序章
奇跡は起きるのではない。起こすものである。
「ねえ、カイン」
栗色の髪を、彼女は珍しくおろしていた。何処までも続く赤い夕陽を見て、彼女は僕をいつものように呼んだ。
「何?」
いつも、僕は彼女にだけ、素っ気なくなってしまう。優しくしようとするけれど、何故か素っ気ない態度になってしまう。それでも、彼女は微笑んでくれる。
ゆるくウェーブがかかった髪は、夕陽に照らされて少し赤みがかった茶色になった。
僕には、それが赤い、赤い血に見えて仕方がなかった。「ねえ」と彼女が呼びかける。僕は、彼女の赤い髪から目をそらせず、じっと見つめていた。
「小さい頃からのね、」
「うん」
彼女の顔は、赤く染まっていた。血色が良く見えるはずなのに、彼女の頬は青白かった。
「夢だったの」
「夢…?」
窓から差し込む夕陽は、赤い。窓も、部屋も、彼女の寝るベッドも、僕も、全てが、赤い。
「小さい頃からの、夢だったのよ…」
何が、と聞こうとしたときに彼女の頬に雫が伝った。赤い髪にひどく青白い頬。そこに伝う、雫は、夕陽のせいだろうか。ひどく、紅かった。
僕はただ、見つめていた。
ぼんやりとした頭でとらえた彼女の頬を伝う赤色。ぽつりとシーツに落ちる赤い雫は、今まで見たこともないくらい、とても、綺麗だった。
◇◇◇
ふっと意識が鮮明になる。
何が、と声に出すと意外と耳に響いた。
「イン……」
「えっ?」
ふと横を見ると、紅い目と合った。
そういえば、今は講義を聴いてる途中だった、と思いだす。慌てて前を見ると、講義をしている人物と目があった。銀縁眼鏡の奥にある、鳶色の目が孤の字になる。
「あ、あれで微笑んでるつもりなのか」
小声で、隣のアラノに言う。微笑んだ、というよりも顔が歪んだ、という方がしっくりくる顔を指して一応確認してみる。
「本人は綺麗に微笑んでると思ってるだろう。ロイの講義中に寝るインが悪い」
対するアラノも小声だ。前の生徒が眉をひそめて後ろを振り返ったのに、黙礼してからインは、文句をたれた。
「起こしてくれたっていいじゃないか、アラノ」
椅子に座っても、自分より頭二つ分高い隣を見ると彼は紅い目を瞬きして、ゆっくりと答えた。
「起こした。何度も。うなされてたし」
「えっ、そうなのか」
こくり、と頷いて「だが、インは全く起きてくれなかった」と眉を寄せた。
「あーそうですか、すみませんでした」
額を寄せ合って小声で話していても、周囲には聞こえる。今度は後ろの席から、咳払いが聞こえたのに流石に気まずくなり、双方ともに講義に集中することにした。
先程の夢は何だったのだろうか。
一ヶ月ほど前から続くこの夢は、ひどく胸をざわつかせる。
何かよくないことがおこる予感がし、酷い焦燥感が胸を駆る。
夢の意味する事を考えている内に、インはまた、瞼が重くなってきたのに気づいた。口の中を噛んでも、歯を食いしばっても、とろとろと眠りに誘われる。
薄れゆく意識の中で、インは夢の中の自分、カインのことを考えた。
一部変更しました。