恐喝霊
「オヤジ狩り」
十数年前くらいに一部で流行った恐喝、または強盗行為。中年男性を襲い、挙句金銭を奪い取るいわゆる不良と呼ばれる少年たちの悪行。
この言葉が世に出始めた頃、僕はその少年側の立場であった。とは言ってもそんな不良たちとの縁は持たず、この言葉もテレビドラマの青春物語と同様に実在するのかも疑わしい言葉だった。
「おっさん金くれや」
だから目の前に有る光景に何とも言えないうれしさも感じてしまっている。多分口裂け女だとか都市伝説に出会ったような、怖いけど大発見をした。そんな気持ちなのだろう。
「おい、聞いてるのかおっさん」
しかし、僕も少年と呼べる時期は数年前に去っている。
「どこ見てるんだよお前しかいないだろ、おっさん」
僕は今狩られるオヤジの立場にいる。
オヤジの立場と言っても僕はつい最近二十代の後半を迎えたばかりで、勤め先でだって年下は数えられる人数。世間的にも若者の部類に入るし「おっさん」という呼び名なんて自分のものだと思えるわけがない。だからだろうけどオヤジ狩りの被害者にならんとしていることに恐怖は当然抱いても、それ以上に複雑な気持ちだ。
だけど金色に髪を染めた少年から見ればくたびれたスーツ姿の僕も十分におっさんなのかもしれない。
さて、今この現場はコンビニに隣接したレンタルショップの駐車場。時刻も二十四時を振り切っており、コンビニと街灯がわずかに照らす他はトラックが時折通り過ぎるだけの絶好の狩場。僕はこの日、返却期限の迫るCDを返却に来ており、そのついでに晩飯にとインスタント麺と栄養ドリンクを購入し、通勤用の軽自動車に向かっているところであった。
「おい、シカトしてんじゃねーよ」
チャラチャラと鎖がまかれた手首が僕の襟元につかみかかる。僕は怖くてよける。運動神経は良くないのだけど掴まれる直前には避けることができた。
彼は思わぬ抵抗に呆気にとられたのだろう。いかつい格好に似合わない寝ぼけた子供のような表情を浮かべている。だけどこの少年よく考えると少し変だ。最初見た時はいかにも不良と思ったけどズボンは腰より高く履いているし金髪リーゼントに色眼鏡なんて今時流行らない。昔から続く暴走族なんてこんな地方にいるとは聞いたことないし、バイクも見当たらない。何よりこんな時間に一人で歩く不良なんて職務質問してくださいと言っているようなものだ。
「ふざけやがって」
余計なことを考えていたら逃げるチャンスを逃してしまった。彼は手首の鎖を力任せに地面にたたきつけ、僕を睨み付けてきた。
「おい、なめた真似してんじゃねえぞおっさん」
近くで見るとますますおかしい。背格好は高校生くらいのものだけど、顔つきは少年のものとするにはおかしい。何よりも色眼鏡の中の目は中間管理職の上司のそれに似ていた。
生気がない。
道路に目をやる。交差点付近に一輪の花が供えてあった。
「逃げる気か、コラ」
僕は一呼吸を置く。
「おい、だからシカトすんじゃねえぞおっさん」
「ごめん、落ち着いて聞いて。多分君のほうが年上なんじゃないかな」
少年と思わしきものは先ほどと同じ呆けた表情を浮かべる。
「てめえ何言ってんだ。どう見たってお前より年上なわけねえだろ」
彼は威嚇してくる。
「そう思いたいのも無理ないと思う。だけど君からは全く若さが感じられない。あとでちゃんと説明するからとりあえずおっさんはやめて」
「喧嘩売ってんのかおっさん」
「老け顔って言いたいわけじゃないんだ。ただ君の格好は僕が小さい頃はやった暴走族のファッションだし、何より特攻服ってやつ着ている暴走族なのに仲間もバイクもないじゃないか」
「お前さっきから何わけわからないこと言ってんだ。これはな……」
「落ち着いて聞いてね。つまり君はすでに死んでいる幽霊なんだ」
「いい加減にしろよてめえ」
少年霊は殴りかかってくる。
「そんなことしても成仏できないよ。花だって供えてくれている人がいるのに」
僕は身をかがめながら交差点に指さす。少年霊は花に気づいたようで手を止める。少年霊の目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。
