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 ラウス様の馬車を見送った私はその場を離れがたく感じていた。

 あと何回この経験ができるかわからないならできる限りその時間が長くあってほしいと思ったのだ。

 けれどラウス様と手を離してから時間が経つにつれて当然のことながら馬車は屋敷から遠ざかって行く。いくら視力には自信があるとはいえ、その姿を捉えるのには限界はある。せいぜい馬車の色を捕らえられたのは初めの数分だけで、後は街道沿いの緑に紛れてしまってどれがラウス様達の乗る馬車なのかわからなくなってしまっていた。

 それでもしばらくの間、ハーヴェイさんに「モリア様、そろそろ中へ」と促されるまでずっとその場で馬車の背中を追っていた。


 ラウス様がこの屋敷に不在で、なおかつ唯一の今日の予定だったお茶会は結局やるのかやらないのかよくわからない。

 夕食はおそらくラウス様のご家族とご一緒させてもらうのだろうが、どちらにせよ今は完全に暇であるといっても過言ではない。


 ならば今こそ筋力トレーニングをしようではないか!


 屋敷を若干、いや結構迷った私は迷子の時間を無駄にはせず、そう決意した。

 部屋に入りドアを閉め、ぐるりと部屋を見回す。

 筋力トレーニングといえば、腹筋、背筋、腕立て伏せ、スクワットの四つが今のところ思いつくトレーニング方法だ。

 腹筋と背筋は足がすぐに上に上がってしまう私としては足を押さえつけるための何かが欲しいところだが、残念ながらそのようなものは見つからない。

 腕立て伏せとスクワットなら何も道具がなくても出来そうだからやるならばこの二つに絞られるだろう。

 では早速腕立て伏せから。

 ベッドで寝転んでやるにはこの屋敷のベッドは柔らかすぎるし、だからといって床でやると力を抜いた時に借り物の服が汚れてしまうかもしれない。

 ならば立ちながらやるとしよう。ベッドから大股で3歩ほど離れた位置にある小さなテーブルなんかは手をつくにはちょうどいい。

 早速テーブルから小さく二歩ほど距離を置き、手をついて腕の曲げ伸ばしを行う。

 お兄様達の真似をしたのはもう随分前のことで、ここ数日運動と呼べるものを何一つしていなかったせいか数を増すごとに腕がプルプルと震えてくる。

 そうなるとラウス様のためとかそうでないとかは別問題としてもさすがにこのままではマズイなと感じてしまう。


 ただでさえ私の体は筋肉がつきにくいのだ。それでいて落ちるのは早い。さらにこの屋敷に来てからは随分と甘やかされている気がする。

 このままだとどうなるか、なんて簡単に予測が立てられる。


 ……筋力トレーニングは日課にしよう。

 わずかな運動であろうともこれからもこの屋敷に滞在する以上やるとやらないのとでは大違いなのだ。


 腕ばかり筋肉をつけるのもな……と思い、その場でスクワットを、と思ったのだがそれはうまくはいかなかった。

 筋力トレーニングをする上で一つ盲点だったのがドレスだ。

 これでは肩幅に足は開けないし、そもそも運動をするような服ではない。

 今までは動きやすさ重視の服を着ていたせいかそんな当たり前のことにも気づけなかったというわけだ。

 だからといって運動をするための服が欲しいとラウス様に頼めるかというと答えはノーだ。

 そうなれば、今のところ私ができる筋力トレーニングって腕立て伏せだけということになる。

 あんなに気合を入れといて……だ。


 ダメじゃないか、私!


 腕立て伏せしかできるものがないからといってそれだけで一日潰すなんてできるはずがない。

 日が暮れるより先に私の腕が潰れる。


「はぁ……」

 初日ということもあり、過去にお兄様達が1セットとしていた100を越えたあたりで終わりにする。すると途端に暇になってしまった。

 ベッドに身体を預け、目だけであたりを見回すとやはり必要なもの以外何もない部屋だなぁと実感する。

 親切なラウス様が用意した部屋がこうなのはきっとその人の好みがよくわからなかったというのが理由なのだろうけれど、もう少しなんか置いた方がいいと思う。

 例えば花瓶に花を生けるだけでも違う。

 私は花瓶なんか近くにあったら割ってしまいそうで怖いからいらないけれど、部屋に彩り一つあるだけで緊張具合が全く違うだろう。


 今度提案してみようかなと本気で思ってしまう。

 せっかくというべきか人違いをして、私という前例を作ったのだから失敗は生かして欲しいものだ。

 日々の失敗を全く生かしきれていない私がいうのも変かもしれないが、ラウス様ならきっと大丈夫なはずだ。


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