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ねえ、私もニウルみたいに髪を結わえようかしら?」

並べられた二枚の絵を交互に見てから、髪を束ねる手を握りしめて振り向き、こまごまとしたものを整理しているノーフプに聞いた。彼は手を止めると、しげしげと私の顔を見る。私はまた絵に視線を戻す。

同じ顔が並んでおり、自分たちのことながら不思議な感覚に包まれる。ニウルが書いていた同じが少ないとは、全体何に対してのことだろうか。

「誰かを意識すれば、それはあなたではなくなりますよ」

予想にもしなかった返答に再び振り返り、屈託ない笑顔の彼を見続ける。ことができている自分に気付いた頃には、彼が話を続けていたので、否が応でも視線を逸らせない。

「気分を害したら申し訳ありませんが、奥ゆかしさを感じさせる薄い唇に小さな口。見入るものを魅入らせてしまう大きな瞳に優しさを湛えて少しだけ下がった目尻。それでもって、優しさだけでなく、一本の芯が通っているが如くの筋が高い鼻。それらを内包するように下ろした黒くて長い髪がラヴィヴェル様だと僕は思っています」

「すみません。もちろん、ラヴィヴェル様のお好きなようにするのが、一番だと思いますけど…」

「ごめんなさいっ。正直に話すと、僕が好きなラヴィヴェル様を話しただけです」

 睫毛が擦れる音が聞こえてきそうな静けさが部屋に充満し、面映ゆくいたたまれなくなる。その空間を作っているのは、私に違いない。お礼の一つでも言えれば、歯車がかみ合うように時間が動き出すだろう。

 分かっているのに、正解が分からない。この場合、ありがとうでは気恥ずかしい。然りとて、謙遜するのも相手を否定するみたいで引っかかる。私の気持ちとノーフプの気持ちに板挟みになり、益々分からなくなる。

 突然に重たい空気は逃げ出した。

 逃げ出した先に視線を移せば、血相を変えたばあばが立っていた。ところが私の頭の中は未だに返答について考えていた。

「どうしたんですか?」

そんな私の代わりにノーフプが尋ねたのに、ばあばは火を消したように静かなのだ。

「どうしたの?火急の知らせじゃないの?」

口ごもるばあばにただ事ではない雰囲気を感じて、言葉を探すのを止めて私も聞いてみたのだが、相も変わらず。

 ノーフプを一瞥しては、もごもごもじもじしているばかりで、話が進もうとしない。彼もその視線に気づいたのだろうか、部屋から出ようとすれば、仕草に反してばあばは立ちふさがった。

「なにがあったんですか?」

「そうよ、何か言わないと何も分からないわよ」

 漏れる吐息に言葉が乗っていたが、私の耳には音としてしか聞こえなかった。蓋し、私に聞こえないように意識されたのだろうか。二人のやり取りは短く、ノーフプは言葉を発しもせずに、首を横に振り後ずさるだけだった。

 異様とも呼べる二人の間に私は横槍を入れる。

「ねえ、私に用があるんじゃないのかしら?」

独特とも呼べる空間に鏃は折られ、私はそれから押し黙った。ばあばも。ノーフプも。

 おどろおどろした空間になってはいるものの、それでも私の前にはミルクに浮かぶ膜のようなものが張られている。私は置き去りにされ、何をどうしたらいいのか分からず、自分の目で確かめるしかないと思い、ノーフプの横を過ぎ、ばあばの横を過ぎ、大広間を見下ろした。私の前にばあばは立ちふさがらなかったのを不思議に思いながらも。

 内に開かれた大きな扉を境にお父様と陽光を背に受け、影法師のようになった誰かが握手を交わしているのが窺えた。朝食時に何も聞いていない上にばあばの様子を考慮すれば、客人は突然の来訪なのだろう。

 階段を一段ずつ下りていくのに対して影は上がっていき、部屋に残る二人をあのような状態にした人物が私にも浮かび上がってきた。

 遠くからでも、その人物のいかり肩は自信の表れを象徴しているようで、如何にも武張った男に見えた。男が歩を進めるのを合図に扉は閉まり、お父様は奥の部屋へ案内しようとしたのか振り返り、私と目が合った。

「おお、いいところに来たな」

 私を指さして後ろの男に話しかけたとき、お父様の引いた肩の向こうに、今まで隠れていた徽章が絢爛としていた。

 私は呟いていた。

 私は自分の声が聞こえて呟いていたことに気が付いた。

 私は苦しくなった。

 私は息を大きく吸って息が詰まっていたことに気が付いた。

 一瞬間だけ見えた山の紋章。頂上からはマグマが流れているあの徽章は、ノイツ・プレの人間だ。

 歩みを止めていた私に二人は近づいてき、お父様より一歩前に出た男は頓首再拝。余りの勢いの良さに短い悲鳴を上げ、片足を引いてしまった。

 笑い声が高い天井に届き、木霊する。その声は重なり、より重厚となって降り注ぐ。私は、怖気づいたことを悟られまいと、自身に嘘をつき、引いた足を一方の足の裏へと回して、お辞儀をした。所謂、カーテシーの格好だ。

 差し出された手を見つめ、身体が強張った。もう誤魔化せない。爪の間には隠すことを許さない、こびりついた暗褐色。言わずもがな…。

 私の心情を見透かしたような下卑た笑みを浮かべているその男に、私の小刻みに震える手は止められた。

「こちらのお方が前に言ったエタラペスさんだ」

明言され明確になり確信したとき、私は力を込めて手を引いた。

 彼は空虚を掴む手を凝然と見つめてからそれを下ろすと、お父様に振り返り一礼した。

 目を丸くしたお父様を置いて、エタラペスは扉に向かう。

 不意を食ったお父様は急いで後を追いかけ、私は不意な出来事を咀嚼して、月賦を出すように安堵した。儀礼的には私も追いかけ、帰るならば見送らなければいけないだろうが、それどころではない。

