第17話 絶望に抗って
グオォォォォォォォ!
人が寝静まる牛三つ時。街の方から異形の叫び声を轟かせていた。
それを聞いてはベッドでぐっすり眠っていた白猫と黒狐も思わず目が覚める。
黒狐が布団を上げて起き上がるも、白猫は眠そうに瞼を擦るばかり。
不意に廊下の方からバタバタと騒がしい音がするので、黒狐が立って扉を開けた。視線の先には聖女がいる。
「《悪魔》が出たのか?」
急に声をかけられて彼女はビクッとするも、振り返ってから一呼吸置いて小さく頷く。
「私、行かなくてはなりません。子供達を守る為にも戦います」
聖女は真面目な顔をして言った。彼女に戦う力があるのかは分からない。あった所で《悪魔》と対等に戦えるとも思えない。だから黒狐は迷わずこう答える。
「だったら私達も同行しよう。少し待ってくれ」
黒狐が未だに枕と抱きついている白猫を無理矢理起こして、部屋に干されている制服に着替える。半渇きで少しべたつくが、そういうのに慣れていた。身だしなみを整えると廊下で待っている聖女の元へ行く。
3人で玄関の方へ行って出かけようとすると、数人の子供達が来ていた。
「シスター、何処行くの?」
不安そうな声だった。理由は何となく分かっているだろう。聖女は屈託のない笑みを作って答える。
「すぐに戻って来ます。だから、皆は良い子にして待っていてください」
1人ずつ優しく撫でると子供達もそれ以上反論はしない。そのまま庭に出て、門を抜けた。
シスターはランタンを片手に真夜中を街を先導する。一寸先は闇の状態で、目がいい白猫と黒狐でさえ遠くまでは見通せない。
「《悪魔》はどこに出たんだ?」
黒狐が耳を済ませて周囲の物音に気を配るが、翼の音も叫び声も或いは人間の悲鳴すら聞こえない。
「でもさ、もう殆どの人間がいない街を襲うなんて《悪魔》も真面目だよね。食糧を求めるならもっと人の多い場所を選んだ方が早くない?」
「いや、敵の狙いはおそらく私達だ。人間を襲っているのは副産物だろう」
「あ、そっか。でもそうなると聖女さんが危ないような?」
「私達と一緒に居る限りに完全に死にはしないだろう」
「それもそうだね」
聖女は彼女達の会話を黙って聞きながら先へと歩く。足が震えているのか歩く速度が少しずつ遅くなっていく。
「聖女さん。やっぱりあんたは引き返した方がいいんじゃない?」
「いえ、大丈夫です。私が皆さんを守るんです。私がしっかりしないと」
自分に言い聞かせて十字架を握り締めている。
「戦うって言ったがあんた本当に戦えるのか?」
「武術の心得が少しだけあります。後は神の御心次第です」
神を信じていない2人からすれば都合よく助けてくれるとは思っていなかった。
だからこそ、余計に守ってあげるべきと耳打ちをしている。
闇に覆われた大通りには3つの足音だけが響く。仄かに光るランタンが全ての道標のよう。
しかし、静寂を破るのはいつも唐突である。
ヒュゥゥゥゥゥ
黒い影が翼を羽ばたかせて迫っている。耳を済ませる。場所は前方50m先。
そこには山羊頭の蝙蝠翼を持った《悪魔》が飛んでこちらに迫っている。
「ここは私に任せてください」
聖女がランタンを置いてローブの内側から香炉を取り出して蓋を開けた。すると強烈な甘い匂いが空気中に充満し、白猫と黒狐も意識が一瞬遠のきそうになる。
ザクッ
気付けば《悪魔》は目の前に接近して、その右手を腹に貫いていた。
そう、黒狐の腹に。
一瞬何が起こったか理解できぬ2人。白猫は頭を抑えながら何とか姉の傷を癒すも《悪魔》が黒狐の肩を掴んで遠くへ飛び去る。
「お姉ちゃん!」
