桜咲くころ
ガタガタ ゴトゴト
軽トラック特有の居心地の悪い固い振動を感じながら、私は助手席の窓からボンヤリと外を眺める。
むき出しの小道の下にはこれまた小さな川が流れ、トラックはその小川に寄り添うようにゆっくりと走っていた。
季節は春。
川に沿って植えられたソメイヨシノが今が盛りと川辺を桜色に染めている。
恐らくこの時期、この場所は、地元の人たちのお薦め散策スポットと化すのだろう。
子供連れ、杖つく老人、若いカップルが思い思いに歩いているのが見えた。
川べりを歩く人たちは、
『ああ、春だねえ』
『見て、桜の花が満開よ』
などと春の良さや桜の美しさを噛み締めているのであろう。
だが、しかし!
私は桜が嫌いである。
桜の咲くこの時期が嫌いである。
なぜかこの時期、私の運気は底をつくらしく、悪い事しか起こらない。
逆の言い方をすれば悪い意味での人生のターニングポイントが起きるのは必ず桜咲くこの時期だった。
小学生の入学式。
記念写真の撮影中、お漏らしをしてしまったのは私の最大の黒歴史として記録されている。
父が交通事故で亡くなったのは中学の二年生の春休み。
そして、自分自身が両足骨折の大怪我をしたのも大学卒業の旅行中なので、やはりこの時期だ。
そして、今回の引っ越し騒ぎ。
後ろの荷台に目をやる。大小の段ボールとむき出しの電化製品、炊飯器やらパソコンが自分と同じようにガタガタ、ゴトゴトと小刻みに揺られていた。
それらを見ていると全てが終わったんだなと実感が湧き、鼻の奥がつんとなった。
「泣いてるの?」
運転席から声がかかる。
運転席にはロングヘアーで色白な、おおよそ軽トラックの運ちゃんのイメージとは真逆なお嬢様然とした女性が座っていた。
名を白崎穂香。
我、心の友にして盟友。
一見清楚な容姿に皆、騙されるが、その本性は豪にして豪。
『高野聖』の女主人ばりに一升瓶片手にぐびりぐびりと日本酒を飲み干す女傑。
私にとっては何かと頼れる存在だった。
今回も同棲していた元彼のアパートを出るとなったと聞いて、いち早くトラックを調達してきた上、ドライバーも買って出てくれた。
「泣いてません」
気張って言っては見たもののちょっと鼻声になっていた。
「ま、そんなにクヨクヨしないの。
男なんて気に入らなくなったら捨てちゃえば良いのよ。最近の流行りでしょう」
「彼氏っーのはコンタクトかなんかですか。
って、だからクヨクヨしてないって」
「そんな鼻、ぐずぐすさせながら言われてもねぇ」
「花粉症なんです」
「あっはは。あらそう。
あなた、何時から花粉症になったの?」
「ついさっき」
穂香は鼻で笑うと唐突にトラックを止めた。
私はつんのめる。シートベルトが辛うじて支えてくれた。
「ちょっとこっち向いて」
穂香は不機嫌そうに言うと、私の頬骨の辺りを触る。少し鈍い痛みが走った。
「化粧で隠してるつもりでしょうけど分かるよ」
穂香は吐き捨てる。
「あんたの事だから、春には悪い事しか起こらないと考えてたんでしょう。
でもね、逆に運が向いてきた、って思いなよ。
女、殴るような男は糞ゴミ以下よ。別れて正解だからね!」
穂香は鼻息も荒くまくし立てると、再びトラックを急発進させる。
穂香はどうしてこんなに憤るのか?
その理由を考えると、また少し目頭が熱くなった。だけど泣くと、怒られそうなのでそこは堪える。
「なんか、色々ごめん。それから、ありがとう」
私は正面を向いたまま言った。
穂香は正面を向いたまま何も言わなかった。
夜中に私は目を覚ました。
隣では穂香が静かな寝息を立てている。
ふらふらと台所に行き、冷蔵庫を探すが見つからないので少し混乱した。
迷子の子供が親を探すように視線を泳がせ、ようやく自分がいるところが新居だと思いだした。
微かなため息をつくと水道水を飲む。カルキ臭さに顔をしかめながら、薄暗い部屋を眺めた。
部屋には運んできた荷物が散乱していて人の住むところと言うよりも倉庫の様相を呈していた。
部屋には冷蔵庫もテレビもない。
『うるさい。出ていきやがれ!』
罵声がフラッシャバックのように思い出された。喧嘩の切っ掛けはなんだったのだろう。もう思い出せない。
『はぁ~?
