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コントラポスト

作者: YB


 お父さんが死んだ。


 N県N市。私たちは、どこにでもあるような地方都市の、平凡な三人家族だった。

 お父さん──佐藤誠の死因は『急性心不全』

 病気の兆候も、持病も、とくに何もなかった。

 その日、お父さんは珍しく残業で帰りが遅くなった。

 N市の主要駅を出てすぐにある、夜はほとんど人が通らないシャッター商店街。

 会社の帰りに横切るだけの、いつも素通りしている場所。

 その商店街の真ん中あたりで、お父さんは倒れたという。

 胸を押さえ、片足を引き、身体をひねるような奇妙な───


 ───整ったS字の姿勢で死んでいた


 そう警察官に聞いて、私は「どういうことですか?」と問いかけた。

 玄関の上にある小さな防犯カメラが、かすかな駆動音をたてる。

 警察は「事故みたいなものです」と言った。「冬に突然死は珍しくない」と他人事のように私とお母さんに告げた。

 お母さんは玄関先で泣き崩れ、私は立ち尽くすことしかできなかった。

 パトカーの赤いランプがゆっくり回り、家の壁を断続的に染めていた。その光は妙に規則正しく、私は冷静になっていった。


 ───私はお父さんが突然死しただなんてどうしても思えなかった



   ×   ×   ×



 お父さんが死んだ翌日、お母さんは実家に帰ることになった。

 一晩中、声が枯れるほど泣き続けて、ほとんど眠っていなかった。

 私が祖母に電話で相談すると、すぐに車で迎えにきてくれた。

「真由ちゃんも一緒に来なさい」

 祖母はそう言って、私の肩をそっと抱いた。

 でも私は、首を横に振った。

「やることがあるから。それに、私が家にいたほうがなにかあったとき動けるし」

 祖母は不満そうに眉を寄せていたけれど、お母さんの体調が限界だったのを見て、最後はため息まじりにうなずいた。

「無理しないでね、真由ちゃん」

 玄関のドアが閉まると、家の中は一瞬で静かになった。

 音のしない家は、昨日までの生活がまるで夢だったみたいに薄っぺらく感じられた。

 平凡な日常が、こんなにも簡単に壊れるものなのだと、胸の奥でじわじわ痛みが広がる。

 私はバイト先に「しばらく休ませてください」とだけメッセージを送った。

 大学は冬季休暇に入っている。友達には、休みが明けてから伝えればいい。

 ゆっくりとコートに袖を通す。指先が冷たい。空気がやけに寒く感じた。

 鍵をポケットに入れながら、心の中でひとつだけ決める。

 お父さんが倒れた、あのシャッター商店街に行ってみよう。何かがあるとしたら、そこしか考えられない。

 私は深呼吸をひとつして、玄関のドアを開けた。



   ×   ×   ×



 冬の午前。アーケードのシャッターの列は灰色の壁みたいに続いている。私の足音がよく響く。

 素朴な佇まいの和菓子屋の前───ここが警察から聞いたお父さんが倒れた場所。

 立ち止まると、胸の奥に薄い膜のような不安が張りつく。

 ガラス戸をそっと引くと、鈴が「ちりん」と鳴いた。

 レジに立つ中年の女店主は、気だるげにひじをついて座っていた。

 私と目が合うと、「いらっしゃいませ」と予定調和の声がした。

「すみません。昨晩、ここで亡くなっていたの、私の父なんです」

 そう言った途端、店主の表情が固まった。

「えっ‥‥ああ」

 彼女はそっとエプロンの裾で手を拭いた。

「大変なことになったわね。通報したの、私なのよ」

「ご迷惑をおかけしました」

「いいのよ、いいのよ」

 女店主は店内を見回すように視線を揺らしながら、ため息をついた。

「最初は酔っぱらいが転がってるだけかと思ってね。まさか亡くなってるだなんて。あ、ごめんなさい」

「大丈夫です。あの、警察の人から、お父さんが体をひねった奇妙な姿勢で倒れていたって聞いたんです。でも想像ができなくて‥‥‥見たままを教えていただければと思って」

 店主は眉を寄せて、レジ横の古い計算機に触れたり、棚のほうを気にしたり、落ち着かない動きをした。

「まあ、たしかに普通じゃなかったわね」

 彼女は腕を組み、胸の前で軽くさすりながら続ける。

「さすがに様子がおかしいって思って、慌てて警察に電話したぐらいだし」

「その‥‥‥具体的に、どんな姿勢だったんですか」

 店主はふっと肩をすくめ、レジを出てためらいがちに私へ一歩近づいた。声を低くして口にする。

「ほら、最近は何があるかわからないでしょ。余計な詮索されてもいやだし。実は、二階の窓から写真を撮ったのよ。証拠というか、自衛というか。すぐに消すつもりだったんだけど」

