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猫の女王様  作者: 瑞雨
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Ⅹ 仕えし者、仕えられし者


さぁ、皆様方お集まり下さいませ。物語の誕生と終焉についてお話致しましょう。



私は皆様にこれまで死なき者來様と死有りき者のお話をして参りましたね。では本日は來様が初めてお仕えした時のことをお話致しましょう。




來様はこの世に産まれし時、お独りに御座いました。気が狂いそうなほど長い年月をただお独りでお過ごしになられたので御座います。しかし來様は寂しいとはお思いになりませんでした。なぜならそれが來様にとって当たり前のことであったからに御座います。


そんな來様を人々はフェリスと呼びました。


誰が言い出したのか、それは分かりません。皆がフェリスと呼びましたが、來様はそれが己の名だとは思いませんでした。それは己の真の名だとはお思いにはならなかったのです。しかしそれを否めることもなかったので御座います。


そんな來様が初めて出逢った方はこれまでお話してきた方々とはまるで違っていました。王女でも姫でもなくただの少女に御座いました。本当にただの少女、に御座います。特別美しいお顔も、特別妖艶なお身体もお持ちではなかったのです。おっとりとした、少しふくよかなお体の、どこにでもいるような、そんなお方で御座いました。しかし誰よりも気高く、好奇心に満ち溢れた輝く銅色の瞳をお持ちに御座いました。そんな彼女を來様は誰よりも魅力的であるとお考えになられました。


「あなた、フェリスさんね。あたしあなたのことを聞いたことがあるわ」

少女は輝く瞳で少年を見た。


「僕は、僕はフェリスかもしれない。だけどそうでないかもしれない」

少年は表情のない顔で彼女の瞳を見た。


彼女の瞳は真昼の太陽のように明るく、また夜空に輝く星のようにキラキラと輝いていた。少年はこのように美しいものを見たことがないと思った。その瞬間、少年は目の前の少女に心を奪われた。


「フェリスはあなたの名でしょう?」

「フェリスは僕の名じゃない。僕に名はない」


少女は首を傾げた。その間も少年は彼女の瞳から目を離さなかった。


「名前、ないの。なら、あたしが付けてあげる」


少女は素晴らしい思いつきだと言わんばかりに目を輝かせ、手を打った。


「きみが……?」


少年は相変わらず変化のない表情で少女を見つめる。


「そうねぇ……、らい…、そう來っていうのはどうかしら!?」


少女は少年の瞳を覗き込み、返答を待った。


「らい……、らい」


「そう、來!!」


少年は何度かその名を口にした。そしてしばらくしてゆっくりと口端を上げた。それは少年がこの世に生を受けてから初めての笑顔であった。



そして少年は來としてこの少女と時を過ごしたので御座います。少年は少女と過ごす間いくつもの『初めて』を経験なさいました。


初めての笑顔、


初めての怒り、


初めての喧嘩、


初めての仲直り、


初めての喜び。


その一つ一つ全てが來様を幸せにとさせました。なにもかもが順調で何も問題がないかのように思われました。


しかしある日來様はそれがつかの間の幸せだったと悟ったので御座います。


そう、


少女には死が待ち受けていたので御座います。少女の命は永遠ではなかったのです。この時來様は初めての悲しみを経験なさったので御座います。





ベッドに寝込む少女のそばに青年が静かに座っていた。


「來、來はちっとも歳をとらないのね」


かつての少女は弱々しく微笑んだ。


「気持ち悪いかい?」

「いいえ、ちっとも」


少女は力強く答えた。


「君は知っているだろう?僕は死を持たない。だけど、君が望むなら、僕は、君と同じ様に年老いた姿になれるよ…。

  

君が望むなら、今すぐにでも、」


年老いた少女の瞳は初めて出逢った頃のようにキラキラと輝いていた。


「いいえ、いいえ來。あなたはそのままでいて。私あなたのその姿が一番好きだわ。私が一番輝いていた二十四の時の姿。二十四歳のあなたが一番素敵よ。もちろん他の姿も私は好きだけれど」


