4話 予兆
文の長さを刻んで刻んで頑張っております、春間夏です
少しずつ本題に入ってます。とりあえず本編どうぞ
ミスガニエに、春の穏やかな陽気が訪れて一月程度が経った。
村のすぐ横を流れる川で清水を桶に汲み、その水を自宅の貯水用の井戸に注ぎ、水の量を確かめてから一七歳になったエルストは「うん」と呟いた。
「とりあえず、これだけ汲んでおけば充分だろ…落ち葉とかのゴミも見当たらないし」
五年経って、背は一八〇センチまで伸びた。髪も、昔より少し長い状態が標準になっている。
日常生活での力加減は何不自由無い水準に達した上で、本気の出力は遥かに上昇している。神童としての能力も、相応の成長を遂げていた。
「おーい、エルスト。ちょっと頼まれてくれねぇか?」
井戸の蓋を閉めた所で、エルストは呼び掛けられた方へ視線を向ける。そこに居たのは、当然こちらも五年分老けたグラジーだった。
「良いよ。この時期だと…シルソニアかな?」
「流石に分かってるなぁ。ったく…いつもなら自分で採りに行けたんだけどよ」
「まぁ、膝を痛めてるんじゃ仕方無いよ…どうせなら、畑で育てれば?」
「そうしたいけどよ、シルソニアは生命力が異常に強いからな。畑なんかに植えちまったら、養分を持ってかれて他の作物が育たなくなっちまうんだよ。シルソニアが生えてる辺り、他には雑草くらいしか見当たらないだろ?ありゃそういう訳だ」
「あぁ、道理で……」
便利な薬草なのに村の中に見当たらないのはそういう理由があったのか、とエルストは納得した。薬草として機能するだけの養分を蓄えているのだから、それだけ吸い上げる力も強いのは当然だ。薬草を育てた結果、食糧危機に直面しては本末転倒である。
「それじゃ、いつも通り籠だけ貸してよ。今から行ってきちゃうから」
「あぁ、頼んだ。北門の前で待っててくれ」
自分の家へ戻るグラジーと一旦別れて、エルストは北門へ向かう。北門のすぐ目の前まで歩いた所で、背後から声が掛かる。
「あ…エル。どこか行くの?」
その声と呼び方で背後の相手が誰かを確信して、エルストは振り向きながら答えた。
「あぁ、山でシルソニア摘み。暇ならレンも行くか?」
エルストの提案に笑顔で頷くのは、一五歳に成長したレンだった。と言っても、エルストの成長力には追い付けなかったようで。背はエルストの肩より少し低い程度である。それでも、五年間エルストと一緒に様々に動き回った成果だろうか。五年前の「風が吹いたら倒れそう」というエルストの第一印象から比べれば、ずっと健康的な体つきになっている。…まぁ、か弱いのは相変わらずで、エルスト曰く「野良猫に喧嘩で負ける」レベルだが。
「シルソニア摘みかぁ…一緒に北の山に行くの、結構久し振りかな?」
「あぁ、そう言えばそうか?まぁ、北の山に行く用事って、シルソニアを採りに行くのが殆どだからな…」
「うん。けど私…シルソニアが生えてる場所から見える景色、結構好きだよ?たまに行きたいくらい」
言われて、エルストもその景色を思い浮かべる。シルソニアが養分を独占している為、背の高い木も殆ど無く視界が開けている。そこから、川の下流に向けて広がる自然を一望出来る。確かに、特別な何かがあるわけではないが見飽きる印象も無い。
「…そうだな。じゃ、その内のんびりしに行こうぜ。軽く食える物でも持ってさ」
「本当?えへへ…ありがと、エル」
嬉しそうに微笑むレンにつられて、エルストも自然と笑みを浮かべる。春の陽気にやられたような空気感が漂い始めた時、横からわざとらしい咳払いが差し込まれた。
「……あ〜、そろそろ籠を渡しても良いかな?お二人さん」
「「あれ、グラジーさん居たの?」」
「あぁ居たね!そのままそこに花畑が出来そうな空気になる前から来てたね!」
籠を持って棒立ちになっていたグラジーにそこで漸く気付き、揃って首を傾げる二人にグラジーの嫉妬が爆発である。溜め息を吐きながらエルストに籠を渡して、「やれやれ」と苦笑する。
