第五章(3)
「これで、よし、と」
再び森の入り口へ来たインヴェルノとアラノがまず初めにしたことは、森の周りに張り巡らせた結界の解除だ。精霊達を眠らせ、かつ森に棲んでいた動物たちを服従させる圧倒的な力を持つ結界。解くのが厄介だなとアラノが言うと、インヴェルノはにやりと笑って大丈夫だ、と言った。どうするんだとアラノが聞く前にインヴェルノは、呪文を詠唱し、魔法を結界へぶつけた。そう、ぶつけたのだ。
「何がこれでよしだ!」
「え?」
「無理矢理結界壊してどうする! 慎重にするんじゃなかったのか!」
「や、でもこれのほうが簡単だろ?」
「・・・お前は! もう、いい。」
怒鳴ることに疲れたアラノは、はあと溜息をついた。
「なんかアラノって溜息ばっかりついてる気がする。幸せ逃げるよ?」
「誰のせいだと思って・・・」
結界が破れた事で、精霊達が目覚め小さな森は一気に騒がしくなった。精霊達は、目覚めたことで己の小さな住処を満たす、ねっとりと重い魔力に恐れをなし我先にと森から逃げだしている。
せっぱ詰まった精霊達と違って、場違いなほどゆったりとした足音が森の奥から聞こえてくるのを、アラノは耳ざとく聞き分けた。
「アラノ? どうした?」
「静かにしろ」
急に黙ったアラノを不審に思ったインヴェルノが聞くのをすぐに黙らせると、アラノは一歩前に出た。インヴェルノも、アラノの様子を察して、森を注視する。
あるものは泣きながら、あるものは吐きそうな顔をしながら森から逃げていく精霊達。闇夜の中、薄く光ながら逃げていく精霊達は、まるで蛍火のように綺麗だが、異質なものも、森から外へ出ようとしていた。ゆったりとした足音は変わらず、その奥から、獣のような早い足音も聞こえてくる。
やがて、精霊達が全員逃げ切ると同時に、森から闇が飛び出してきた。
「アラノ!」
アラノはすぐに手を闇に向かって振り払った。アラノの手で一瞬で作られた水の刃は、鋭利な刃先で深々と闇を貫いた。
ぼたぼたと何かが滴る音が闇夜に響く。やがて力無く横たわったものは、尾が蜥蜴、体が狼の合成獣だった。
驚く暇もなく、森から次々と合成獣が飛び出してくる。
一匹ずつ倒しても、またもう一匹襲いかかってくるのを倒しながら、二人はずっと森を注視していた。半分ほどを倒したときに、漸くゆったりと歩いていた足音の主が、森から出てきた。
ぼさぼさの髪、青白い頬はやせこけ、右手は原型を留めないほどに潰れ、真っ赤な血が地を濡らしている。炯々と光る目は青く、肉の落ちた体は頼りなく左右に揺れている。
インヴェルノは一瞬顔を歪めたが、すぐに魔術を使い、周りの合成獣を全て倒した。
「あなたが、カインさんですね?」
「・・・」
インヴェルノが問いかけても、カインは何も答えない。
闇夜では、目しか見えず、表情の機微はわからない。それでもインヴェルノは話しかけた。
「先程は名も名乗らずにすみません。俺の名前はインヴェルノと言います。あなたはカインさんであってますよね」
「・・・」
「・・・もう、俺の声は、届きませんか?」
「・・・」
インヴェルノはくしゃりと顔を歪めると、強く手を握りしめた。
カインはぼんやりと視線を宙に合わせたまま、インヴェルノの方を見向きもしない。
「・・・首謀者は余程の悪趣味な奴だな」
アラノはインヴェルノの頭を撫でると、どこかぼんやりと二人をみるカインを見た。
「・・・傀儡の術を扱えるものがいるとはな」
傀儡の術、という言葉にインヴェルノは泣きそうな顔をすると、再びカインを見た。
カインは焦点の合わない目で、周りを見渡すと、再び視線をインヴェルノとアラノへ合わせた。
インヴェルノは唇を噛むと、ゆっくりと、力強く術を唱え始めた。
「闇にからめられし・・・」
「インヴェルノ!!」
ゆらりと、カインが左手を翳すと、あの禍々しい魔力が凝り固まりインヴェルノに向かって雷を放電した。アラノは咄嗟にインヴェルノの襟を掴むと思いっきり後ろに引っ張ると、インヴェルノが先程までいた地面には、ぽっかりと大きな穴が出来て、焼けこげた側面からは煙が出ていた。
「う、わあ・・・あ、ぶなかった」
「ぼうっとするな!」
驚いて固まっているインヴェルノに注意すると、カインがもう一度放ってきた雷魔法を炎で相殺する。周囲の森は焼けこげ、散乱していた合成獣の死骸にも燃え移り、辺りに焦げる匂いが充満した。
「ごめん」
インヴェルノは短く返すと、再びカインに向き直った。
「カインさん。・・・必ず助けます」
どんな形であれ、と小さく呟くと、翡翠の目を細めた。