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あなたは誰なの?体調でも悪いの?いいえ。至って元気よ。では、なぜ?なぜ、あなたの顔は白くなっているの?なんて青白い…。

「……さ…ま…」

「ル…様」

「…ウ…ル様」

「あら、ばあばじゃないの。どうかしたの?」

「どうかしたのはあなたの方です。また寝坊かと思って来てみたら、また体調でも悪いのですか?」

(また…?そう言えば、エヴァーブさんがいらっしゃっていた時もお父様は…確か…。もしかして…もしかすると…)

「あら、何もないわよ。大丈夫。それより、あの時はどうもありがとう」

「急に倒れるから驚きましたけど、無事で何よりです。思わず叫んで取り乱したところを見られたのは不覚でしたけど」

「本当に感謝しているわ。御覧の通り、頗る調子がいいわ」

「分かりましたから、くるくる回るのは止めて準備をしてくださいね」

病み上がりを慮っているのか、言葉の棘は抜かれ、微笑を浮かべて扉の向こうへ消えた。

 ストン。あれ?痛い。臀部からの鈍痛が旋毛を突き抜ける。幾本が束になり、逆立っている髪を撫でおろし、尚も青白い、最後に見たお母様のような顔から目が離せずにいる。

 全身の力が抜けたと感じたが、どうやら血の気が一気に引いたらしい。然らば、鈍痛にも納得だ。ストンでなく、ドスンだ。重さに逆らえなくなっただけだ。

 重さは内側にも闖入し、気をも塞ぐ。裏返しにした手紙をまじまじと見つめ、裏返す。文字が列を成して、目の奥に突進してき、また裏返す。それを繰り返した。何度も。幾度となく。訳も分からずに。

 今になって、目が回る。頭が揺れる。紙を持つ手を離すと治まった。裏返しにした手紙を抽斗に入れ、間違えた場所に仕舞ってないか抽斗を開ける。ネグリジェを脱ぎ、抽斗を確認する。ドレスに着替え終え、抽斗を確認する。目が回る。頭が揺れる。私はかぶりを振って部屋を出た。

 何が起きたのか明言しないのは意図してのことなのか。見落としがあったのか。反芻しては目が回る。くるくる、くるくる、空転する。えのこが尻尾を追いかけるように。取り留めもなく。

 螺旋階段を恨めしく思ったことはない、これほどまでに。

出てきた、食堂から、駆け寄り、見兼ねて、ばあばは、覚束ない、足元の、私に。

「やっぱり、体調が優れないんじゃないですか?」

「ないわ、そんなこと。元気よ、至って、言ったけど、先程も」

「ニウル様?」

揺さぶられ、肩を、正気付いた、私は。

「ごめんなさい。少しばかり考え事をしていたの」

「少し?私には、没入して、剰え飲み込まれているように窺えましたけど」

「それは、気のせいだわ」

ばあばは訝しむ様子を隠すことなく、私を食堂へ促した。

 過去一番の遅刻であった。どんなに遅れようとも食べ始めることなく、ぶつくさ言いながらも、私を待っていてくれているお父様がいなかった。その代わりに、空のお皿の下に紙が一枚あった。硬くなったパンを捩じり、捻り、千切った一欠片を口に放り込み、上半身をテーブルへ乗り出して、紙を取ろうとした。その時、乾いた音と共に痺れる痛みが襲った。

 お尻を摩りながら、中腰のまま振り返る。

「ひはひははひほ。ほう。はひ?」

「それも含めて、行儀が悪いですよ」

唾液だけでは足りず、ハーブ茶を一口含み、やっとの思いで飲み込むことができ、

「ごめんあそばせ」

取り繕うように言ったが、ばあばは意に介さずにぴしゃり。

「使ったことのない、あそばせ言葉では誤魔化せませんよ」

私は椅子に踏ん反り返り、パンを上に投げた。大きく口を開け、顔の位置を微調整する。

 きゅっ…。どんがらがっしゃぱりんぱりんぼたぼたどてどてがしゃんがしゃん。ぽすん。

 耳を劈かんばかりの食器類の割れる音に驚き、パンは頭を経由して床に落ちた。

「何事ですか」

耳を劈かんばかりのばあばの声を聞いてか、目の先にある厨房に続く扉が開いた。

 毛先が濡れ、指先から水を滴らせている男が出てきた。

 ラヴィヴェルがおっちょこちょいと表現する所以のくりくりした愛嬌を感じさせる大きな瞳をぱちくりとし、ばあばを見つめている。私もその一人で彼を憎めず、一歩また一歩と詰め寄ろうとするばあばと佇立している彼の間に言葉を落とした。

