冷静沈着な侍女(エリエ視点)
侍女仲間の噂話が咲く。若い女子が集まれば、大抵、どこの騎士が格好いいだとかそんな話ばかりだ。わたしの好きな国内の情勢の話はどこにもない。今日もお茶菓子を片手に、侍女たちは大盛り上がりだ。
「今日のクラウス様も素敵だったわね」
彼女たちにしてみれば大分年上のほうだと思うが、ヴォルグフート副団長の人気は衰えない。すでに年齢は30になるが、いまだ独身。しかも、ミヤコ様に対しての甘く優しい振る舞いは「騎士と姫」というあこがれを誘う……らしい。
「そうそう。ミヤコ様のドレスをお褒めになって。ミヤコ様ったら頬を赤らめて嬉しそうにはにかんでらしたわ」
「ええ、本当に可愛らしい。ミヤコ様とクラウス様はとてもお似合いね」
「本当よ。もしあのおふたりが恋人同士だったらいいのに。きっと、幼いミヤコ様が成長するにつれ、素敵な女性にお変わりになっていくのをクラウス様はやきもきしながら見るのよ」
「そうね。近づく男に嫉妬したり、肩や背中の出るドレスを嫌がるの。妹から女へと見る目が変わる。そしてやがては、クラウス様の我慢が爆発して、長年の想いが結ばれるの」
まるで歳の差の設定を組みこんだ小説のようだったが、実際はそんなことにはなっていない。
ミヤコ様はサディアス様をお選びになり、仲むつまじく(よく喧嘩を)されている。クラウス様とて、ミヤコ様を甘やかしてはいるが、恋とは違う眼差しだ。温かく、見守る。そのくらいの温度だ。だから、恋人にはならない。妄想まで噂になるのかと呆れてくる。
もうそろそろここから逃げてやろう。
「あ、ねえ、エリエはどう思う? クラウス様とミヤコ様はお似合いよね?」
わたしに振るかと、こちらは噂話から逃げようとしていたのだが仕方ない。確かにおふたりは並ぶと様になっている。でも、それはあくまでも騎士と姫の関係であり、それ以上ではない。
「そうね、お似合いだわ。でも、ミヤコ様の想いはサディアス様だけに向いている。それなのに、クラウス様との仲を噂されているとミヤコ様がお聞きになったら、どうお思いになるかしら?」
ご自分の行動のいたらなさにミヤコ様は悩まれるかもしれない。クラウス様を遠ざけるかも。そうなったら、色々面倒なことになりそうだ。
「……そうね。ミヤコ様はサディアス様を愛してらっしゃるわ。この話はやめましょう」
どうにか噂話は終わったらしい。また新たな騎士が噂話の餌食になったところで、わたしは部屋を後にした。
◆◆◆
神殿のなかで暮らしてきたわたしにとって、侍女の生活は厳しいものだった。侍女頭のマリア様の手腕で何とか侍女の仕事も慣れてきたが、まだ胸を張って「一人前」とは言えない。せめて、刺繍が人並みにできることは役に立った。お母様に感謝だ。
1日の仕事を終えて、神殿横の庭へと足を進める。ここには街に繋がった抜け穴があったのだが、それはよろしくないということで封鎖された。今は赤い花を鑑賞しながら長椅子で休憩がとれるようになっている。
長椅子に深く腰を落ち着かせて空を仰ぐ。わたしはここが好きだった。ひとりで何も考えず、縛られず。考え事をしていても叱られないから。冷静沈着とよく言われるが、ただ感情が押し寄せるのが人より遅いのだ。夜になってホッとすると感情があふれることがある。例えば、こういうときにも。
そのはずだったのに、足音がためらいなく近づいてくる。それが誰のものなのか、確かめなくてもわたしにはわかっていた。
「エリエ殿」
「クラウス様、お疲れ様です」
腰を上げようとしたが、クラウス様の手がそのままでいいと止める。「隣、いいかな?」と律儀に聞いてくる紳士に「はい、どうぞ」とすすめた。
「さて、エリエ殿、今日もいいだろうか?」