 彼女はエプロンのポケットに手を入れ、指先でスマホを探り当てる。

「見る?」

 心臓が跳ねた。私は無意識にコートの袖を握りしめ、声にならないほど小さくうなずいた。

 店主はスマホの画面を開き、指を滑らせながら写真を探す。

 その指先が震えているのがすぐに分かった。

「遠くから撮ったものだから、そんなに生々しくはないわよ。でも、無理だったら言ってね」

「大丈夫です。見せてください」

 差し出された画面を、私は両手で包むように受け取った。


 夜の商店街。


 路面に横たわるお父さんの身体。


 胸を押さえたまま、

 腰から背中へ滑らかに弧を描き、

 整ったS字の形に固まっている。


 息が詰まる。


 自分の指が震えて、スマホの縁に力が入った。

「‥‥‥この写真、いただけませんか?」

 声はかすれ、喉の奥が熱かった。

 店主は驚いたように瞬きをし、胸の前で両手を重ねた。

「いいけど、本当に大丈夫? つらいんじゃない?」

「父の最後を知りたいんです」

 その言葉に、店主はゆっくりとうなずいた。

 スマホを返すと、彼女は画面を操作しながら口にする。

「じゃあ、送るわね」

 私たちはレジ台の上で連絡先を交換した。すぐ通知音が鳴り、写真が届く。

「ありがとうございました」

「なんだか、ごめんなさいね」

 店主はエプロンの紐を指でいじりながら、視線を落とした。

「もっと早く気づいてれば、助かったかもしれないのに」

「なんか、そういう感じじゃないと思います」

「え?」

「あ、すみません。気にしないでください」

 店主は小さく首を振り、気まずそうに笑った。

「生きてるあんたのほうが大事なんだからね。ほんと、最近こういうの多いのよ」

「こういうの?」

「突然死? ってやつ」

 店主は棚の横を通り、店の入口のほうを指した。

「商店街を抜けた先の公園でもね、この前ひとり亡くなったって」

「それって?」

「さすがに詳しくは知らないわよ。朝まで誰にも見つからずに固まってたらしいけど」

 私の背筋にざらりとしたものが走った。

「そうなんですか」

「うん。事件性はないらしいけど、物騒な世の中だしね‥‥‥こんな寂れた商店街でも防犯カメラが増えてるし」

 彼女は片手で首の後ろをさすりながら、ため息をついた。

「今日は寒いし、気をつけて帰るのよ」

「いろいろ、ありがとうございました」

 深く頭を下げ、私は店をあとにした。

 商店街の空気はさらに冷えていて、肺に入るたび痛いほどだった。

 ポケットの中のスマホには父の“最後の姿”の写真がある。

 私は商店街を抜け、店主が言っていた公園へ歩きだした。



   ×   ×   ×



 商店街を抜けると、灰色の空があけた。冬の光は弱く、白く濁った雲が垂れ下がっている。

 小さな公園だ。滑り台とブランコ、古くなった動物の乗り物。誰もいない。

 私は歩幅を狭くしながら、公園の入口近くで足を止めた。

 背中のほうから誰かに見られているような気がした。振り返っても、人の気配はない。

 吐いた息だけが白く立ちのぼる。

 ゆっくりと視線を巡らせ、遊具の影やベンチの下、砂場の端をひとつひとつ確かめた。

 それらしい“痕跡”は、どこにもなかった。

 血の跡があるわけでもない。花が置かれているわけでもない。

 私は少し背筋を伸ばし、周囲をもう一度見渡した。

 そこで、ふと気づいた。

 公園の中央あたりに立つ街灯の上に、小さな黒い箱が取り付けられている。下を見張るように、わずかに角度をつけて。

「‥‥防犯カメラ?」

 思わず声が漏れた。

 近づいてよく見上げると、それは間違いなく防犯カメラだった。

 レンズの横に、見覚えのあるロゴが印字されていた。

 私の家の玄関についている防犯カメラと、同じメーカーのものだ。

