第19話 逆転
白猫は暗い路地の中を当てもなく、ひたすらに走っていた。姉の居場所は《悪魔》が騒いでくれたおかげでおおよそ分かる。しかし、彼女の心は憂鬱だ。先程まで騒がしかった音も今ではすっかり静寂に戻っている。《悪魔》が死んだのか、或いは。
白猫は首を大きく横に振った。
「お姉ちゃんが負けるはずない。お姉ちゃんは最強だもん」
無理してでも虚栄心を見せる。そうでなければ心が荒む。
白猫は時々後ろを振り返って《吊るされた男》と《恋人》が追っていないか確認する。
「聖女さん、本当に」
本当は敵であって欲しくないと願う。しかし、《恋人》は確実に白猫を操ろうとした。それは事実。ならば次出会っても容赦をすべきではない。
そう思っても白猫の気は乗らない。
「こんな時、お姉ちゃんならどうするんだろう・・・」
姉の選択はいつも迷いがなかった。だからいつも信じてきた。その姉が今はいない。
「わたしが頑張らないと。これでも世界で指名手配されてる最強の妹なんだから」
そう言った矢先、街角を通り抜ける直前に白猫の頭が拳銃で撃ちぬかれた。その場に倒れるもすぐに蘇生する。が、その時には首を押さえられていた。眼前には《死神》がいる。
白猫は《死神》の腕を離そうと手に力を込めるが相手の方が何倍も強かった。
「抵抗は無意味です。交渉をしましょうか」
しかし、白猫は暴れてもがき続ける。そんな中、《吊るされた男》と《恋人》も到着した。
「丁度良い所に来てくれました。《吊るされた男》、彼女を抑えてください」
命令された《吊るされた男》は白猫を軽々持ち上げてその首を腕で締め上げる。手に力も入らず僅かな呼吸しかできない。
「最早あなたに逆転の芽はありません。素直にこちらの・・・」
「ふーっふーっ!」
白猫は聞く耳持たずで威嚇し続ける。《死神》は呆れて両手を広げた。
「抵抗するのは自由ですが、あなたが強情な態度を取り続ければ黒狐は助からないかもしれませんよ?」
それを聞いた白猫の耳がピンと立つ。
「彼女は今死んでいます。急げばあなたの力で蘇生できるでしょう。ですが、あなたの能力は死後10分以上経過すれば手遅れとなる。違いますか?」
《死神》の指摘は当たっていた。だから、白猫は目を逸らす。
「あなたの力は霊術。つまり魂を操る。魂さえあれば何度でも生き返れる。魂さえあれば死後戻れる。そうでしょう?」
それを言われてようやく白猫の耳と尻尾が項垂れた。《死神》の言葉は全て的を射ている。
世界政府は医術、と誤認しているがそれは誤ちなのである。
「姉の方は呪術。全てを呪い殺す力。憎み、憎しみ、全てを溶かす腐敗の力。さて、ここまで言ったなら私が言いたい意味が分かるでしょう?」
《死神》は、いや敵幹部の全員は白猫と黒狐の能力を完全に把握している。それは彼女にとってもっとも怒りに踏み込まれる部分であったが、今は怒る気力がない。
何故なら《死神》が黒狐を殺したというのが真実味を帯びたからだ。
「こちらの要求は単純です。あなたと黒狐には《世界》の元へと帰ってもらいます。黒狐も治してもらわなくてはならないのですが、それではあなたが裏切るのは明白です。なので、あなたは《恋人》に返事をする。それだけで構いません」
視線が《恋人》の元に寄せられるも、彼女は静かに十字架を握っているだけである。
誘惑を一度受ければ、彼女の言葉に従う他ない。白猫の自由さえなくなれば、彼らの勝利が確定する。
「ですが《死神》さん。彼女は先程、私の誘惑に抗いました。また抵抗するかもしれません」
「そうでしたか。ならば、より深い誘惑を受けてもらう他ありませんね」
《死神》がにやりと笑う。白猫に選択肢はない。初めから交渉などなかった。
時間は刻一刻と迫っている。考えている余裕もない。白猫にとって黒狐の存在は自分の命よりも重い。彼女が助かるなら地獄の場所に帰ったとしても、そう望む。
けれど、姉は言った。
『自由な旅をしよう』
あそこに帰ったら自由は二度と来ない。それ所か姉と二度と会えない可能性もある。
それなら、いっそ。
《恋人》がゆっくりと歩を進めて白猫に近付く。その表情は虚無そのもので、何も見ていない様子である。
ゆっくり、ゆっくり。そして、辿り着いた。
「白猫さん。これでお終いにしましょう。そうすれば助かります。だから、私の目を見て返事をしてください」
しかし、白猫は俯いたままで何も答えない。すると《吊るされた男》がグッと腕に力を込めた。彼女は吐き気を催すも首を押さえられているので出すものも出せない。