白猫の叫びは虚しく闇の中へ消え去る。相変わらず頭痛が激しくて足取りが重い。
聖女は侘びしい顔をしながら彼女を見ている。
「聖女、さん?」
「私のことはこれから《恋人》とお呼びください。白猫さん」
「そんな・・・嘘でしょ」
ずっと味方だと思っていた彼女は敵の幹部の1人だった。白猫の動揺は過去最高で意識も朦朧としている。
「全部、演技だったの?」
《恋人》は何も答えない。白猫は否定して欲しかった。何かの間違いだと。その一言があればまだやり直せる。けれど、何も言ってくれない。
「あはは・・・やっぱりわたし達ってつくづく人間運がないみたい」
《恋人》はただジッと立ったまま白猫を見ているだけ。
神様なんてやっぱりいなかった、と白猫は思う。仮にいたとしても、きっとそれは自分達を助けてくれないだろうと思っている。何故なら神様は人を救うのが仕事だから。
静寂に包まれた闇の中、新たに足音が増える。
「ああ・・・罰だ。罰が欲しい。これ以上は限界だ。誰か私に罰をくれ」
喪服の格好をした男が嘆きを露にして現れる。長い髪は老けてか白く、目は黒い包帯で見えなくしている。腕は両方背中に回され、両手を手錠で縛っていた。
その男は危険レベル5にして、別名は《吊るされた男》。
死刑囚として監獄塔に投獄されていた異常者。しかし、投獄されたのは政府が捕らえたのではなく本人の意思という奇怪な行動である。能力についても不明な点が多く、近日《死神》の手引きによって脱獄した。
その異常者については白猫も知っている。だからこそ、現状に危機感を抱いていた。
姉と離れてしまった上、《悪魔》と恐らく《死神》もいると直感している。
すぐにでも合流しなくてはならないのに目の前に幹部が2人。
「それで、2人でいいの?」
白猫が問いかけた。まるで己の状況を理解していない子供である。《恋人》は身動きもせず、《吊るされた男》はぶつぶつ呟くのみ。
白猫は拳をぎゅっと握って自分の鼻を思い切り殴る。ボキ、と鼻骨が曲がる音がして嗅覚を鈍らせた。おかげで香炉の匂いの効果も弱まり痛みで目も覚める。
彼女は駆けた。その先に《吊るされた男》が天を仰いで立っていたので胸元を思い切り殴る。だが、勢いに乗せたストレートはクッションを殴ったかの如く衝撃が吸収されて威力がなくなった。
白猫は今度は顎に向けて蹴り上げた。しかし、それも相手の肌に面すると同時に威力が死ぬ。
直、白猫の腹部と顎に痛みが走り、慌てて距離を置いた。お腹に手を当てるも傷はない。内臓も問題ない。なのに痛みがずっと続く。
「それだけの罰では私は許されぬ。もっと殺意を抱いてくれ。もっと憎んでくれ。私は生まれるべきでなかった」
《吊るされた男》が包帯の内側から涙を流して雫を落とす。
彼が持つ能力は『因果』。その身に受けた攻撃を全て相手に跳ね返す。自身は一切傷付かない。だから誰も手出しできない。手を出せば一生死ぬまでその呪いから解放されない。
「こんな変態の思い通りになるもんかっ!」
白猫は壁に向かって走り頭を思い切ってぶつけた。衝突したことで死を迎え、全てをリセットして完治するという荒業。白猫は口元を拭いながら立ち上がる。
彼女の視界の先には《恋人》が悲しそうな目をしていた。
「白猫さん。《吊るされた男》は自分から手を出しません。今ならまだ間に合います」
白猫は《恋人》が何を言っているのか分からなかった。欺いたのにまた甘い言葉を囁いてくる。だから、こう答えてしまう。
「それは、どういう・・・」
《恋人》に返事をしてしまった白猫は身体の融通が利かなくなる。
「白猫さん。こちらに来てください。私はあなたの敵ではありません」
