第11話 正義の対
「ここまで舐められたのは初めてだよ。だからその分可愛がってやろう」
《正義》は特段焦った様子はなくその場に立っていた。黒狐は色々思案するも『殺せない』という命令を下されている以上、攻撃する手立てがない。彼女の能力は強力だが、その分殺傷力も凄まじい。だからその命令は実質能力を封じられたも等しかった。
彼女は拳を握って《正義》を見据える。殺せなくとも、殺さない程度の攻撃なら出来ると考えた。だがそれは相手に見透かされていて、《正義》は肩をすくめて呟く。
「《黒狐は抵抗しない》」
それを受けた彼女は手をだらんと垂らす。《正義》の命令は絶対だった。
彼は靴音を立てながら黒狐に近付くので、それに合わせて彼女も後ろに下がる。
だが、《正義》は新たに命令をしなかった。
「やっぱりね。あんたの命令は1人に1つまでしか与えられない」
黒狐を捕まえたいなら《逃げるな》と命令するだけでいい。しかし、それを言うと《抵抗しない》の命令が消えて殺される危険性があるからだ。
白猫相手に新たに命令しようとしたのは彼女に危険性がないと判断したからだ。
『正義』は特に驚きもせずに拍手をする。
「やはりお前が欲しい。他の奴隷とは比べられない程に美しく、賢く、健気だ。俺が死ぬまで一生ペットにしてやろう。《黒狐は俺に絶対服従する》」
その言葉を聞いた黒狐の目から光が失われてその場に跪いた。《正義》は嬉しそうに笑いながら拍手をする。
「ああ、何とも容易い。俺が命令をするだけで全ての者は平伏する。世界とは実に不平等だな」
彼にとって人生は簡単だった。欲しい物も女も金も酒もいくらでも手に入る。それも自分の手を汚さずに。彼が一言命令すれば誰もが「はい」と返事をして実行する。それが人殺しであろうと、盗みであろうと関係がない。
政府にとっても《正義》はかなり危険人物であったが、その犯行を実証できた事例は限りなく少ない。故に彼を検挙した所で証拠が上がる可能性も低く、だから危険度も低かった。
《正義》にとってこの世は自分の為にある都合のよい世界で、自分こそが中心人物だった。
言葉という銃を手にした彼に最早敵はいない。彼は黒狐の前に立つと大きな手を突き出した。
「すぐに妹とも再会させてあげるよ。くくく」
その黒い髪を撫でようとした時、不意に黒狐が顔を上げてその手を払った。《正義》は驚く暇もなく顔面に右ストレートを浴びる。
血を床に撒き散らしながら2m近く吹き飛んで丸い身体を転がした。
「ちっ。汚い手で触るんじゃないよ。この髪を触っていいのは妹だけだ」
黒狐は手を服で拭きながら言う。起き上がった《正義》は状況を理解するのに時間が必要だった。だが幸いなことにそれを目の前の人物が説明してくれる。
「どうして命令が効かないかって? そりゃあ聞いてないからさ。妹の鼓膜を潰した時に自分のも潰した」
彼女は自分の黒い耳を指差して話す。
「馬鹿な。なら何故会話が出来る」
「そりゃあ、防音のガラス部屋の中に閉じ込められて、外から人間に見られてねぇ? 嫌でも口の動きを覚えるよ」
今も黒狐は相手が何を言ってるか聞こえない。けれど言葉の意味は分かる。
だから、彼女の受けた命令は今も《殺せない》のままである。
だから抵抗もできるし、右ストレートも打てる。
初めて自分の物に抵抗されるという行為に《正義》は恐ろしいまでに屈辱を受けていた。ピクピクと眉を痙攣させて歯を震えさせている。
もうどうでもいい。
そんな感情が過ぎったのか、本能のままに軍服の裏に隠していたリボルバーを取り出して躊躇いもなく撃った。