「これは罰だ。全てから逃げ出し、己の目的すらも忘れた娘の罰! 罪を償わなくして、何が懺悔か! 己の浅はかさを知れ!」
「よしなさい、《吊るされた男》。死なれると逃げられます」
《死神》の忠告を受けて彼は腕の力を僅かに緩めるが、そうなると白猫は死んだ目のまま視線の定まらぬ一点を見つめるのみ。
「白猫さん。これはあなたの為なんです。どうか返事をしてください」
それでも返事はなされない。白猫の心はとっくに決まっている。
「《死神》よ。この娘は罰を認めないぞ。何と嘆かわしい」
「そのようですね。これは困りましたが・・・まぁ、いいでしょう。最悪は彼女だけでも問題ないはずです」
まるで命を物か何かのように話す2人。この先、白猫には本当の死以上の地獄が待っている。それでも彼女はもう壊れた人形として生きるだろう。
「白猫さん・・・」
《恋人》は最後に問いかけた。白猫の口が微かに動く。その動きから意味は『お姉ちゃん』。
彼女達はただの仲の良い姉妹だった。それだけだった。なのに何故奪われるのか。
だから。
「《吊るされた男》さん。1ついいですか?」
「何だ?」
その問いかけに返事をすれば最後。《恋人》の誘惑に嵌ってしまう。《吊るされた男》は人形になってしまったかの如く、力が抜けて白猫を解放した。地面に倒れた彼女だが相変わらず目が死んだままだ。そんな彼女に《恋人》が手を差し伸べる。
「ごめんなさい、本当に」
「《恋人》よ。裏切る気か?」
《死神》が既に銃を構えて彼女に向けている。しかし、彼女が囁くと《吊るされた男》が前に立った。『因果』はあくまで攻撃を跳ね返すだけであり、彼女の精神介入まで返せない。
「もう、限界なんです。罪なき人を傷つけ己の利得を優先させる。罰を受けるべきは私でした」
「少しは使えると思いましたが・・・。しかし、組織を裏切るのは感心しませんね。あなたはどれだけの恩寵を手にしたと思いですか?」
その返答の代わりに《吊るされた男》が《死神》を襲いかかって拳を下ろした。地面を抉るパンチだが、それを呆気なくかわして銃弾を一発放つ。それは《恋人》の脳に直撃するはずだった。
しかし、その前に白猫が立ったので弾の勢いは殺される。白猫の頬に穴が空いて《恋人》が放心するも、白猫が微笑んで振り返った。
「ふふ、やっぱりあなたは聖女さんだったんだね」
「白猫さん、どうして・・・私はあなたを・・・」
「まだご飯のお礼も出来てないし。温かいお風呂に入ったお礼もできてないや。ふかふかのベッドで眠らせてくれたお礼も出来てないね。それに、今助けてくれたお礼も」
白猫が真面目な顔で話す。全ては《恋人》の打算によって組み込まれたものだった。彼女達から信頼を奪い利用する。それが《審判》に命じられた彼女の任務。
白猫は目を逸らす彼女を見て察したのか続けた。
「例え、それが聖女さんの本音じゃなかったとしても、わたし達は助けられた。だから、ありがとう」
そう笑顔を向けてくれる。それは《恋人》が久し振りに人から向けられたものだった。
「・・・まさか立場が逆転するとは。ですが、これはまだ序章。本当の地獄はこれからですよ」
《死神》は状況不利と見てか、闇に溶けて消え去る。残されるは3人で、特に白猫が焦っていた。
「お姉ちゃんを探さないと!」
彼女は一目散に駆け出して動き出す。血の痕跡などを頼りにして近くの建物を洗いだそうとしていた。残されたのは《恋人》と《吊るされた男》。
彼女は十字架を握り締めて呟く。
「《吊るされた男》。あなたは首を吊って死んでください」
《恋人》の洗脳は絶対。それを聞けば必ず実行しなくてはならない。
だが、それを聞いた《吊るされた男》は何故か泣いていた。
「ようやく、罰を与えられるのか。長かった。ただ、それだけを望んでいた」
彼もまた不死身ではない。それだけが彼を唯一殺せる方法である。そして、彼は常に死を望んでいた。死なぬ体故に己を罰し、罰せられるべきと。
だから、組織のメンバーにはその殺し方を言っていたのである。《恋人》も例外なく聞いていた。
「すみません。けれど、もう」
「それでよい。因果はいずれ自分に来る。ようやく、罪を償える」
《吊るされた男》は重い足取りでその場から消え去った。
後日、彼が脱走した獄中で首を吊って自殺しているのを看守に発見され世界を騒然とさせるニュースとなる。




