第6話 真紅の鉱石 下
長い一日を終えて休む鳴鳥。
振り子時計の音だけが響く静かな部屋に、コンコンとドアをノックする音が響いた。
「(ジルベルトさんかな? ……あ、もしかして今日の行動でお咎めがあるとか)」
鳴鳥はいやな予感を感じた。
本当は会いたくないと思ったが、彼に逆らう訳にはいかないので重たい身体をゆっくりと起こしながらドアへと近づく。と、そこでドアノブを握って回す前に扉の向こうから声を掛けられた。
「もうお休みになられたのですか?」
それは可愛らしい少女の声。
ドアを開けてみるとそこにはジルベルトではなく、フランス人形の様な少女が車椅子に座って居た。
彼女はグレゴリオの孫娘、リリアンだ。
「え、あの……。なにか私に用ですか?」
「ええ、お食事中に貴女とお話が出来なかったから。わたくし是非とも貴女とお話がしたいわ」
「え……、あ~……、その……」
「もしかしてわたくしとお話をするのはお嫌ですか?」
「そ、そんな事はないですよ!」
大きな瞳を潤ませておねだりポーズをする幼女。これにはロリコンでなくともこちらが折れざるを得ない。
それにリリアンは車椅子生活である為、外界を知る機会が少ないのだろう。
その点でもここで無下に扱うのは良心が痛む。
ボロを出さないか不安ではあるが相手は子ども、そう自分に言い聞かせて鳴鳥はリリアンを部屋に通した。
ベッドの横のサイドテーブルに水差しから水を注いだグラスを二つ置く。
その後鳴鳥はベッドに腰掛け、リリアンはそれに向かい合うように車椅子に座っている。
「えっと……。私はまだ半人前だから先生のようにはお話しできませんが」
あらかじめ予防線を張っておくのは学術的な事を聞かれても答えられないからだ。
どんな質問が来るか内心ヒヤヒヤしている鳴鳥に対してリリアンは目を輝かせて最初の質問をする。
その内容は予想の斜め上をいっていた。
「ナナリーさんはジルオットさんとどのような関係なんですの?」
「……え? 彼は私の先生で私は助手(という設定)ですけど」
「それは存じ上げておりますわ。そうではなくて男と女としてですわ」
「男と女?」
「お二人はお付き合いをされているのですか?」
「!!?」
どこをどう見たらそう見えるのか、鳴鳥の頭には大量の疑問符が浮かんだ。
冗談ではない、あのようなデリカシーのないオジサンなどこちらから願い下げだとばかりに全否定をして誤解を解こうとする。
「せ、先生とはそういった関係ではありませんっ!」
「そうなのですか? でも彼は貴女の事を随分と気にかけているようでしたわよ」
「あれはその……」
思い当たる節がある。
ジルベルトが鳴鳥を気にする理由。それは彼女が余計な事をしないか目を光らせているだけである。
決して恋心などではない。けれどもこちらの事情を説明する訳にもいかない為、鳴鳥は適当に誤魔化すことにした。
「わ、私が未熟者だから。だから先生は気にかけてくれているだけなんですよ」
「そう……、ですか」
残念そうに肩を落とすリリアン。
申し訳なく感じるが、こればっかりはどうしようもない。
だが、このまま彼女をがっかりさせたままでは気が引けるのか、鳴鳥は別の話題を振る事にした。
「そ、それに私には他に好きな人が居ますし」
「まぁ……! それは本当ですか? どのような殿方なんですの?」
咄嗟に出た口から出まかせ、その言葉に鳴鳥自身が驚く。
恋愛がらみの話題を出された為、無意識的に自分もそっち系の話題を選んでしまったようだ。
鳴鳥はリリアンに問われて考える。
「(私の好きな人……)」
そこで思い浮かんだのはプラチナブロンドに蒼い瞳の青年。王子様のようないで立ちの彼。
半日前位に再会し、鳴鳥のピンチを救ってくれた名実ともに王子様な彼。その名は久城蔵人。
けれども彼に想いを寄せる訳にはいかなかった。
思い浮かんだ想い人、それは叶わぬ想いであると気付き、鳴鳥は暗い顔になる。
その表情の変化に、リリアンは聞いてはいけない事を聞いてしまったのかと心配そうに顔色を窺ってきた。
「もしかしてお話ししにくい事でしたか?」
リリアンに声を掛けられ、鳴鳥は現実に引き戻される。
こんな幼い少女に心配をさせてしまった事を反省し、一刻も早くこの表情を変えさせねばと思い、暗い気持ちを振り払って笑顔を浮かべる。
「いいえ、そうではないんです。ただちょっと……。その、私が気になる人は好きになってはいけないと言うのか……。赦されない事なんです」
「それは道ならぬ恋という事ですか?」
「そんなロマンチックな話ではないんですけどね」
禁断の恋、身分違いの恋。年頃の女の子が好みそうな話題である。
リリアンも例外ではなく、興味しんしんといった感じで瞳を輝かせた。
