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動悸

作者: 楽部

 新しい病院は、坂の上に建っていた。駐車場は常に混雑している。車を少し離れた場所に停め、下から歩いて上がっていく。高台の方が津波が来ても安全で、ヘリコプターも降りやすいと受付の人から聞いた。運動にもなるだろう。はみ出たお腹をへこませてみる。それほど悪い気はしていなかった。


 入り口まで後少しのところ。そこからは一気に登りきる。玄関を潜り、受付に立つと、胸はもう高鳴っていた。ガラス越しに、彼女がいる。優しげな眼差しがこちらに向けられ、見つめられている気分になった。


「お見舞いですか」


 記入内容を読み上げる声は高音で透き通り、今日もまた、心地良く撃ち抜かれる。激しい脈打ちを感じつつ、みっともなく吹き出る汗を拭う。


「え、ええ、母が入院しておりまして」

「昨日もいらしてましたね」

「はい、だいぶ良くなってきているのですが、もうしばらくかかるようで」


 母は先々週から入院していた。手術は無事成功に終わり、後は回復を待つばかり。だが、目の前の理由もあり、毎日見舞いに訪れていた。


「早く退院できるといいですね」

「ありがとうございます」


 ゆっくりとその場を離れる。エレベーターに乗り込むまで来て、ようやく落ち着いた。上に登る箱の中には自分一人。どうかしてしまっている、およそ分かっていて、独り言ちた。


 母はやはり元気だった。会った途端、闊達に喋ってくる。創部はまだ痛むが、来週には退院できそうと母は言う。それは何よりと思った反面、病院に来る理由がなくなる。私は話を聞きながら、どうしよう、そればかり考えていた。


 今日も坂を登る。毎日繰り返せば、ある程度体力が付くだろうと思ったが、もうそんな年ではないらしい。足はパンパンと疲労を訴えるだけ、腹回りもそこまで引いてこない。ただ、心臓は亢進の一途だった。それは、受付に至ったところで最高となる。


「吉川さん、今日もお母さんのお見舞いですか」

「は、はいッ」


 名前を呼んでもらえたせいで、さらに一段と高まった。上限を越えそうな勢い。息を吸ったり、吐いたり。落ち着かせてから答える。


「毎日だと体が休まらない、逆に迷惑だと母には言われますね」

「そんなことないですよ。きっと喜んでおられます」

「ありがとうございます」


 昨日など、退院日までもう来なくていいと宣っていた母だが、会うとなんやかや、結構話してきた。終始笑顔で、明日も来るよと残すと、結局嬉しそうな。彼女の言った通りだった。


 帰りに受付の前を通る。報告しようかと揺れていたが、彼女は若い男と話していた。二人はちょっとした雑談の雰囲気。同じく職員のようで、下の名前で呼び合っていて、やけに親しげ。何だか感じが悪い。先を越された気分だった。用意していた話は閉めて、もやもやしながら坂を下った。


 母の退院は明日。坂を上がる。あれ以降、胸のもやもやは続いていた。そこに高鳴りを重ねて、今日も受付へ。しかし、彼女はいなかった。彼女はエレベーター手前の廊下にいた。あの時の男と、声を落として話している。


 自分は何だというのだろう。足早にそこに向かっていた。男は壁に手を突いていた。ドンッではないのだが、憤りが、拍動が込み上げてくる。残り数メートルのところで、私も壁に手を突いた。彼女は気付いた様子だった。


「吉川さん」


 目が合った。心臓は張り裂けんばかりに。


 ドッドッドッドッ。


 私は声も出せず、蹲った。


「吉川さん!」


 私は虚ろな目で見上げるだけ。後ろには男がいた。下げた名札に、彼女と同じ文字が見えた。




 ショックはドンッだった。電気は真っ直ぐに心臓を通過。私は正常化した。調律は平静を取り戻す。ざわつきはまだ、不完全ながら、収めるしかなかった。その後、私はベッドの上で寝てばかりいた。




 何だったというのだろう。年甲斐もないことは、受け付けないということか。


 退院の日、それなりのお礼をして受付を過ぎる。駐車場まで迎えに来た母の車に乗り込んで、私は坂を下った。

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