「エルストはともかく、レンの位置からなら視界に入ってたんだけどなぁ?まぁ、レンはエルストと居る時はエルストの事しか見てねぇのは知ってるけど」
「ぴにゃ!?グ、ググググラジーさん何言ってるの!?骨折るよ!!」
「え、それ未来視?それとも暴力宣言!?」
グラジーの茶化しに顔を真っ赤にしたレンの口からまさかの発言が飛び出した。
…まぁ、レンの力じゃどこの骨も折れないが。「え、えやぁーっ」というぽんわかした掛け声と共に本気で叩いても「ぺちっ」という音が出るだけだが。
「…グラジーさん、あんまりレンをからかうなよ。骨折るよ?」
「おぉい!?エルストが言うと洒落にならねぇから!骨どころか全身爆散するわ!!」
締めの一言は同じだが、発信者次第でとんでもない違いである。冗談だと分かっているから大袈裟なリアクションも出来るが、もし本気で言われたら無言で土下座する事も厭わない恐怖レベルだ。
「…ま、エルストもエルストだけどな。いつの間にか、『エル』なんて愛称で呼ばれて――」
「あ、その呼び方して良いのレンだけだから。ごめんなグラジーさん、首引っこ抜くよ?」
「いや何で!?何が刑罰に値する罪だったよ今の!!」
まるで朝採りの白菜くらいのノリでグラジーの首を収獲しようとするエルスト。これも当然冗談だが、前半の「エルと呼んで良いのはレンだけ」という部分は本当マジでリアルにガチである。エルストも大概だというグラジーの見解は間違っていないらしい。
「…って、本題を忘れてた。レン、そろそろ行こうぜ」
「ふぇ?あ、そっか。シルソニアを採りに行くんだっけ」
「…いや、散歩でもデートでもして良いけどそこだけは忘れないでくれます?」
まさかのクエスト放棄スレスレだった二人にグラジーが呟くと、レンがやっぱり頬を染めて反論した。
「デ、デートじゃないです!もう、グラジーさん…エルが首の骨折るよ!」
「今すぐ実現出来る未来発信はしちゃ駄目だろ!?」
「………ふむ」
「神妙な面持ちで手首を解すなよマジ怖ぇから!!」
膝の痛みも忘れて全身ジェスチャーで「行け、ほら早く行け!」と示すグラジー。あっさりと頷いて「じゃあ行ってくる」と北の山へ歩き出す二人を冷や汗混じりで見送りながら、グラジーは聞こえないように呟いた。
「…デートじゃない、ねぇ。だったら手の繋ぎ方も無自覚でそうなってるのか」
万が一にも反論が飛んでこないように、グラジーはさっさと踵を返してその場を離れる。エルストとレンが手を繋いで歩くのは五年前から変わらない光景ではあるが、はて……繋ぎ方が互いの指を組み合う、何て言うか恋人繋ぎになっていたのは果たしていつからだったか。多分独身男衆の飲み会が酷くなった辺りからだと思うが。それが無意識かつ無自覚だと言うのなら――
「…まぁ、やっぱりどっちも大概だな」
と、グラジーは結論付けた。そのまま村を歩いていると、村長が広場の方を見て立ち止まっているのを見付けて声を掛ける。
「村長。どうかしましたかい?」
「…あぁ、グラジーか」
グラジーに気付いても、村長は広場を見たまま…いや、視線は上の方に向かっているか。何を見ているのだろうかと、グラジーもその視線を追う。
村の奥側にある広場の更に奥に、「神樹」と呼ぶ千年樫がある。樹齢は推定でもその名の通りの一〇〇〇年。幹の太さは一二メートルを超え、高さも二〇メートル以上ある。ミスガニエの村の守り神のような存在として村人から愛されているそれを、村長は眺めているようだった。
「……神樹が、どうかしたんですか?」
「………気のせいであれば、良いのだがな」
その問い掛けに、村長は漸くグラジーを見た。そして、本当に「見間違いであれ」と願いを込めるように呟いた。
「――ほんの一瞬だが……神樹が、騒いだように見えてな」
*
北の山に出発してから、一時間弱が経った頃である。
「…ちょっと、摘み過ぎたかな?」
グラジーに渡された籠から盛り上がるように重なったシルソニアを見て、レンが今更ながらに首を傾げる。対して、エルストも「……そうだな」と呟いてから周囲を見回す。
