は先程までの震えはなくなって手足も動くようになっていた。だがそれでもその場から動こうとせず俯いてしまう。その後ボソッと何かを呟いた。


「ん、何か言った?」


「道に迷ったんです」


 少年の悲痛な言葉に黒狐は思わず肩をすくめてしまう。


「お姉ちゃん、どしたの~」


 戻って来るのが遅かったからか白猫も心配して来た。


「数日前の私達と同じ状態だってさ」


「へぇ。肉サンド食べたいのかな?」


「惜しい。もう少し前だ」


「ああ。変人に狙われてるんだね」


 白猫が分かった上でわざと外しているのに気付くと黒狐もそれ以上言及しなくなった。


「迷子になったから私らが案内しろって? そもそもあんたの家すら知らないわ」


 それを言われたら少年も黙るしかない。彼もどうしていいか分からないのだろう。


「お姉ちゃん。そんなだから人間から嫌われるんだよ」


「好かれるよりは余程マシ」


「はいはい。ま、わたしもどうだっていいんだけどね」


 2人は少年の横を通り過ぎて先へと歩いて行ってしまう。困り果てた少年は目に涙を浮かべ、その時に白猫が頭だけ振り返らした。


「来るの、来ないの? あなたは相手の同意がないと行動できないの?」


 厳しい発言だったが少なくとも来てもいいという解釈にも取れる。どの道少年に選択肢などなく彼女達に付いて行くのだった。



 ※



 少年が同行してからも白猫と黒狐は何事もないように森林の中を歩いて雑談をしていた。

 少年とはいうと2人から大分離れて俯きながらトボトボ歩いている。


「おい少年」


 黒狐に声をかけられて彼はビクッと跳ね上がる。


「ちゃんと顔を上げて歩け。茂みから何が出て来てもこっちは知らんぞ」


 気遣いなのかは分からないが彼女の言葉に従って少年は少しだけ顔を上げて歩くようになった。


「少年、私が怖いか?」


 その質問には少年は足が止まって絶句する。彼からすれば耳や尻尾のある人間自体が怪奇の類であり、おまけに魚を乱獲する瞬間や木をなぎ倒すのを見たので余計であった。

 だから何も言わずに頷く。


「そうか、なら良かったよ。少年、お前は自信を持っていいぞ。お前はまだ正常だ」


「最近恐怖を忘れた人間が多いんだよね。自分の欲望を叶える為に命を無為に散らして本当バカバカしいよね」


 少年には彼女達が何を話しているかを理解できるだけの教養がなかった。ただ1つ分かるのは自分に対してそこまで否定的にされていないという事実のみ。


 そんな話をしていると近くでガサガサと茂みが揺れる。その音は段々と大きくなって遂に大きな影が目の前を覆うのだった。


 熊だ。


 それも大人を覆いかぶされるだけの身長があり、黒い毛並みが逆立っている。熊はこちらを見るや否、四つん這いになって獰猛な声を上げ威嚇してくる。白猫と黒狐は一切動じていないが、少年は驚きのあまり腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。

 熊は威嚇しながらゆっくりと歩み寄ってくる。


「熊か。随分と唸っているが腹でも空かしているのか?」


「わざわざ人間を食べる習慣があるなんて立派な熊さんだね。近くに美味しいお魚さんが一杯いるのにね?」


「熊が怒るには2つ理由がある。腹を空かしているか、子育てをしている時だ」


 黒狐はちらりと少年の方を見た。何故なら熊の視線が明らかに少年に向いており怒りを露にしているのである。そして、白猫の言う通り熊が無闇に人を襲う理由がない。

 ただ後者と断定するならば、その熊には肝心の子熊を連れていなかった。


「なぁ少年。お前さん、ここに来る前に何かしたか?」


 黒狐が威圧感のある口調で話す。少年はガクガクと震えながら口を動かした。


「小さな、熊がいたから、無防備だったから、崖から、けり落として」


 彼女はそれを聞いて納得する。熊を蹴ったから足に子熊の匂いが残っていたのだ。熊の嗅覚は犬よりも高いと言われている。少年に付着したわずかな匂いを察知して怒り狂っているのだ。


「村では、熊は危ないって、だから小さい時に殺せって、親や皆が言って」


 少年がちぐはぐに言葉を繋ぎながら話す。それを聞いて白猫も呆れていた。


「そっか。じゃあ君は村のルールを守って死ねるんだね。良かったね」


 今もジリジリと歩み寄る熊に対して2人は両脇に退いて熊に道を譲った。熊は彼女達に見向きもせずに少年に近付く。少年は鼻水を垂らし、ズボンを濡らし、失神寸前だった。


「少年。私はな、弱い奴に手を出して強い奴には手を出さない奴が大嫌いなんだ。それにお前がしたことが自分にされるんだから言い訳はできないだろう」


 最早黒狐の言葉は彼の耳には届いていない。眼前には自分の何倍もの大きさのある熊が四つん這いになって迫っている。もう目と鼻の先だ。逃げたいと思っても身体は動かない。


 森には危険な動物が沢山いるのは知っていた。心のどこかで助けてくれると思っていた。少年はこんな目に遭うなら村の言い付けなんて守らなかったら良かったと切実に思う。

 その意識を最後に少年の視界に熊の爪が映り真っ暗になった。



 ※



 数時間は経過しただろうか。少年は不意に目が覚めて青い空と緑色の葉が目に入った。ゆっくりと腰を上げると道脇には白猫と黒狐が立っている。次に自身の腹部を見た。

 何もなっていなかった。だが少年はおかしいと思った。確かにあの時熊の爪に引き裂かれたのだ。無傷であるのはおかしい。目の前の2人が助けてくれたのだろうかと僅かに思うが、あの時の態度を見てそれはないと断言する。