ここの家賃誰が払ってると思ってんのよ!
ガスも電気も水道も!
出ていくんならあんたでしょうが!』
ただ、かっとなってそう答えたのだけ覚えている。その後、激しい罵りあいになり一発殴られ外に放り出された。
たぶん穂香の言う通り、潮時だったのだろう。
小さな不満やわだかまりが互いに我慢できないレベルになっていて、それが些細なことでついに爆発したのだ。
どっちかが一方的に悪いんじゃなくて互いが……
えっと、互いが少しずつ……相手を……相手を気遣ってぇ……
………
……
…
いや、私、全然悪くないじゃん!
あんのヤロウ、ここ1年はバイトもせずに、ごろごろしやがって。
ヒモか!? いや、ヒモだろ。
部屋から放り出されたあの後に私は仕事に行ったんだぞ。お前は何をしていた?
あー、あー、だんだん腹立ってきた。
殴られたところもアザになっていって、職場で針のムシロで大変だったんだ。
思い出した!
帰ってきたら、私の荷物だけ廊下に出されて、メールで一言。
》お前のだ
何がお前のだ、だ。
ふ ざ け る な !!
廊下に置いてあったのは私の服と炊飯器とノートパソコン。
言いたい事は山ほどあるが取り合えず。
冷蔵庫がないじゃないか、テレビもエアコンも私が買ったんじゃないのさ。
炊飯器だけってどういう事?
確かにこれも私が買ったけど……
トースタ!
トースタはどこよトースタは。
あれも私が買ったもんでしょう。
あいつ、自分が使えそうなもんはちゃっかりガメやがった!!
怒り狂う私はあるものに気付き、眉ねを上げ、首をかしげる。
「食洗機……」
なんじゃこりゃ。
こんなもん私、買ったっけ?
『これは俺からのプレゼントだ。
渚の綺麗な手が痛まないように買ってきたのさ』
再びのフラッシュバック。
あいつ、あんな事言って結局一度も洗いものした事ないよね。
あ、ダメ……
私は頭を抱え、身悶える。
その言葉を聞いて感極まって泣いた自分を思い出しそう……
って言うか思い出したぞ。こんチクショウ!
マイ黒歴史の順位変わりそう。
……
馬鹿だ。
あいつは馬鹿だが、私はもっと馬鹿だ。
私は情けなくなって大声で泣き出した。
「なに、なに、どうしたの」
穂香が私の泣き声に驚いて目を覚ました。
穂香の声を聞くと私はさらに惨めで悲しくなり、ボロボロ涙を流して更に大きな声で泣く。 まるで駄々をこねる子供のようだったが自分を抑える事ができなかった。
穂香は泣きじゃくる私を抱き寄せると黙って頭を撫でてくれた。
何も言わずに私が泣き止むまで撫でていてくれた。
次の日。
粗大ゴミの日だったから、穂香と一緒に「食洗機」をボッコボコにして出してやった。
ざまあみろ。
私の名前は美沢渚。
もう、お目にかかることは無いでしょう。
はい、さようなら。
《おまけ》
「少しは落ち着いた?」
渚の髪を撫でながら穂香が尋ねる。
穂香の膝に顔を埋めていた渚は顔を上げ、じっと穂香の顔を見詰める。
「なに。何か私の顔についてる?」
渚はフルフルと首を横に振ると掠れた声で言う。
「穂香はなんで女なの?」
「はい?」
「男だったら良かったのに。そしたら、迷わず押し倒すのに」
「アホ」
穂香はペチンと渚の頭をはたいた。
2018/04/09 初稿
2018/04/09 誤記訂正
2018/05/21 色々修正
2020/10/30 誤記修正&作者名変更&千社札追加