「まぁ、大丈夫だろ。採り尽くしたわけじゃないし、グラジーさんも膝を痛めてるんだからいつもより多く持ち帰っておくくらいが丁度良いんじゃないか?」
「…それもそうかな?うん、そうだね。それじゃあ帰ろっ、エル」
エルストの言葉に納得したレンは、そう頷きながらエルストの手を取った。「あぁ」と答えて山道を下ろうとした瞬間。
「――っ!?」
何に対してか、は分からない。だが、それを理解してからでは全てが遅いと直感に訴えられて、エルストはその何かから庇うようにレンを背後へと誘った。
「ふぇっ……?エル、どうしたの?」
「静かに、レン。………何か居る」
その得体の知れない気配は、木々の奥から伝わってくる。熊か何かの野生動物という可能性もあるが、この山にはそういった人間にとって危険な動物は居ない筈だ。そもそも、野生動物は人の気配を感じたら離れていく場合の方が多い。しかしその気配は、その場から動こうとしない。
(……何なんだ、この感じ。俺とレンに気付いてないわけじゃなさそうだけど……友好的でもなければ敵視もされてない?上手く言えないけど…何とも思われてない、ような。それなのに、もしも敵視されたらタダじゃ済まない…そんな気がする)
まず、その在り方が普通ではない。全体的に黒い、としか判別出来ず、輪郭はゆらゆらと形を変えて全体像を捉え切れないが、煙や影に比べれば間違い無く質量を感じる。
「……何もしてこないなら、この場を離れるのが最善策か。レン、急がず焦らずでこのまま山を下りるぞ――」
そう判断を下して、向こうの何かには聞こえない程度の声量でレンに呟くエルスト。すると、果たしてその声すら聞き取ったのかどうかは分からないが、その何かの輪郭が揺らぎ、双眸と思しき二つの光がエルストの方へ向いた――瞬間。
「………………っ!!」
何が、かは分からない。
理性か、直感か、本能か。もしかしたらその全てが同時に訴えたのかも知れないが、エルストが駆られた衝動はたった一つ。
『アレを、生かしておいてはならない』
その感情のまま、何かに対して一歩目を踏み出そうとした。その一歩を踏み切った次の一歩で、何かに肉薄出来るだけの加速を生み出す力を込めるつもりだった。
それを制したのは、エルストの右手を両手でしっかりと掴んだレンだった。
「駄目……エル、駄目」
エルストを見つめるその目は、明らかな怯えの感情で揺れている。エルストの背後から、エルストが見付けた何かの正体を確かめる為に一瞬だけ顔を出してみたらしい。そして、その瞬間に視てしまったのだ。
「…行っちゃ駄目。エル…死んじゃう」
「………………」
レンが言葉にした以上、それはただの杞憂では済まない。五年前の落石のように、エルストの能力を加味しない状態ではない。昔より力を増したエルストが、立ち向かって死ぬ未来を視た。あの何かは、それだけの存在だとレンは理解してしまったのだ。
「駄目…駄目だよ、エル。絶対に、行っちゃ駄目」
何度も、ただ必死に「駄目だ」と訴えるレンに、エルストはもう一度だけ何かの方を見る。二人の方へ向いていた何かの目は、今は別の場所へ向いている。何かに対してエルストが感じた脅威を、エルストに対して何かは感じなかったと示すように。
「……レン。しっかり籠を抱えててくれ。急がず焦らずは訂正だ…アレの気が変わらない内に、全速力で山を下りる」
「っ………、うん」
エルストの指示に頷き、レンはシルソニアを詰めた籠をしっかり両腕で抱えた。エルストはそのレンをお姫様抱っこしたかと思うと、その光景とは相反する爆発的な加速で山道を駆け出した。走るというよりは飛び跳ねるように移動しながら、エルストは一瞬だけ背後を振り返った。
何かが追ってくる気配は、一切無かった。
まだ旅立てない………
次の話でも多分まだ旅立てないです。旅立たせたいです。旅に出たら他所の地名を考え出さなきゃならないので面倒ですが
ではまた次の話で