「王子様のお目覚めだ」


「早く行こう。わたし、待つのは嫌いなんだよね」


 何事もなく話す2人に少年はただ違和感しかない。まるで自分が疲れて眠っていただけに思えてしまう。悪い夢でも見ていたのかと。


「あの。熊は・・・?」


 それでも少年は確かめざるにはいられなかった。だから2人が歩く前に口にした。


「熊さんなら子熊と再会してどこかへ行ったよ」


「熊って結構丈夫なんだな。足を引きずってるように見えたが元気そうだった」


「今は何ともないだろうけどね」


 そうなのかと少年は一瞬納得しかけたが、それが事実ならあれは夢ではなかったとなってしまう。仮にあの瞬間に子熊が来ても親熊の注意がそちらに向くだろうかと思った。

 また白猫の「今は」という発言にも意味が理解できずにいる。


「何を放心している。こっちは水先案内人じゃないんだ。さっさと行くぞ」


 黒狐に言われて少年は慌てて立ち上がり砂を払うと後を追う。

 それからも相変わらず2人は雑談話に華をさかせていたが、少年の意識は未だ熊のことばかりだった。唸っている声が漏れていたのか黒狐が顔を向けているのに気付く。


「まるで狐に化かされたみたいな顔をしているな?」


「お姉ちゃん狐じゃん」


「実際に化かした狐じゃないけどな」


「良かったね、君も。狐の逆鱗に触れてたら今頃三途の川渡ってただろうね」


 やはり意図の読めない会話をされる。ただ白猫の発言からやはり自分は死の淵を彷徨っていたのだと理解した。と同時に自分の今までの行いに疑問を持った。


「ぼくは、まちがっていたのでしょうか」


 村の言い付けを守ったから熊に襲われた。ならば言い付けを守るべきでないと感じたのだろう。


「別に何でもいいんじゃない。それが良いと思って守ったならそれでいいし、悪いと思うなら守らなくてもいい」


「私らが憎いと思うなら殺しにかかって来てもいいぞ。その結果がどうなるかは責任を持てないがな」


 ここで少年は自分で選んだ選択の結果こうなったのだと理解する。村の言い付けを守るべき、大人の言うことは聞くべきと思っていた。だがそれは他人任せな生き方だったのだと自覚する。


「1つ聞きたいんだけど君はどうしてあそこで1人でいたの?」


 本来、少年の村の掟では1人で村を出てはならないというのがあった。彼はそれを破って出て来たのである。彼は言い付けを守るが、掟は守れない子だった。


「それは・・・」


「何となく気持ちは分かるけど。少なくとも私達は現状に満足できなかったから旅に出た」


 少年が言い淀んでいたので黒狐が遮るように言う。

 それから道なりに進んでいれば自ずと彼の村へまで行き着いた。少年は無事帰れたので嬉々として駆け出すもも、彼女達がその後を追う真似はしない。

 それに気付いて少年は振り返る。何故なら2人もこの村を訪れる為に来たと勝手に解釈していたからだ。


 白猫と黒狐の侘しい表情を見て少年はそれが別れなのだと理解する。たった数時間程度の付き合いだったが、それは少年にとって人生の分岐点とも言える時間だった。

 だから急いで戻ると深々と頭を下げる。


「あの、色々とありがとうございました」


 それを聞いた2人は目を丸くして顔を見合わせる。


「人間にお礼を言われたのはいつぶりだろう?」


「2日前だよ。バーガーショップの店主が『お買い上げありがとうございましたー』って言ってたじゃない」


「いや、あれはノーカンだろ?」


 それから2人は少年の肩を叩くとその場から立ち去ろうとする。途中、黒狐が振り返って口を開けた。


「この先、あんたと再会しないことを祈るよ。私達と2度会う人間は皆相場が決まってるから」


 その意味をこの時の少年は知る由もなかった。そして、今度こそ2人は振り返らずに森の中へと姿を消していく。その背中をずっと見ていた少年だったが、彼の行方が知れずに騒ぎになっていた大人達が駆け寄ってきて質問攻めをしていた。

 少年は曖昧に答えながらもその場を上手く収めた。


 翌朝、少年は村を出た。僅かな食糧と手製の木刀を手にまだ知らぬ世界を求める。

 もう誰かに言われるだけの生き方はやめると決めた。

 もう無知で世間知らずでいたくない決めた。

 もう弱くて何もできない自分になりたくないと決めた。


 自由に生きていい。あの2人にそう言われた気がするから。だから誰かに決められただけの人生と別れを告げる。


 少年の視界に広がる世界は未知と恐怖、更に世間の厳しさも知るだろう。けれど彼はもう俯かない。あの2人の言葉があるから今は前に進める。

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