 あのリルドでも反射ではばあばを勝ることができるのかと、彼には申し訳ないが、言い知れぬ寂寥感を覚えた。

 しかしだ。私は頼みごとに粉飾して手を差し伸べたのだから、彼は見えない手を握ったに過ぎず、ばあばからすれば致し方のないことなのだ。と、変わりゆくばあばを認めないように考える。

 にも拘わらず、心なしか萎んで見えるばあばから目を逸らし、お尻を打擲された原因の紙を彼から受け取った。

「────遅れ───プさんが────たぞ」

これは私が浅慮だったのだろうか。若しくは、彼の配慮が著しく欠けているのだろうか。はたまた、ただのおっちょこちょいなのだろうか。

 最早、そんなことはどうでもいい。考えても滲んだインキが読めるようになるわけではない。それにしても、不幸中の幸いか。彼のある種の才能を垣間見たような気もした。

 数少ない読める文字だけで、言わんとしていることが分かった。

「どうもありがとう」

「あっ、あっ、はいっ。ご、ごめんなさい。すみません」

勢いよく頭を下げ、踵を返そうとするリルドを引き留めるために、濡れた裾を掴んだ。

 呆気に取られている彼に、

「怪我はなかった?大丈夫?」

聞いたところ、両の掌、甲を見つめ、それから、後頭部を掻き掻きして、

「えっ、えっ、はい。おかげさまで。御見苦しいところを、相すみません」

「あっ、えっと、あの、うん。それならよかったわ」

こればかりは、私が浅慮だったと反省した。

 嘆息交じりに、思いがけないことを言ったばあばを見た。

「どういうこと?」

「いえいえ、他意はありませんよ。ただ、リルドに優しすぎると思いまして」

「優しいって言っても、労いの言葉を掛けたようなものよ」

片手に一片のパンを握って上体を反らし終えると、然も大儀そうに長い息を吐いてから、

「この前も散らばった食器を拾うのを手伝っていたではありませんか」

煮えたぎる鍋を混ぜられる感覚。自分でもどんな感覚なのかはわからない。わからないけど、そんな感覚が私を襲う。だが、言い得て妙だとは思えない。わからない。

 銀食器が歪ませているのか、少なくとも私の表情は歪んでいるようだ。

 どんな笑顔が浮かべられているのだろうか。沈む前に一刻も早く逃げなければと思い、立ち上がる。さもなくば、私の狼狽を見て当て推量が真実にされてしまう。

「ごちそうさま」

 小走りで大広間に行き、階段を上るのが億劫で一段目に腰を掛けた。上ると言うより、上った先で行われることが億劫なのだ。私の肖像画は、お父様が書いているように遅れている。あの空間に慣れる日は来ないだろうと思う。

「おっ。やっと来たね。準備も整ってるし、入っていいよ」

軽薄で馴れ馴れしい声に振り向きはせず、右手だけをひらひらと振った。

 ラヴィヴェルはノーフプのどこに惹かれたのだろうか。彼女には申し訳ないが、私はあいつのことが嫌いだ。その一方で、ラヴィヴェルの気持ちは応援したいし、尊重したいと思う。