50口径の銃口から放たれる金色の弾丸。黒狐はまるで時間が止まってしまったかのようにその弾丸を見据え右手を突き出す。あくまで殺せないのは《正義》だけ。銃弾を殺すのは可能だ。
だがそれが無意味なのは彼女も知っている。対象を捉えなければ能力を使えないので、銃弾を目視しなければならない。それが可能な者はいない。銃口を見て着弾を予測し回避はできるかもしれない。けれど銃弾を見るなど不可能。
何故なら既に黒狐が思考するよりも早く弾丸は右手を貫き、彼女の左目を貫き、衝撃で空を飛んでいた。思考が追いついた頃には天井を見上げている。
倒れて無抵抗な黒狐に《正義》は続けてもう1発太腿に打ち込んだ。足が千切れて吹き飛び、血が吹き出る。
動かなくなったのを確認して《正義》は歩を進めた。黒狐はか細い呼吸をしながら天井を見ているが視線が定まっていない。
《正義》は彼女の髪を乱暴に掴んで起こすと壁に叩き付けた。
「俺が何故《正義》と呼ばれているか教えてやろうか? 誰も俺に命令できないからだ。皇帝だろうが大臣だろうが関係ない。俺の前では等しく赤子だ。俺こそがルール! 俺こそが正義だ!」
《正義》が高らかに吼える。どんな人間もその力でねじ伏せてきた。それが出来ないなら殺した。正義を犯す者は等しく死である。それがルールを逸脱した者の末路。
その口の動きを見て黒狐は小さく鼻で笑った。
「それがないと誰も従ってくれないからだろ? 赤子はお前の方だ」
その言葉を聞いて《正義》は乱暴に彼女を投げてリボルバーを向ける。引き金は既に絞られていた。白猫がいない今、ここで彼女が死ねばそれは本当の死を意味する。
彼女は不死身ではない。いつも白猫に助けられてきた。彼女は1人だと強くなかった。
だから、信じていた。
《正義》の背後から銃声が鳴り響いて弾が飛んでくる。無数の弾が《正義》の肩を、太腿を、腹を貫いた。彼は意味が分からずにその場に倒れる。
彼の横を同じくして銃弾の雨を受けた白猫が通り過ぎた。
「お姉ちゃん!」
彼女は自分の傷を治すのも忘れて黒狐を治療した。銃の雨は止みそうもないが彼女達は《正義》の前に座ったままだ。
廊下の奥には奴隷達が銃を構えて立っている。それを見て黒狐は安堵の息を吐いた。
「どうやら私の狙いを理解してくれたみたいだな」
「うん。命令通り玄関の奴隷を起こしてきたよ」
白猫がした行動はそれだけ。援軍を呼んだつもりも、武器を取りに行ったわけでもない。
《正義》の命令は1つしか行えない。ならば、彼女達を狙う奴隷の命令は何か。
「おおよそ、私達を殺せって命令したんでしょ。だったらあんたを盾にしても銃弾は貫通するから彼らは撃つ」
「お、おい待て!《撃つ・・・》」
な、という一文字を言えずに彼の顔面は蜂の巣となる。背後に座っていた2人も銃弾を受けたが白猫がいればどうにでもなった。
《正義》が死んだことで命令が解けた奴隷達が我に返ってポカンとする。目の前に広がるは血で汚れた廊下と1人の男の死。そして、2名の獣耳の少女。
「さてと。残党退治と言いたいけれど」
奴隷少女の願いはこの街の破壊。ならば全てを壊さなくてはならない。しかし、主人が死んだというのに部下は誰一人として来ない。それ所か、《正義》が1人戦っている時も誰も助けに来なかった。それが彼の周囲からの評価だったのである。
「それでこれからどうするの?」
「適当に通信魔術でも拝借して政府様でもお呼びすればいいんじゃない?」
「それは難儀だね」
2人は奴隷達を無視して歩き出した。途中、黒狐が振り返って死んだ男を見据える。
「正義の反対はまた別の正義なんだよ」




