第五章(2)
毎日が、楽しくて。
泣きたくなるほど、愛しくて。
君との日々が、永遠に続くと、そう信じていた。
「あら、守ってあげたのにその態度は何?」
艶やかな黒い髪は背の半ばまであり、髪とそろいの色の黒目は、少し大きめである。年は二十歳ほどで、背はカインより小さいこの女。紅を掃いた唇はこの薄暗い室内の中でもはっきりと視認できる。
「ねえ、カイン。リズヴェルを助けたいんでしょう。なら、そんな態度はいけないんじゃないかしら。ほら、私って気紛れだから・・・飽きちゃうかもしれないわ」
いやらしく近寄ってくる女、黒薔薇の魔女に剣を向けて、カインは力を振り絞る。
「うる・・・さい! お前、俺に何をさせた?!」
もう力が出ない。油断するとすぐに眠りそうになる意識を、歯を食いしばることで耐えた状態では、この女に剣を当てることも出来ない。
諦めそうになる意思を、リズヴェルを思うことで奮い立たせた。
まだ、いける。
カインは震える足腰を必死奮い立たせて立ち上がった。
「リズに、かけ・・・た、妙な、術を、とけ!」
「うふふ。なあに? 手、震えてるわよ。立つどころか、座ってるだけでも辛いくせに。そんなへっぴり腰で私を殺せると思うの」
「貴様・・・!」
急に腰の力が抜け、剣を地に突き立てたように思ったが間に合わず、虚しく床に倒れ伏すと、鈍い痛みが手から脳へ走った。
何が起こったのか判らず、首を巡らし、自身の左手を見る。
「あ・・・」
左手には、深々と己の剣が突き刺さっていた。それを視認すると、激しい痛みが身体中を支配してカインは歯を食いしばった。
「・・・あらあら。意地でも私に抵抗するつもりかしら。・・・まあいいわ。これはね、私に剣を向けた罰よ。あなたは私の僕、人形なんだから。人形が反抗しちゃ駄目でしょう? 私の言うことを素直に聞けばいいの」
女は甲高い声で嗤うと、カインの左手に突き刺した剣を抜き取った。
痛みは全身に広がり、何も考えられなくなる。荒い息を吐いてカインは魔女を睨み付けた。
「くっそったれ」
掠れた声だったが魔女の耳には届いたようだ。魔女は剣をカインの手に突き刺したまま右に左に動かした。
決して悲鳴や苦しむ無様は見せまい、そう思っていてもあまりの痛みに、知らず悲鳴があがっていた。
「あんたねえ、誰に向かっていってんの。この私に向かって・・・汚い言葉を言わないでちょうだい。気分が悪くなるわ」
悪いのはこっちだと言いたくてももはや声は出ない。
何かこの魔女から逃げる策はないのかと案を巡らす前に、絶え間なく痛みが襲ってくる。
霞んだ目で確認するまでもなく、何度も手を剣で刺していることが、感触で判る。
「大体、何で学院の魔術師を呼ぶのよ。しかも最近よく聞く翡翠の魔術師だって言うじゃない。なんでかしら、誰が呼んだのかしら」
カインの手を粗方刺し、最早原型を留めていない手をみて、魔女は満足したようだ。剣に何か呪文のようなものを唱えて砂に変えてしまった。長年供に戦った愛剣の呆気ない最期にカインは泣きたくなった。
リズヴェルのを助けたい。
なのに、このままでは助けるどころか、自分は殺されるだろう。
どうすればいい?
終わりしか考えられない自分を情けないと思うが、どうしても諦めたくなかった。
全身は力が入らず右手は二度と動くことはないだろう。
それでも、どうしても彼女の未来を返して欲しい。彼女と供に在りたい。
いずれ、こんなこともあったねと。この悪夢のような出来事を昔の思い出話として話すことが出来たら。
解決策も見いだせないまま、魔女がいつも自分に言う呪文が始まった。
カインには魔術がよく分からないから、どのような効き目があるのか判らない。しかしこの呪文を聞いてると、抗えない強い眠気に襲われるのは判っている。
これだといつもと同じだ。
何をやらされるか判らない。
薄れゆく意識の中、カインはリズヴェルの名を呼んだ。