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何かに手繰り寄せられるように目が覚めた。今までに経験したことのない体の重みと、規則的な脈打ちに呼応するように激しい頭痛がする。窓辺に番の鳥がおり、二羽の会話が頭に響く。
這うようにベッドから出て、ドレッサーまで行くと、何も書かれていない紙がペンが一緒に無造作に置かれていた。抽斗を見てみても、見覚えのある手紙しかなかった。
怪訝に思いながら振り向けば、着替えもせずに力尽きたように眠っているではないか。余程疲れた何かがあったのだろうなと思い、真新しい紙を仕舞う旁々忘れないようにブローチを取り付けた。
欠伸をしいしい着替え終わり、欠伸をしいしい食堂へ向かった。
道すがら、違和感が慌ただしい城内の人達と一緒に駆け巡る。溢れんばかりの果物が盛られているお皿を抱きかかえている人や、貴重な砂糖菓子を持っている人ともすれ違うのだ。
気忙しい波に逆らい食堂に辿り着いた頃、鐘が鳴った。
慌ただしさと一緒に人々は何処へ行ったのだろうか。食堂はがらんどうで、朝食の準備は何一つされていなかった。
ぽつねんと長机を独占し、どれだけの人が廊下を行き来したのだろう。誰一人として入ってこず、お腹は呻り私を食べようとする。
徐に立ち上がり、欲求に従うことにして、背後にある扉の向こうの厨房を覗いた。使われた気配がなく、物は整然と並べられ、水が滴った跡もない。鼻孔を侵す匂いもなく、身体の水分が逃げてしまうほどの熱気も感じられない。
違和感は不気味と変わり、後じさり後じさり扉を閉めた。未だに廊下はてんやわんや。私が忘れているだけで祭日か何かだろうか。二日前にそんな話は聞いていないし、話題にもなっていない。
思い出したくない記憶がある訳でもないのに、頭を働かせると窄めるような頭痛に襲われる。立っているのも儘ならない、歩くことは以ての外で、座ったとしても治まる気配はない。
ややともすると、睡魔が圧し掛かり、誰もいないことをいいことに、テーブルに突っ伏した。目を閉じる。意識は混濁せず、うつつにしがみついている。眠りたいのに、眠ることができない。よもや、ニウルが眠り続ける限り、私が眠れることはないのだろう。
どんがらがっしゃん。耳を聾する音が廊下から響いた。頭にも響いた。我慢できそうもなく、横にならなければと思い立つ。
思い立って、思い切り立ち上がったとき、扉が開いた。悪魔を見てしまった、否、悪魔の形相をしているばあばが入ってきた。
肩で息をしており、徐々に上下運動は緩慢になり、それでも区切るように話し始めるばあばの後ろには、屈んで汚れた食器を拾う使用人がいた。私は重たい身体を無理矢理に動かし、休むように屈んで汚れた食器を拾う手伝いをした。
一枚重ね、二枚目を重ね、三枚目も重ね、四枚目に手を伸ばしたところで、長く区切られていた言葉が前後不可解となって発せられた。
「もしかして具合でも悪いのですか?」
「え?」
「よく見れば顔色も悪いですし、それではお客様に会ってもニウル様の良さが伝わりませんもんね。しおらしくなっては、あなたではありませんし」
「ばあ…ば…わた…し…は……ラヴィ…」
親愛なるニウル
綿毛って自由だと思う?風に吹かれ、天高く飛び、意思を持ったように飛んでいく。
私はそれを見てニウルが書いていたことを思い出して、大きく息を吸ってみたの。浮いて飛んでいけるかもしれないと思って。無理なことは分かっていたつもり。
でも、嬉しくなったのよ。どこかに飛んでいきたいと思えた私自身に。
きっとあなたは全てを知っていたのね。私がノーフプさんを好きかもしれないと書いていても、それについてあなたは何も書かずに、既に励ます言葉を書いていたものね。今になって気付いたわ。
今から書くことは嘘だから心配しないでね。弱れるときに弱りたいの。
ノイツ・プレに行くぐらいなら死んだ方がましだわ。好きでもない人と結婚して、この国からも離れなければいけないなんて考えるだけで死にたくなる。
だから綿毛って自由じゃないのかもしれないね。風の気まぐれでどこかに飛んでるんだもん。綿毛じゃなくて風に意思があるんだよ。
だから私は既に浮いていたのかも…。この時代に、この国に、この城に、生まれた時点で私の意思はなく、誰かの、いいえ、お父様の意思が私たちを動かしてるんだよ。
あなたは自由と言う言葉を書いていたけど、端から私たちに自由はないのかもしれないって気付いたの。少し違うかな。換言すれば、選択肢を提示されて、それを選ぶ自由しか与えられてないのかも。それも、稀にだけどね。
若しかすると「死」にだけ自由があるんじゃないかな。そんなこと思いたくもないんだよ。でも、思ってしまうの。
私は自由を求めて、自由になりたい……。
これじゃただ私が我儘みたいだけど、相手になる人の話を聞き、輪郭が作られてから思い始めた事なの。皮肉なものだけど、運命だって割り切ることもできるはずだもん。でもね、割り切ることができないぐらいに、その人は好きになれそうにもないの。
よりにもよって、あの悪名高いエタラペスなんて…。ニウルも聞いたことあるでしょ?笑みを浮かべて人を斬ることができる男と結婚したところで、幸せになれるはずがないじゃない。
ほんとに死んでしまいたい……。
こんな話を聞かせてごめんなさい。でも、誰にも話すことができなかったの。案外、吐くことも気持ちが楽になるものよ。貴方が妖精なら、私は悪魔とでも言うべきかもしれないけどね。
話は全く変わるんだけど、一日前、貴方からしたら、二日前になるんだけど、不可解なことはなかったかしら?なければ、今日だけでもこのことを忘れないでいてちょうだい。
夢か現か、現か夢か。夢は現か、現は夢か。夢が現か、現が夢か。困頓故の混濁からの混沌としていたのかも…。自分でも訳が分からないの。
私の記憶が正しければ、赤色、黄色、紫色に橙色の果物が盛られたお皿。あまり目にしない、コンフィズリー。でも私の横をそれらが通り過ぎたの。でも食べた記憶はない。やっぱり夢だったのかな。
夢にしては五感が鮮明だったし、何と言っても、今日、目が覚めたとき、継続的な一日に感じたの。
普段は目が覚めると、新しい一日を迎え入れている感じなのに。言ってること分かってくれるかな?前に起きていたときが続いていたような。
私は予言する。貴方の今日は私の引き続きになると。外れたら、妄言だったと思ってちょうだい。
そんな訳で、私からのお願いよ。貴方の今日をくれないかしら?証明しないと気が休まらないの。
お願い、私の夢かもしれない現実の続きを演じてほしいの。
全てじゃなくていいの。一つ、二つ、三つ、ある人たちにこれから書き込むことを言ってほしいの。
一人目 可愛く言えば、おっちょこちょい、悪く言えば、鈍臭いリルドに怪我はなかったか聞いて。私に見せた素知らぬ顔はあなたに見せないはずだから。
二人目 小さい時からお世話をしてくれて、私たちのことをよく知っているはずなのに、ここ最近、私たちを間違えるようになったばあばに、お礼を言って。あの時はどうもありがとう。って。きっとあなたの知らないあの時が出現するはずだから。
三人目 鏡に向かって、大事な手紙を放っておいた記憶がないか聞いてくれないかしら。鏡の向こうの人は、思い当たる節に衝突して素っ頓狂な声を出して、間抜けな表情をしていると思うわ。
それじゃ、お願いね。
おやすみ、おはよう。