「この格好はな」
事実を受け入れたのか少年霊は地面にしゃがみ込み落ち着いた口調で語り始めた。
「死んだオヤジの形見でよ。昔この辺りで有名な族があって親父はそこで特攻隊長やってたんだ。と言っても俺が生まれたころにはさすがに引退してたけど。で、俺が小坊のころによオヤジのダチの息子が総長になったんだよ。オヤジえらく喜んでたな。でもマッポの野郎どもその瞬間を狙ったのか突然集会時に押し寄せてきて必死の逃走劇よ。集会に来てたオヤジは奴らの囮になってよ。わざと激しくあおってたらトラックにぶつかりおじゃんよ」
少年霊は遠い目をしている。
「でもってオヤジの事故で取り締まりどころでなくなったおかげで守られたはずなんだけどよ。あの腰抜けども怖くなって解散しやがったんだよ」
「……それで」
「ああ、俺の手でオヤジの守ったもん引き継いでやろうと思ってな」
なぜ少年霊はそれを僕に向けて力説しているのかは知らないけど、迷惑な話だ。
「まるで感動できる話じゃないな」
「あ?」
「親父さんも結局は自業自得だよ」
「てめえ馬鹿にしているのか」
「いい加減受け入れなよ」
僕は少年霊に栄養ドリンクを投げ渡す。少年霊は慌てて掴もうとしたけど瓶は無残にも地面で四散する。
「…………掴めたはずなのに……」
「実際の親父さんはどうか知らないけどそれは君の話だろ」
「……違う、違うんだ」
「まあ受け入れたくない気持ちはわからないでもないけど、じゃあ実際それが親父さんの話だとしてもそれで親父さんや君は成仏できるのかな」
「…………違う、そういう事じゃなくて」
「何が違うっていうの。その行為は褒められたものじゃないけど守りたかったのはチームじゃなくて仲間だよね。命を捨ててまで仲間を守ったのに君は再び捕まったり死んでしまったりする仲間を増やすチームを作るのかい」
「……どうすればいいんだ」
「君はチームって奴に捕らわれすぎじゃない。せっかく若いんだからもっと色々目を向けるべきじゃないかな。暴走族とかじゃない新しい人生の事とか」
少年霊は涙を流している。こんな僕でも何かの役に立てることがあるのか。
「偉そうに説教しちゃったけど僕だってね、会社って奴に捕らわれちゃっててね」
「もうわかったから……」
真実を突き付けられた少年は話を遮ろうとする。だが、僕は止まらない。
「給料もらっているんだからって残業を会社にサービスしすぎたりしてね。朝早く出勤しているのにこうやって夜遅くに帰るもんだから栄養も偏っちゃってさ」
「……やめてくれ」
「栄養ドリンクでどうにかしようとしたら落として割っちゃって」
「やめろ!」
少年は先ほどより強い言葉を放ち、夜を照らしているガラスを集め始める。なぜか僕は止まらない。
「それで運が悪いなあと思いながら車で帰ろうとしたらトラックに思いっきりぶつかっちゃって…………死んだんだ」
いつの間にかそこには朝日がうっすらと差し込み始めていた。若いサラリーマンの霊は光をそのまま通過させていた。
「親父さんの話っていうのは本当だったんだね」
「……だから言っただろ」
「でも親父さんのための第一歩が恐喝って君馬鹿だよね」
「……ああ、もうやってねえ」
「まあ君は僕みたいに後悔してここに縛られないように生きるんだよ」
「……無理だな」
「はは、じゃあまた説教してあげるよ」
「ああ、忘れんなよ」
古びた特攻服の男は真剣な顔つきで返事をする。
「やっぱり君年上だよね」
若いサラリーマン霊はそう笑って景色を完全に遮らなくなった。
「今はな」
残された男は黒いガラス握りしめたまま色眼鏡を外し、背にあるコンビニへと足を向かわせる。
「あ、いらっしゃい」
男は先ほど受け取れなかった栄養ドリンクを店員に渡す。
「今回もダメだったみたいですね」
「ええ、また説教するだけしていなくなってしまいました」
「もう諦めたらどうですか、ヤンキー霊媒師さん」
「いえ、やはりこれは彼から受け取りたいんでね」
男はそう小じわを浮かばせて店を出る。そして交差点の花の横に栄養ドリンクを供え、車に乗り込む。
僕の車だ。