 カメラの下のラベルに「防犯パトロール協力」とだけ書かれていた。

 辺りを見回す。別の街灯や、遊具のそばも目で追ってみたが、カメラはこの一台きりのようだった。

 遊具広場から砂場、ベンチをかすめて、公園の真ん中あたりを斜めに見下ろす位置。

 女店主が言っていた「公園で亡くなった人」がどこに倒れていたのかは分からない。

 でも、カメラに映っていた可能性は高い。


 もし、公園で亡くなった人がお父さんと同じS字の姿勢だったら?


 ぞくり、と背中に冷たいものが走る。

「防犯カメラの映像って、どうやって確認するんだろう」

 私は腕を抱き寄せ、寒さと一緒に不安も押さえ込むように肩をすくめた。

 そもそも、路上で人が亡くなった場合、そのことはどこに“記録”されるんだろう。

 新聞? 市役所の広報? 警察の発表?

 お父さんの死について、私はどこにもそんな記事を見ていない。

 ポケットからスマホを取り出し、画面をタップする。

 検索サイトの入力欄に指を滑らせる。

『N市 商店街 倒れる』

 エンターを押してしばらく待つが、出てきたのは飲食店の口コミや、昔の記事の断片ばかりで、めぼしい情報はなかった。

 私は少しだけ眉間を押さえ、検索ワードを消す。

 今度は、ゆっくりと打ち込む。

『N市 公園 男性 死亡』

 検索結果の一覧に、地方紙の名前が混じった。

 指で拡大してタイトルを読む。

『N市の公園で男性が死亡』

 タップすると、スマホの画面に短い記事が表示された。


『11月11日午前、N市内の公園で40代とみられる男性が倒れているのが発見され、その場で死亡が確認された。警察は事件性はないとみて身元の確認を進めている。』


 本文は数行で終わっていた。男性の名前も、詳しい状況も書かれていない。

 私は記事の下までスクロールし、日付をもう一度確かめた。

 お父さんが亡くなる、二週間前の日付。

「新聞の本紙なら、詳しく載ってるかもしれない」

 スマホを握りしめたまま、公園のフェンスの外へ視線を向ける。

 この先の通りをまっすぐ行けば、市営図書館がある。歩いて十分もかからない距離だ。

 私は一度だけ、防犯カメラを振り返った。

 黒いレンズは相変わらず無言で、公園の真ん中を見下ろしている。

 ポケットにスマホをしまい、マフラーを巻き直す。

 頬を刺すような風のなか、私は図書館へ向かって歩き出した。



   ×   ×   ×



 市営図書館は、市役所と同じ敷地の一角にあった。

 自動ドアの向こうから、ほんのりあたたかい空気と紙の匂いが流れてくる。

 入口をくぐると、静かな館内にコピー機の低い駆動音が響いていた。

 奥のほうでは、制服姿の中学生が参考書を広げている。今の自分とは少し遠い場所の出来事みたいに感じられた。

 新聞コーナーは窓際の一角にまとまっていた。

 地方紙の当日分と、その横に、過去数週間分のバックナンバーが並んでいる。さらに、棚の下の引き出しには、一ヶ月以前の紙面が綴じられたファイルがしまわれていた。

 私はスマホの画面で、さっき見た記事の日付をもう一度確認する。

 十一月十一日。

 その日の新聞を探し出し、ページをゆっくりとめくっていく。

 ネットに載っていた数行の記事と同じ内容以上のものは、どこにもなかった。

 私は人差し指の爪を噛んで、新聞を元の場所に戻した。そして、受付カウンターへ向かった。

「すみません」

 声をかけると、カウンターの中から年配の司書が顔を上げた。

 グレーのカーディガンに、胸元には名札。柔らかい目をしている。

「はい?」

「あの、地方紙のバックナンバーを見させていただいたんですけど。N市の公園で亡くなっていた男性の記事が、短いものしかなくて。その件について、もっと詳しく書かれているものって、ほかにありませんか」

