プロローグ
ある日、世界は変わった。
いい方向へ、かつ、悪い方向へ。
ふと、耳障りな音に目を向ける。それはコンビニの入り口、やつれた服装に無精ひげを生やした男が地面に倒れている。そして、上から押さえ込むコンビニ店員。
面倒なことになった。俺は、電柱の陰に隠れてじっと様子をうかがう、なんてことはしなかった。素通りだ。
むしろ、通りすがっただけで人垣に参加しなければならない。彼らには心底呆れる。
何もしないんだったらさっさと立ち去ればいいのに、とかね。
「あっ、あの店員さん…、あまり、強く押さえすぎないほうが…。」
「あっ、ああ…わかってる…。」
わかってる?いや、何もわかっちゃいないね。現行犯の万引きをした罪人に対して、取り押さえた側が罪になるなんて理屈、アリにだってありはしない。
なぁ、天然のステンドグラス、もとい虫の羽を運ぶ旅人よ。靴先でちょいと小突くと、アスファルトに落とした荷物を拾い、千鳥足で逃げてゆく。ああ、ヨットのようだ。難航中かな?
気づくと、万引き男の独白タイムが始まっている。俺はどうやら、不本意にも現場にとどまってしまったらしい。
男の母親が、知らない誰かのために貢ぎ続けた結果、家が破産してしまったらしい。
どこかで聞いたような話だな。
さて、知らない誰かの話を聞いていた結果、学校に遅刻してしまいそうな件。
どうしたものか。これは完全に俺が悪いが。
迅速に、あっさりと、背を向けて現場を立ち去る。
どうせ結果はわかりきっているのだ。警察が到着し、確保される。
後ろの方から悲鳴が聞こえる。…まだ慣れていない人がいたのか。男の身体は見るに堪えないものになっているに違いない。
世界が変革を遂げてからだ。人間が罪を犯したとき、神の定めた自然法則のように罰が下されるようになったのは。それはいつからか「怪人の刑」と呼ばれ、一般に定着しつつある。
死刑などといった分かり易いものではない。簡単に表現すると、人のかたちを失う。
確か、黒ずんだ紫っぽい塊になっていた。遠めだったので見た目の詳細は語れない。語れたとしても、語りたくはない。
「怪人の刑」が人間に与えた恐怖と言ったら計り知れないものがある。
それでも罪を犯すものが絶えないのは、人間の愚かさ故だろうか。醜態を見通せなかった、神の失策かもしれない。
今ごろ着いた警察は、黒紫色の物体を片付ける作業に勤しんでいるだろう。掃除屋に改名すべきだと思う。
余計なことを思い浮かべながら、少し息を切らして学校の敷地内に駆け込む。
以前までは時間ギリギリを狙っている同胞たちもいた。疑問は受け付けない。
今、俺の感じる孤独の正体は何なのか。
教室の扉の前に立つ。数秒前にチャイムが鳴り終わってから、全てが鉄のように堅く閉ざされている。
ホームルームの中、入っていけば視線の集中砲火を受けることになる。素行の悪さを咎める視線は片手に収まるほどだろう。大半は、「怪人の刑」を目にしてしまうことへの恐怖が込められているに違いない。ならこちらを見るな、遅刻なんて恥ずかしい。
奇妙なことに、俺自身は恐怖なんて微塵も感じていないのだ。
俺だけは罪を犯しても「怪人の刑」を受けない。妄想ばかりのこの世界で、罪について考える意味などありはしない。