《恋人》が手招きをする。白猫はフラフラと歩きながら彼女の元に先導されてしまう。
そして、《恋人》はローブの内側から拳銃とナイフを取り出して白猫の右手と左手に握らせた。
《恋人》の持つ能力は『誘惑』。甘い言葉で相手を唆す洗脳の一種。《正義》の持つ『宣告』に似ているが、あちらは命令であって本人の意思ではない。しかし、《恋人》の使うものは相手の意思を操る。強力故に対象が固定されるが、一度誘惑されたら《恋人》の人形となる。
「白猫さん。《吊るされた男》を撃ちなさい」
「・・・はい」
白猫は無造作に拳銃を持って《吊るされた男》目掛けて発砲した。相手の胸元に当たるが弾丸は断崖にぶつかったように弾かれて地面に落ちる。
直後、白猫の胸に凄まじい激痛が走った。肉体的痛みではなく、精神的苦痛。
それがずっと、じんわりと痛み続ける。あまりの痛みに白猫が一度膝を折ってしまうも、《恋人》が屈んで目元を濡らす。
「大丈夫です。すぐに全部終わりますからもう少しだけ頑張りましょう」
「・・・はい」
耳を貸せば貸すほど洗脳は強くなる。沼に落ちた生物は自分の力で這い上がることは出来ない。勝負は既に喫していた。
「白猫さん。そのナイフで《吊るされた男》の首を斬りなさい。それで楽になれます」
「・・・はい」
白猫はゆっくりと歩きながら《吊るされた男》の前まで行った。
「君も罰を求めているのだな。悲しき現世。それを終いにしよう。私に罰を」
白猫は情緒も躊躇いもなく、無造作にナイフを掲げて振った。弧を描き軽快に動いたそれは寸での所で相手の首元で止まる。
「・・・いや」
白猫が呟く。手は震え洗脳に抗っているのだった。
今までも、今も、そしてこれからも、ずっと姉と共にいたい。それだけが願い。
この世の何処にも幸せがなくとも、姉がいるなら幸せだと思っている。
白猫は無理矢理腕を動かして自分の首を刺した。血が飛んで《吊るされた男》に返り血が付着する。死んだ彼女は己の力で遠くで蘇生した。
「そんな・・・『誘惑』に抗うなんて・・・。白猫さん、あなたは間違っています。抗っても辛いだけ。このまま戦っても傷付くだけ。その身を《世界》に委ねるのが、あなたにとって・・・」
「もう、あなたの言葉は聞かない。わたしの、わたし達の自由を邪魔しないで」
白猫がキッと睨みつけて《恋人》が一瞬怯む。今まで一度も洗脳から逃れられた試しもなく、驚きしかない。
「罪を重ねるな、娘よ。全ては《審判》の意思。この世の生物は等しく罰を受ける。今が救いだと何故分からない!」
《吊るされた男》は手錠を力付くで破壊し、包帯を外す。光のない暗い瞳がギョロッと動く。手に力を込めて地面に叩きつけると手が埋まるほどの破壊力を生み出す。
白猫は慌てて逃げようとするが、それよりも早く《吊るされた男》が動き出す。
敵に蹴られて壁に叩きつけられるも、物理的な痛みならすぐに治せた。
「傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰! 生まれながら罪を背負い、罪と向き合い、罰を受ける! それがこの世の在り方。この世の罰! 罰、罰罰罰! 罰を受け入れろ!」
《吊るされた男》は目を見開いて瞬きもせずに叫び続けている。首はキョロキョロしていて白猫を探していた。彼は元来から目が見えなかった。だから聴覚や嗅覚を頼りに動く他ない。
だから、彼が白猫を攻撃して突き飛ばしたのは最も愚策となった。何故なら白猫は死ぬことで音もなく、逃げられるからだ。悲しみの《恋人》と怒りの《吊るされた男》はみすみす対象を逃がす羽目となる。




