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「ラウス様、モリア様。朝食の用意は済んでおりますが……」

 中々降りてこない私たちを心配してハーヴェイがやって来るまでずっと私達の間にあったのは沈黙だった。

 

「ああ」

 長年を共にしただろうハーヴェイに返す言葉さえも冷たく、ラウス様の後悔がどれだけ大きなものか容易に想像が出来た。

 

 私はあの日、説得を諦めるべきではなかったのだ。

 そうすればラウス様がこんなにも苦しむことはなかったのだろう。

 

 愛より金を選んだ私と地位より愛を選んだラウス様。

 

 元より私達の目的には大きな溝があったのだ。

 私はまだ愛とは何かの答えをよく知らなかった。いずれ知るだろうと後回しにしていたツケが今にしてやって来たのだ。

 

 ラウス様にとって、サンドレアの人達にとって愛とは何にも代え難いものであろう。

 

 だからお父様もお母様もあんなにも必死で止めたのだ。

 重さを知っている反面でその残酷さをも知っていたから。

 

「ごめんなさい」

 食事を拒むようにして自然と小さくなっていく私の口から小さく溢れるのは謝罪の言葉だった。

 自らのことしか考えずに他人を傷つけてしまったことを後悔するにはあまりに小さな言葉。

 だがその声すらもラウス様の耳に届いたらしく、彼が返したのは私にはあまりにも優しすぎる言葉だった。

 

「モリアは何も悪くない。悪いのは間違えた私の方だ」――と。

 

 半分以上を皿の上に残してラウス様はその場を後にした。そしてそれに続くようにして私も。

 

 だが、行く先は真逆。

 ラウス様は玄関に、そして私は与えられていた部屋に。

 

 物なんてほとんどないけれど、やり残したことは一つだけある。

 だからそれを片付けに行くのだ。

 

 彼らは受け取ってくれるかわからない。

 本物ではなかった私の刺繍したハンカチなんて要らないと言われるかもしれない。

 だが私に笑いかけてくれたあの人達との約束を自ら違えてしまおうとは思えないのだ。

 

 手先には自信がある。

 残りの4枚はいつも通りのペースならば昼過ぎには出来上がることだろう。

 

 ベッドに腰をかけ、そして一心不乱に布に針を突き刺して行く。

 何回も作り出してきた薔薇の花は色を変えていくつも浮かび上がってくる。一枚、二枚と終わるごとに自分の手は動きを加速させて行く。

 そして4枚目が終わった頃の私の作業時間は恐らく自己最高記録を塗り替えていたことだろう。それでも手の中にある薔薇はいつも以上に綺麗に咲いてくれている。

 お姉様達の嫁入り道具に施した物よりも美しく、最高の状態で。

 それは後は散るだけの今の私とよく似ているような気がした。

 

 


 コンコンコンと、来るのは二度目となるアンジェリカの部屋のドアを軽くノックする。

 

「はい」

 少し間が空いてから返事とともにドアが開く。その間から顔を覗かせたのはこの部屋の主人であるアンジェリカ、ではなくシェードだった。

 

「モリア様!」

 彼は突然の来訪である私を快く受け入れてくれたらしく、どうぞどうぞとアンジェリカに伺いを立てることなく部屋の中へと案内しようとする。

 

「お邪魔します」

 シェードの様子を信頼であると都合のいいように受け取り、部屋の奥へと入って行くと窓から降り注ぐ光を浴びながら憂鬱そうに外を眺めるアンジェリカの姿があった。

 

「アンジェリカ、少しいいかしら?」

 まるで有名な絵師が手がけた絵画のような少女におずおずと声をかけると彼女の表情は一転していつものように明るいものへと変わっていった。これはこれで絵になるのだが、先ほどよりも幾分も話しかけやすい雰囲気になったのだから不思議なものである。

 

「お義姉様から来てくださるなんて嬉しいですわ!」

 シェードと同じように来訪を歓迎してくれているアンジェリカに早速だが本題となるハンカチを差し出す。

 

「昨日のハンカチ出来たので、もしよろしければ……」

 あえてラウス様と私の間にあった出来事には触れずにそれを差し出す。

 

「ありがとうございます! 大事にしますね!」

 何も知らないアンジェリカは嬉しそうにそれを胸元へと寄せて笑った。

 その笑顔が崩れるのは私がこの屋敷を去った後のことだろうと彼女の愛らしい笑顔に罪悪感は積もっていく。

 

「……ありがとう」

 重さを持ったそれを抱きかかえながら、何も知らない彼女が発した感謝の言葉を受け取る。

 自分でもズルイことをしているのは分かっている。それでも口元を無理矢理釣り上げて笑顔を作る。

 

 残りの僅かな時間であっても私を慕ってくれた彼女の義姉でいたいと思いながら。

 

「お義姉様、どうかなさいましたか?」

「なんでもありませんよ」

 心配そうに見つめてくれるその姿に嘘を返して、そしてその嘘がメッキのように剥がれ落ちる前にその部屋を後にした。

 

 

 次はアンジェリカの向かいの部屋の五つ隣に位置するサキヌの部屋のドアをノックする。アンジェリカの部屋でそうしたようにコンコンコンと軽く三度。だが一向にサキヌの返事はやって来ない。

 コンコンコンと再び叩いてもまた返事はない。

 

 居ないのだろうか?

 そう思うものの、どうしてもお世話になったサキヌには自らの手で渡したいという気持ちが強いからかもう一度だけとしつこく三度目のノックをしてしまう。

 

「誰?」

 すると苛立たしげにボサボサになった頭を掻きながら顔を出すサキヌは邪魔者を突き刺すかのような声で応対してくれた。

 どうやら寝て居たところを私のしつこいノック音によって起こされてしまったらしい。

 

「お休みのところをごめんなさい」

「義姉さん!? いや、もう起きるには遅い時間だし、気にしないで。それでお母様かアンジェリカに何かされた!?」

 纏う雰囲気を刺々しいものから柔らかなものへと一転させたサキヌの中ではあの二人はどんなイメージなのだろうかと疑問に思いつつ、二人にはしてもらったことはあれど何かされたわけではないので慌てて否定する。

 

「いえ、そういうわけではなくて……。ハンカチが出来上がったので、もしよろしければと思いまして……」

 もらって欲しいとは言い出せるわけもなく、こんな曖昧な言葉になってしまう。

 

「え、もう? さすが義姉さん、早いなぁ。ありがとう、大切にする」

 だがそんな私の態度を気にすることなく、サキヌはアンジェリカ同様快くそれを受け取ってくれたのだった。

 そしてそれを受け取ると私の目をジッと見据えて強く言い聞かせた。

 

「義姉さん、今回は違うにしても何かされたら俺のところに言いに来て。しばらくすればまた寮に帰らなきゃだけど、それでも俺が屋敷にいるうちはちゃんとあの二人に言って聞かせるから!」

「皆さんには本当によくしていただいています」

「義姉さんは優しいな……。でもあの二人が何かしてないとなると…………お兄様となんかあった?」

「え?」

「表情が固いし、動作もぎこちない」

「そんなことは……」

 ないと言い切れればいいのだろうが、きっと今の私はサキヌの言う通りだろうから否定するわけにもいかず、言葉を濁すことしかできない。

 

「義姉さん、安心して。二人の問題に首を突っ込むつもりはないから」

 サキヌはその言葉通り、私を安心させるように明るく笑うと私の手元に残る二枚のハンカチに目を向けた。

 

「お母様なら今の時間、庭にいると思うよ」


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