ここまで期待されると話を途中で切り上げにくい。
まだ幼い子に対してこんな話をしても良いのだろうかと悩む鳴鳥であったが、ここは自分の住む星とは違い自分の事を知る者は居ない。
それにジルベルトの仕事が済めばこの星にもう一度訪れる事は二度とないだろう。
ならば問題あるまい。そう自分に言い聞かせてこれまで誰にも言えなかった事情を、懺悔を口にした。
「私は私の気になる……。ううん。好きな人の大事な人を助けられなかった。……いいえ、見殺しにしてしまったんです」
「み……ごろし?」
「だから彼に愛して貰う事なんて絶対あり得ない。ありっこないんです」
「あいして……もらえない……」
鳴鳥の言葉をぽつりぽつりとオウム返しにするリリアン。
その表情はこれまでの楽しげなものではなく、心此処にあらずといった様子だ。
恋愛の話が人死の話に変わり、気分を害してしまったのかと慌てる鳴鳥であったが、その程度のものではなかった。
彼女の言葉はリリアンの心に深く突き刺さってしまったようだ。
「お父様が……わたくしを嫌うのは……お母様を……わたくしが殺してしまった……せい?」
「え?」
覗き込んだリリアンの表情は絶望の色に染まっている。
呟かれたのは自らを責める言葉。けれどもその考えが間違いであると鳴鳥は知っていた。
「……お母様はわたくしが生まれた時、命と引き換えにお亡くなりになりました。だから……、だからお父様はその事でわたくしの事を恨んでいらっしゃるのね」
「そんな事は無いです! イグナシオさんは貴女の事を心配して――――」
「お父様が……?」
坑道での一件。グレゴリオとイグナシオが言い争っていた時の事を思い出して口にする。
リリアンの父親への誤解を解こうとする鳴鳥であったが、これまでの事を思い返す。
採掘場から帰ってきてから、そして夕食の間もグレゴリオはイグナシオの話題を口にしなかった。
グレゴリオはイグナシオと坑道で会った事をリリアンに知られたくなかったのだろう。
それを鳴鳥はうっかりと口を滑らせて知らせてしまった。
どうしたものかと内心頭を抱えるが、誤魔化そうとしても遅かった。
「お父様にお会いになられたのですか?」
「え、ええ。調査に行った採掘場で偶然に、お会いしました」
「そうですか……! お父様はお元気でしたか?」
「はい。リリアンさんの事を気に掛けていましたよ。ですからイグナシオさんが貴女の事を恨んでいるなんて事は決してあり得ないと思います」
「そう……、ですか……」
父親の気持ちを知り、嬉しそうに微笑むリリアン。その様子に鳴鳥はほっと胸を撫で下ろす。
グレゴリオには悪い事をしてしまったが、リリアンの笑顔を見て話してしまった事への後悔は和らいだ。
それからリリアンは父親との思い出を語った。
それはごく僅かな、ひとときの出来事でたわいもない内容であったが彼女にとっては大切なものらしい。
話を聞く限りではイグナシオがこの屋敷から出て行ったのは数年前だそうだ。
おそらくこの町の採掘場からの産出量が減り、この先どうするかでグレゴリオと揉めたのだろう。
だが、リリアンは幼い。
難しい大人の事情など理解できないだろうし、知らされてもいなかったのだろう。
「早くお爺様とお父様が仲直りして下さるといいのに」
「そうですね」
リリアンが鳴鳥の部屋を訪れていた頃、ジルベルトは咥え煙草をしながら、客室のベッドに腰掛けて手にした小型で薄い機械を操作していた。
ボタンを押すと立体映像が浮かび上がる。そこに映されたのは若い男、歳は二十歳そこそこか、茶髪に眼鏡を掛けた真面目そうな青年であった。
「お疲れ様です。どうですか、そちらの様子は」
「どうもこうもない。楽な仕事だと楽観視していた訳じゃないが予想外の出来事が多くてな」
「それは……、心中お察しします」
通信相手である青年は労わりの言葉を述べるが、終始笑顔である。ジルベルトは彼を忌々しげに睨みつけた。
「で、状況の方はどうでしたか」
「情報通り、採掘場には大量の精神結晶を埋蔵している。それから未契約のARKHEDも一体確認した」
吸い終わった煙草を携帯用の吸い殻入れに入れ、新しい煙草を手にする。
口に咥えたそれに火を点けたのはマッチでもなく、ライターでもない。
ジルベルトが右手に持つのは採掘場で採取した鉱石。半透明のクリムゾンレッドカラー、そこには乳白色の不規則な円と線の模様が浮かび上がっているものである。
その鉱石から淡い赤色の光が発せられたのちに小さな炎が上がり、それに煙草を近づけて火を点した。
「回収はどうしますか?」
「それが厄介な事になりそうだ。アラン、早急にこの星の周辺宙域の航行記録を調べてくれ。それから、本部に緊急支援要請をしておくように」
