第14話 《悪魔》
悪魔、と呼ばれるのはこの世で2種類存在する。それは人間にとって自然的な悪意をもたらすもの、或いは精神を乱して人間を唆すもの。《悪魔》は前者だった。
人を殺すのに意味はない。
人を食い千切るのに意味はない。
人が助けを求めても許しはしない。
人が泣き叫んでもその手は止まりはしない。
《悪魔》にとって全ては意味なき日常。己という存在を与えられた瞬間から、その役目を全うするのみ。だから、目の前にいる獣の少女を殺そうとするのに意味はない。
そうするのは呼吸するのと同じ。息を吸うように鉈を持って、息を吐くように鉈を振るえば相手は死んでいる。
今回も同じだった。空を飛べるという利を活かして相手の視線を惑わせる。獣の少女は《悪魔》の速さに目が追いついていない。既に地面に着地して木の傍に立っているというのに未だ空を見上げている。
脆弱。
《悪魔》にとって人間は等しくそう映る。
それは感情ではなく感想。相手の背後に回って2本の鉈で姉妹の腹を突き刺すも、彼女達が驚いている様子はない。
まるで刺されるのが日常であると言わんばかりに目を丸くしている。
《悪魔》にとって、それは今までの人間とは違う反応だった。だが《悪魔》がする行動に変わりはしない。突き刺した鉈をいつも通りに横に振るだけだ。そうすれば人の身体は半分になって死ぬ。
事実。白猫と黒狐の肉体は綺麗に別れて飛んでいる。
けれど、どうだろうか。彼女達はなぜ《悪魔》を見ている。
見ているだけだ。抵抗はなく、そのまま地面に落ちた。
それからおかしな出来事が起こる。2人の肉体は灰になってしまってその場から消失したのだ。と同時に20mは離れた位置に新たな生命反応が出現する。
「ナルホド。マスターのジョウホウとオナジだ。オマエタチもシネナイのか」
《悪魔》は事前に脳に記憶した情報を呼び起こす。本来、それは不要であった。何故ならどんな強い人間と言われようとも《悪魔》の前では等しく児戯となるからだ。
「も、ね。ならそっちも死なないんだ。ならこの喧嘩に終わりはないだろうな」
「ソレはタメサなきゃワカラナイ」
《悪魔》が消えて鉈を抜いた。2人は相変わらず反応も出来ずに斬られて飛ばされるのだが、また復活する。ならばその度に殺せばいいと《悪魔》が考える。
離れている姉妹に対して片手を向ければ風が切り裂く。もう片手を向ければ炎が踊る。
2つの命は激しく燃えて灰になる。
また生き返ったので、今度は地面を蹴って飛ぶ。鉈を2つとも投げた。あらぬ方向に落ちて地面に刺さるがそこから亀裂が走る。丁度間に立っていた彼女達は地割れに飲まれて消え去った。
けれども、木の陰に立っている。それは瞬間移動したわけでも、超常現象を起こしたわけでもない。まるで最初からそこにいたかのような怪奇の類。
《悪魔》は焦らない。殺すと決めたなら100回でも1000回でも10000回でも殺す。ただ衝動のままに暴れ続けた。
※
夜。
すっかり陽も落ちて月が昇っている。けれど、その時間は白猫と黒狐が《悪魔》と対峙した日ではない。日が3周巡った晩である。
今も尚、両者は争っている。《悪魔》は疲れも知らずに派手な魔術を駆使しては姉妹を殺している。既に森の状態は原型を留めておらず、彼女達のいる周囲はすっかり焼き野原となっていた。
常人であればここまで時間が経過すれば空腹と疲労で倒れる。だが白猫にはそもそも死ぬという概念がない。餓死も過労死も意味がない。
お腹が減るのはあくまで生理現象の一つに過ぎず、本来何も食べなくても大丈夫だった。
白猫が死ななければ当然黒狐も死なない。彼女達は2人で無敵である。
相変わらず、《悪魔》が必死に攻撃を仕掛けているのだが3日前と違う部分がある。
それは黒狐が反撃に転じて時折《悪魔》を殺しているという点。
以前は目で捉えるのも不可能だったが3日という時間は目を慣らすには十分過ぎた。
両者の殺し合いに終わりがない。盤上から落ちた駒は再び戦場に戻って来る。
「ホントウにシナナイのか。オカシなヤツラだ」
《悪魔》は攻撃の手を緩めて地面に足を着ける。黒狐は返答するかわりに《悪魔》を殺したが、血を噴出してもすぐに元通りになってしまう。
「おかしいのはそっちじゃん。もう何回死んだの?」
「100を超えてからは数える気が失せたな」
「正解は532回でした」
「数えてたのか」
「どうせ暇だし」
終わりのない戦い、死なない両者。彼女達には必死さも死力を尽くす気概もない。ただ、いつになったら解放されるのかという懸念だけ。
「ナラ、オワリにスル」
《悪魔》は武器の鉈を地面に落とした。ダランと力を抜いて前のめりになると、真紅の瞳を輝かせる。
瞬。
風を切る音がする。《悪魔》の接近に気付いて動こうとする2人だったが、その時には黒狐の喉元に相手が噛み付いている。それに真っ先に気付いた白猫は反射的に拳を作って相手の顔面を殴っていた。
白猫は吹き飛ぶ相手に目もくれずに同時に黒狐も再生させる。おかげで、黒狐の技もほぼ予備動作なく放たれる。
グシャ、と潰れる音がして《悪魔》が血反吐を出すがやはり完全再生してしまう。立ち上がった《悪魔》は口元を拭いてにたりと笑う。まるで勝ち誇った顔だ。