 お節介と言われるかもしれないけど、あいつの腹を探ってみよう。

 すべきことが見つかれば、足取りは自然と軽くなり、階段を駆け上がる。

 スツールに腰を掛け、パレットに色を出していた手を止め、矢庭に立ち上がると、向かいにある私が座る椅子の背もたれへ回り込んだ。

「どうぞ、お嬢様」

「あら、気が利くのね。ありがとう」

 向かい合ってから止まることを知らなかった手が止まり、私たちを繋いでいた糸が弛んだ。

「何かあった?いつもと様子がおかしいけど」

「いつも同じ様子の人を連れてきてほしいわね」

「まあ、何かあった訳だね。君って人は本当に分かりやすいね」

「画家ってのは皆あなたみたいな人なのかしら?」

私たちを隔てていたイーゼルがずらされ、画家とモデルの関係よりも、より対等な関係となって会話を続けた。

 私の質問を一笑に付した彼に椅子ごと一歩近づいた。

 さて、ラヴィヴェルに相応しい男かどうか見極めてあげよう。と、言っても、私の感情は心の奥に押し込み、両者の気持ちを前提にしなければいけない。

「すごく気になることがあるんだけど」

「なんですか?僕の生い立ちですか?」

「まあ、それも気になるんだけど、私たちの見分けはつくの?」

大仰なため息を吐き、いやはやと言った様子の彼に続けて、

「当然だけど、あれはなしよ」

カンヴァスに描かれた私を指さす。彼は指をさす私のバレッタを見る。

 それぞれの膝にそれぞれに肘をつき、組んだ手に顎を乗せ考えてから、徐に言うのであった。

「右に行きましょう?」

至極当然な「はあ?」が、至極自然に口を衝いて出た。

「だから、この質問で二人の見分けはつくよ。分かれ道が君たちを導いてくれる」

「はいはい、なるほどね」

 二回、鐘が打ち鳴らされる音が聞こえ、ノーフプは隣の物置に使われている部屋にイーゼルとカンヴァスを仕舞いに行った。私も立ち上がり、

「画家と一括りにしていいか分からないけど、あなたみたいに外を描き出すことに長けている人は、内を知ることにも長けているのかもしれないわね。もしかしたら、あなたは…」

「何か言いましたか?」

「いえ、なんでも」

隣の部屋にいるノーフプを置いて、自室へ戻った。


 親愛なるラヴィヴェル

 あなたの言う通り、私は全てを知っていたわ。黙っていてごめんなさい。言い訳がましく聞こえるかもしれないけれど、お父様が話すと言っていたから言わなかったの。

 保身に聞こえるかもしれないけれど、私は催促していたのよ。早いに越したことはないのよ。って。でも、お父様は渋っていたの。

 あなたが、そうなることを見越していたから。それは、私もだけれど。

 だから、分かってくれるでしょ?私たちはあなたを第一に思っているってこと。

 あなたが綿毛なら私は風になってあなたを導いてあげたいと思ってる。本当よ。

 ノーフプを好きな気持ちは尊重するし、応援もする。だからって私は何もしない。これからはって言った方が嘘じゃなくなるのかな。彼は私たちを唯一見分けることができる人だってわかったから、もういいの。

 いいえ、あなたの言葉を借りるならば、今日はあなたに与えたのだから嘘にはならないのかもしれないわね。もっと詮索してもよかったのかもね。

 まあ、そんなのは冗談で、意地悪は置いといて、むしろ意地悪されていたのは私じゃないのかな?具体性を意識的に抜いたように、私に何も悟らせずに、いくつものお願いをしてさ。ねえ、あなたの方が意地悪じゃない?

 そうして、私の甲斐甲斐しいこと。血が抜かれるような思いをしながら、真っ青に、真っ白になりながらも、言いつけを守ったのよ。

 さながら、吸血鬼に襲われたかのように。

 別に怒ってる訳じゃないのよ、勘違いしないでね。

 あなたの言う通り、私の知らない空白があったのは間違いがないようよ。でも、その空白は誰かに埋められているようだった。

 誰かに…。今のところは類推として、誰かは、あなた、ラヴィヴェルだと思ってる。

 それがどうやって行われたかが分からないけど。きっとあなたもそうじゃないのかしら?何か気付いたら教えてちょうだい。今度は詳細にね。

 それじゃ。

 おやすみ、おはよう。


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