「分かりました。なにがあったのか聞いても差支えないですか?」
「ああ、説明が要るな。採掘場を案内して貰った時に妙な二人組と遭遇した。奴らはARKHEDの事を知っている口ぶりだった。おそらく未開惑星を狙った精神結晶の採掘目的だろう」
「なるほど。そう言う事でしたら運送関係かエネルギー関係、GEファウンデーション傘下の船籍を主にあたってみます」
「盗掘まがいの行為だ、船籍を偽装している可能性もある」
「そうですね。了解しました」
「と……、それから」
指示を与えたのち、ジルベルトは少しばかり言いにくそうに、首の後ろを掻きながらもう一つの指示を出す。
「これは手が空いたらで構わないんだが、後進惑星で『地球』という名の星がないか調べてくれ。俺には後進惑星の情報は調べられない」
「確かに、後進惑星の情報は星団連合の上層部しか知り得ませんからね。所でその『地球』とやらはどういった用件で?」
「……大きな拾い者を、な」
ジルベルトはこれ見よがしに大きくため息をつく。その様子から、彼の苦労が窺い知れる。
けれどもアランと呼ばれた男はもう労いの言葉を掛けない。
何やら得心がいったようで、にっこりと微笑んだ。
「なるほど。その拾い者とは女性ですね。それも若い女の子かな」
「ん? 何でわかる」
「さっきから煙草を吸うペースがいつもより早いです。気遣って我慢していたんですよね」
「……別に。そういう訳じゃない。吸う暇もないくらい忙しかっただけだ」
「そうですか? あと、船長が心底面倒臭がるって事は相手が女性で間違いないかと」
「相変わらず、お前は何でも知っているな」
「いえいえ、これしきの事、少し考えれば分かりますよ」
嫌味とも取れるその言葉にジルベルトはイラつきを隠せないのか、チッと舌打ちした後、別れの挨拶をせぬまま通信を遮断した。
「(さて、明日も色々と大変だ。寝るには少し早いが休んでおくか)」
何本目かの煙草を吸い終わった所でジルベルトは床に着いた。
夜中の三時頃、町長の屋敷には振り子時計が時を刻む規則的な音だけが響いていた。
鳴鳥が暮らしていた住宅街とは違い、車のエンジン音や救急車のサイレンの音などは全く聞こえない。
彼女は疲れが溜まっていたせいか、不慣れな場所であるにもかかわらず、ぐっすりと眠っていた。
リリアンはというと、彼女が自室から居なくなっていた事にメイドが気づき、連れ戻しに来た為ここには居ない。
自分の部屋に戻る事を相当渋っていたが、「また明日もお話をしましょう」と約束すると素直に引き下がった。
静寂に包まれた夜。このまま朝まで……と言う訳には残念なことにいかなかった。
真夜中の訪問者。ドアノッカーが乱暴に叩かれたのち、鍵を開けるまで訪問者は相当焦っているのか、ドアを拳でドンドンと叩いていた。
バタンと乱暴に開かれる扉。なだれ込むように屋敷に入ってきたのは真っ青な顔をした採掘所の作業員であった。
何事かとロビーに集まる屋敷の面々。リリアンは車椅子の為、皆より少し遅れてロビーに来た。
「こんな夜中に何事だ」
「で……、でで……出たんです……!!」
グレゴリオと鳴鳥とジルベルトにはその作業員に見覚えがあった。
彼は昼間、坑道を案内してくれた作業員の一人である。
彼の見開いた目は焦点が定まっておらず、額には脂汗をかいている。よほどの恐怖を味わったのだろうと窺い知れる。
グレゴリオはへたり込んでいる彼の肩を支えるように手を伸ばし、落ち着いて話すようにと促した。
作業員はメイドが運んできたグラスの水を一気に飲み干すと、一呼吸置いてゆっくりと話しだす。
しかし彼が述べた事は荒唐無稽ですんなりと受け入れられるものではなかった。
「出たんです。幽霊が……!!」
「幽霊だと? なにを馬鹿な……。寝ぼけて見間違えたのではないのか」
「あれは見間違いなんかではありません! 確かに目の前を大きな鉱石の塊が浮遊して、それからぱっと消えて無くなったんです!!」
「!」
真剣な表情の作業員。彼が嘘をついているようには到底見えない。しかし話す内容があまりにも信憑性に欠ける事である為、皆は顔を見合わせてどうしたものかと首をかしげる。
だが、ただ一人、ジルベルトだけは作業員の言葉に何か気付いたようだ。
上手く現状を伝えられない彼に助け船を出すように提案をする。
「ここでこうして考えていても始まりません。彼の言葉が嘘か本当か現場を見に行けば分かるのではないでしょうか?」
「……そうですな。ゴンザ、これから儂らは採掘場に向かう。馬車の準備を頼む」
「畏まりました」
手早く支度をするグレゴリオ、ジルベルト、鳴鳥の三名。夜中であるが、見知らぬ土地で鳴鳥を一人きりにするのは不安だったのだろう。
ジルベルトは彼女にも同行するように言った。