かつての少女は悪戯っぽく笑った。


「ねぇ、來。悲しまないで」


彼女は青年の下がった眉尻を見てふふふ、と笑った。


「來が悲しいと私も悲しいわ」

「でも、でも君は、」


彼女は静かに天井を見上げた。彼女の目は相変わらず夜空の星のように輝き、太陽のように明るい。


「來、あたしちっとも怖くないの。死ぬことが怖いと思わないのよ」


青年はその瞳から涙を流した。


青年が初めて経験した涙だった。


「なぜ、なぜ僕は死なないのだろう。なぜ僕は君と共に逝けないのだろう」


青年は流れる涙を抑えることができなかった。少女は己も涙を流しながら静かに微笑んだ。そして横たわる己の体をゆっくりとお越し、青年の頬へと細くなった手を伸ばした。


「來、ほんの少しのお別れよ。ほんの少しだけ。そしたらまた逢えるわ。來と別れるのは悲しいけれど、私たちはまた何度でも出逢えるわ。ねぇ、そうでしょう?」


青年は彼女の、悲しみに揺れながらも力強く輝く瞳を見つめた。彼の瞳から流れる涙は終わりを知らない。


「君がいなくなったら僕は來でなくなってしまう。また名なき者にと戻ってしまう」


彼女は青年の頭を抱え込み、そのやせ細った体で抱き締めた。


「私が何度でもあなたに來、と付けてあげる。私が生まれ変わってあなたと出逢った時、私はあなたを來、と呼んであげる」


青年は力の入らない腕をそっと彼女の背中に回し、彼女のやせ細った体躯に更に悲しみを深くした。そして、彼女の体を力強く抱き締めた。


「らい、來。私の大切な來」

「僕を、ぼ、くを置いて、いか、ないで…っ」

「來、來ちゃん。あたしの大好きな來。ほんの少しの辛抱よ。涙を止めて、笑って…?あたし來の笑顔が一番好きよ」


青年は涙を流しながら必死で口をあげた。眉尻は下がり、情けない目をし、うまく笑えていなかった。けれど彼女はそんな彼を見て幸せそうに微笑んだ。



「有難う。ありがと、來。愛していたわ」



そして、彼女は一人、静かに心の臓の音を止めた。



青年は泣いた。

どのように涙を止めるのか分からなかった。

初めての涙を止める方法を教えてくれる彼女はもういない。


そして涙が止まった時、彼は初めてのお願いをした。


初めての望みを星に願った。



次に彼女がこの世に生を受けし時、どうか彼女に美しき容姿を、どうか彼女に色香溢れる躰を、どうか彼女に溢れんばかりの知能と才能をお与え下さい。

それが彼女を幸せにするならば、この世の美しいものの全てを彼女にお与え下さい。



世は彼の望みを叶えた。


彼女は生まれ変わる時、誰よりも美しく生まれた。


彼は喜んだ。星に感謝した。


しかし彼女は彼を覚えてはいなかった。


天は彼女に美しさと引き換えに彼の記憶を奪った。


彼はまた悲しみに打ちひしがれた。己の愚かな行為を恨んだ。浅はかな願いを怨んだ。


だが、彼女と再会した時、彼女は彼を覚えてはいなかったが、彼女は確かに彼を『來』と呼んだのだ。彼女は彼を覚えてはいなかったが、彼との約束は覚えていた。彼にはそれだけで十分だった。彼女が決して己を覚えていなくても彼女は己をまた來と呼んでくれたのだ。何度生まれ変わっても彼女は彼を來と呼んだ。



『そなたは今日から來だ』

『あなたに來という名を与えましょう』

『お前は來じゃ』

『らい、來にしよう!』



こうして來様は來として彼女に仕え続けたので御座います。彼女たちが最期の時を迎えるときまで見守り続けたので御座います。彼女たちは己が死を迎えるとき、己が初めて來様に名を与えた者だということを思い出したのでした。そして、初めて彼と出逢った時の少女にと戻り、彼に御礼を申し上げるのです。



『來、また私を見つけてくれたのね。また私のそばにいてくれたのね。有難う』



來様はその御言葉をお聞きし、また新たに生まれ変わる彼女のそばにいることを誓うのでした。そして、あの日、かつて初めて望んだ愚かな願いは二度としない、そう誓いながら彼女の死を静かにお見守りになられてゆくので御座います。來様は彼女を奪う死を怖いとは思いませんでした。なぜなら彼女は何度もまた生まれ変わり、彼を來と呼んでくれるからです。彼女との別れは何度経験しても悲しいもので御座いましたが、彼は彼女がまた己の前に姿を現して下さることを信じていたのに御座います。


そう、そしてそれは今も。




さて、これにて物語の誕生と終焉のお話を終わらせて頂きます。どうか來様を可哀想なお方とお思いにならないで下さいませ。確かに彼女は來様を覚えてはいらっしゃいませんが來様は確かに己がお幸せだとお思いになられているので御座いますから。


さぁ、このお話はこれまでに致しましょう。ご静聴のほど誠に有り難く存じ上げます。



誕生と終焉は儚くも美しい。

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