なぜかよくわからないのだが、クラウス様はわたしに相談というか愚痴をぶつけてくる。昼間は笑みを貼りつけて礼儀正しい騎士を演じているクラウス様だが、それがとても疲れるらしい。わたしは力なく「ええ、まあ」と了承した。とりあえず、話を聞いて相づちを打てば、相手は満足なのだ。
「ミヤコ様の護衛がしたくて騎士団に入ったのに、団長の事務仕事の尻拭いや、最近は新しく加入した団員たちに時間をとられてしまう」
クラウス様が「罪人のお子」という不名誉も返上されたし、森の外からの入団希望者も増えた。その処理も副団長の仕事なのだろう。
「ミヤコ様と遠乗りのお約束をしたというのに」
悩ましげに頭を抱えるクラウス様。これもお決まりだ。ミヤコ様をとても可愛がっていらして、その話をよく、したがる。
うずくまる背中は、まるで小さな妹を可愛がる兄のように見える。やっぱり、恋ではない。わたしはそんな無防備で好ましい背中に手を置く。クラウス様の肩がぴくっと震えたように見えたが、一瞬だったので気のせいかもしれない。
「まあまあ、ミヤコ様もお忙しいですし、サディアス様もついておいでですから」
「そうなのだ。サディアスが、いる」
背筋を伸ばしたクラウス様だったが、わたしは手を置いたままにした。上下にさすると、何だか病人を介抱しているかのようだ。
「俺はもう必要ないかもしれない」
「それ、本気ですか?」
「ああ、他の者に護衛を任せて、副団長の仕事に専念するかな」
さも真面目なことを言っている感じが、わたしにはおかしい。声を上げて笑うと、隣にいたクラウス様が顔をしかめたのがわかった。
「思ってもみないくせに。あなたはミヤコ様を守るためだったら、副団長という肩書きもかなぐり捨てる。その覚悟があったから、国王を裏切ることもできたのでしょう」
ここまで言い切って気づいたときには遅かった。クラウス様相手に過ぎたことを。しかも、なれなれしい物言いになってしまった。どうしたものかと思ったが、一向に反応は返ってこない。
「クラウス様?」
「あ、ああ」
「過ぎたことを言って申し訳ありません」
「いや、いい。きみの言う通りだ。俺はミヤコ様を守れるならそれでいい。迷うことではなかったな」
白銀の髪の毛が軽やかに風に揺れる。切れ長の目が優しく細められ、唇が美しくほほえんだ。見惚れてしまうほど綺麗に笑う男性もここにいるらしい。
「エリエ殿、ありがとう」
クラウス様はわたしの手をとり、甲に唇を落とす。わたしは首を横に振った。
「いいえ、感謝されるようなことは何も」
「いや、俺にとっては大きなことだった」
クラウス様はまた深くほほえむ。ここまで言っていただくと否定するのも申し訳ない。感謝を受け取りつつ、わたしは自分から話題を探した。
そして、国内の情勢の話を振れば、クラウス様は応えてくれる。これが楽しい。わたしも質問したりクラウス様から考えを聞いたりしているうちに、ずいぶんと夜は更けていった。
「夜も遅いな。送ろう」
優雅に長椅子から立たれてしまったら、わたしだけ座っているわけにもいかない。申し出を断る気にもなれず、大人しく立ち上がって隣に並ぶ。隣に並ぶと明らかに身長差がある。大人気の美形騎士とただの侍女では画にならなそうだ。でも、こうして並んで歩くのも何だかいいなと思ったりして。
お城のなかに入り、分かれ道に差し掛かる。彼は詰め所へと向かう通路、わたしは自分の部屋へ繋がる通路。
別れる間際、「それでは、また明日、あの場所で」と声をかけてもらった。その当たり前のような約束が、どれだけ嬉しかったか。わたしがその嬉しさを思い返し噛み締めたのは、夜着に着替え、寝る直前のことだった。
おわり