 恐怖を被せられ、罪悪感を塗られ、私は手だけでなく、頭から水を被り、それらを流したかったのだ。それ故に、後は追わず向けられた背に背を向けて、階段を上がる。ばあばに付き添ってもらい、湯殿に行くために。

 閉めた覚えがない扉に手を掛けて開けようとし、漏れて聞こえる声に阻まれた。憚られた。

 普段はしないノックを怪訝に思われないか、怪しまれていないか、訝しんでいないか、おろおろしながら、扉を開けた。

 引いたと言うより、押された扉からカンヴァスを持ったノーフプが出てき、私は身を躱して彼を避けた。蟠っていた空気が二人を繋ぎとめようとしているのを感じ、扉を思い切り閉めると、ばあばは不器用な笑顔をこちらに向け、戦慄き掠れた声を出して私を通り過ぎて行った。

 何についての謝罪なのだろうか。沢山の疑問だけを置いて出ていった二人に怒りを覚え、それが上回り、考えることを放棄した。私が考えて導き出すのではなく、二人の口から答えを聞いた方が早くて正確であり、過程である程度の文句も許されるはずだと思い至り。

 そうと決まれば自分の事は後に回して、隣に繋がる開かない扉に向かって、

「ノーフプさん、そこで待っててください」

自分でも驚くほどの声を張り上げ、返事を待たずに部屋を飛び出し階段を下りようとしているばあばを呼び止めた。自分でも驚くほどの声量で。

 親愛なるニウル

 泡は私の表面に付着した汚れを綺麗に落としてくれるけど、やっぱりそれは表面だけでこれから負うであろう罪悪感や汚名は流すことはできないのかな?

 そんな重荷を背負わされる結婚ってなに?幸せはどこにあるの?自分で見つけなければいけないの?綺麗な花を見つけたときのような小さな幸せを連続して。それって幸せからかけ離れて、惰性になって習慣になって、自己救済みたいじゃない?

 それにね、エタラペスってふてぶてしいのよ。すぐに帰っちゃうんだもん。まあ、嬉しかったけどね。例え帰らなかったとしても、怖くて怖くて話せない私を見たら呆れて帰ってたと思うけど。

 でもね、怖がっていたのは私だけじゃなかったのよ。

 ばあばとノーフプさんも怖がっていたのよ。とは言っても、怖がり方が私と違っていて、何て表現したらいいか分からないけど、取り敢えず、抉られる恐怖を感じていたようだったの。

 だから、問い質してみたの。余りにも余所余所しくて、隠し事をしているようだったから。無粋だと分かっていても、あの場はニウルでも聞いたと思うわ。いろいろな人たちから形成されたニウルなら私よりも苛烈に詰問したんじゃないかな。二人からすれば、私で良かったって胸を撫でおろしたはずよ。

 冗談はここまでにして、今日の本題に入るわね。

 長くなりそうだから時間があるときに読んでちょうだい。

 ノーフプの過去、出生からの話よ。もしかしたらあなたは知っているかもしれないけど、一応書くからね。

 それでは始まり始まり。

 あれは雲間から朝陽が遠慮がちに顔を覗かせたときだった。らしい。喜怒哀楽をない交ぜにしたような産声を上げ、彼は誕生した。きっと喜びが大きかったでしょうね。彼もその周りの人も。

 それからの日々はどことも変わらない、変哲もない毎日と言う平凡でありながらも、笑い声は絶えず、充足感に包まれていた。

 が、しかし、なのに、一人の男が訪ねてきた日から彼の毎日は変わった。それが実の父親だと知ったのはまだ先。彼が父親の概念を知ったのはその日。

 外は暗く、家々に吊るされているランタンが小さな輪を作り、橙色の輪と輪に飛び移りながら往路を歩いて帰っていた。

 小さなときに目印にと教えられたパン屋を右に曲がり、薄暗い袋小路に入ってすぐに我が家なのに、進めない。

 微かに届く光すらも、煌びやかにする魔法の服を着ている人たちが大勢いた。今考えればこれってただの鎧だよね。

 それはさておき、明らかに身分の違う人たちが家の前に立ちはだかっていて、彼は好奇な目に曝されたらしいの。

なぜだと思う?

それはね、家から出てきた人が王様だったからよ。

なぜだか分かった?

それはね、彼が王様の子供だったからよ。

遮られていた道に厳かな道ができ、家からは背の低い、当然だけど八歳のノーフプさんよりは高かったらしいけど両脇の兵士よりは低い男が近づいてくると、彼の目の前で腰を屈め、金壺眼を近づけて筋張った手を優しく頭の上に乗せた。

それが最初で最後の父親と子供、らしい関係だったらしいわ。

 きっとあなたが気になっていることは私も聞いたわ。

「なんでお母さんとノーフプさんはお城に住んでいなかったの?」ってね。

残念ながら彼も知らなかったわ。教えてもらうことも、知らされることもなかったみたい。

 而して、母親と引き離されて連れていかれた彼は、今までを否定される生活が始まった。

耳をも塞ぎたくなるとは、あんな話のことを言うのね。現に塞いでたから、あまり聞いていないんだけど。掻い摘んで何があったか書きましょうか?

 気になるとは思うけど、本筋を見失いそうだからそれはまた今度にしましょう。

 なんでエタラペスの来訪にノーフプさんが怯えたのか?が本筋なわけで、彼の話にはもう一人の登場人物がいたの。

 ここまで書けば察しが付いたと思うんだけど、一応記すね。

 お兄さん。

 それじゃ。

 おやすみ、おはよう。

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