そのまま黒狐がしていた動きを真似するかの如く、右手を突き出した。
風が舞う一瞬の静寂。
だが《悪魔》の期待とは裏腹に現状は何も変わらなかった。白猫と黒狐も相手が謎の正拳突きをしたので首を傾げる。
《悪魔》はもう一度同じ動作をした。だが結果は変わらない。痺れを切らした黒狐が容赦なく指を振って相手の喉元を溶かした。血が噴射して《悪魔》が倒れるも、その時も彼女の動きを真似をする。けれど何も変化はない。
「ああ・・・。大分お前について分かってきた。相手の力を奪えるんだな?」
「食べた相手の努力を手にするってズルイねぇ」
だから《悪魔》は数々の魔術を駆使し素早く動け剣術にも長けていた。そうした腕利きの者を喰らえば喰らうほど強くなれる。既に何千という命を喰らって完全無欠に近い存在になりつつあったのだ。
「でも残念だね。あなたは魔術が使えるってことは人間側でしょ。生憎わたし達のこれはそういう類じゃないんだよ」
「何故か政府は魔術だの医術だの言ってるが正解じゃない。教える気もないが」
「それともう1つ分かったんだよね」
黒狐が相手を殺して動きを止めている間に白猫が敵に近付く。目をぱっちりと開けて観察し、何か納得した様子で何度も頷いた。
「やっぱり。こいつから複数の命を感じたんだけど、どうにも食べたら能力だけじゃなくて命も増えるんだね」
「なるほど。何でも奪えるってわけか。じゃあ私達の目が慣れたんじゃなくて、こいつの動きが鈍っていただけか」
事実。《悪魔》は対象の筋肉や運動能力を奪ってそれらを合計した力となる。しかし、自身が死ぬと食べた命を消費して復活する。そのとき奪った対象の能力も失う。
つまり食べれば食べるほど強くなるが、殺されれば殺されるほど弱くなる。
理屈を理解した黒狐は情けも容赦も慈悲もなく、《悪魔》の目の前で常時力を使い続けた。
血を吐いては戻ってまた吐く。逃げようと地面を掴むが動けないように白猫に手を踏まれた。
急激に減少していく命の残機に《悪魔》は今までに感じたことのない感情に芽生える。
走馬灯が蘇って殺し続けた人間の顔が次々に浮かぶ。
「グ、グググ、グオォォォォォォ!」
現実を認めたくない《悪魔》が高らかに吼えた。だが気持ちだけで彼女達に勝てるならば初めから勝っている。身動きも取れずに殺されるしかできない。
しかし、その行動には幸か不幸か、偶然か必然か、己の居場所を知らせるという最大の功績を働く。
パン、パン。
白猫と黒狐の死角となる木陰から銃声が2つした。銃弾は2人の心臓よりも少し下の腹部に命中する。わざと急所を外したかの如く、両方ピッタリの位置。
直後、2人は身体に異変を感じる。全身を巡る嫌な気。それは彼女達が生まれ持ってない資質。魔元素と呼ばれる魔術を使う為に必要な気。その魔弾には異様に多くの魔元素が含まれていた。
思考が一瞬それれば、その黒スーツの者は距離を詰めて目もくれず黒狐の脳天に弾を撃つ。相手が見据えるは白猫。すぐに蹴りを入れて彼女を吹き飛ばし、倒れさせると顔を動かせないように喉元をしっかりと抑えた。
彼女の視界には無表情の骸の顔が映る。
「あなたのことですから勝手に動くと思いましたが、こうも早くに接触されるとは。急いで来て正解でしたよ、《悪魔》」
《死神》は白猫を見据えたまま呟く。《悪魔》は傷を再生してゆったりと起き上がると倒れている黒狐を見据え、その腹を手で突き刺した。それも何度も、何度もだ。
「コロス、コロス、コロスコロスコロス! コンナ、クツジョクはハジメテだ!」
《死神》の声が届いていないのか《悪魔》は怒り狂っていた。そんな化物相手に《死神》がホルダーから小銃を取り出して脳天を打ち抜いた。《悪魔》はふら付き倒れて直後に再生する。
「《悪魔》。直ちに退きなさい。この場で勝手は許しません」
「メイレイするな。イマ、カテル! イマ、コロスべきだ!」
その言葉を聞いて《死神》がまたしても銃弾を放つ。瞳のない目が異様に鈍く暗く、おぞましい気を出している。
「聞こえなかったのですか? これ以上の失態をするならば《審判》に駆除してもらいます」
それを聞くと《悪魔》は口を閉ざして沈黙する。怯えて肩を小さく震わせたが、すぐに翼を使ってその場から飛び去った。
「全く、せっかくの奇襲のチャンスを棒にしてくれました。ですが、覚えておきなさい。お前たちは我々から逃げられない。お前たちに一生自由など来ない。それが運命です。では、さようなら」
白猫の首から手を離すと《死神》は景色に同化して存在を薄くし消えてしまう。白猫は苦しそうに咳き込むもすぐに姉の元へ駆けつけた。
ボロボロになって傷だらけの黒狐。いくら治せると分かっていても、彼女は時々恐ろしくなる。いつか自分の力が効かなくて目を覚ましてくれないのでは、と。
だからいつも顔には出さず祈っている。どうか目を覚ましますように、と。
願いが通じたのか黒狐はパチッと目を開いて頭を抑えながら起きた。そんな彼女に白猫が抱きつく。
「どうした、妹。まさか何かあったのか!?」
「ううん。なんでもない」
暫く、白猫は涙を隠すように彼女の胸に埋まったままだった。