 司書は、少しだけ目を細めてこちらを見た。

「ああ、公園。金杉さんの‥‥」

「金杉さん?」

 思わず聞き返した。

 司書はハッとしたように口元を押さえ、曖昧に笑った。

「ごめんなさい。聞かなかったことにして」

「詳しく教えてもらえませんか」

 私が少し身を乗り出すと、年配の司書は困ったように肩をすくめた。

「個人情報だしねえ。あまり勝手なことは言えないの」

 そう言ってから、一拍おく。

「‥‥あ、ちょっと待っててくれる?」

 そう言うと、司書は立ち上がり、カウンターの奥へと姿を消した。

 引き出しを開ける音や、紙の束をめくる音が小さく聞こえる。

 数分もしないうちに、彼女は数枚の紙を手に戻ってきた。

「お待たせ。この前の市議会の議事録のコピーね。公表されてるものだから、見ても大丈夫よ」

 そう言って、カウンター越しに紙を差し出してくる。

「市議会ですか?」

「そう。三日前に公開された分。公園で亡くなった方のこと、少し触れられてるはずよ。そこのパソコン席で読んでいいから。返すとき声かけてね」

「ありがとうございます」

 私は紙を受け取り、近くのパソコンデスクの椅子を引いた。

 腰を下ろし、手元のコピーを広げる。

『N市議会定例会 議事録』

 該当箇所に丁寧にマーカー線が引かれている。私はそこから読みはじめた。

 金杉耕三という市議会議員が、公園で亡くなっていた男性について触れている。

 亡くなった男性が、自分の一人息子であること。

 息子には持病もなく、不健康な生活を送っていたわけでもなかったこと。

 それなのに、ある日突然、公園で倒れ、死亡していたこと。

『本市ではここ数ヶ月、中年男性を中心とした急な路上の死亡例が増加している。救急搬送件数も過去最高を更新しているにもかかわらず、十分な原因調査が行われているとは言い難い状況である』

 そんな文言が、淡々と議事録に記録されていた。

『市内各所での防犯カメラ設置が進んでいるのも、夜間の救急搬送増加に対応するためだと承知している。しかし、こうした突然死の連続を、「高齢化による自然な増加」と一言で片付けるには、あまりにも不自然ではないか』

『私は、市として正式な調査班の設置を要望する。原因の究明なくして、市民に安心安全な暮らしは約束できない』

 行間からにじむのは、冷静な言葉の裏に隠された、どうしようもない焦りと怒りだった。


 ───突然死が増えている


 私は思わず顔を上げた。

 図書館の静けさが、妙に遠く感じる。

 心臓の鼓動だけが、耳の内側ではっきりと聞こえていた。

 議事録の最後まで目を通すと、私はコピーを丁寧に揃え、深呼吸をひとつした。

 金杉耕三。

 その名前が、頭の中で反芻される。

 パソコンのブラウザを開き、検索窓に名前を打ち込む。

『N市 金杉耕三』

 エンターキーを押すと、候補のひとつに、簡素なホームページが表示された。

 地方議員によくある、手作り感のあるサイトだ。クリックすると、プロフィールと活動報告の下に、『金杉事務所』の住所が記載されていた。

 市内の商店街とは別のエリア。地図のサムネイルも添えられている。

 私はスマホを取り出し、その住所を入力してナビ機能を起動する。

 画面には、現在地から事務所までのルートが表示された。

 歩いて二十分ほど。バスを使えば、もっと早く着く距離だ。

 図書館の時計を見ると、まだ昼を少し過ぎたところだった。

 窓の向こうには、白い曇天と、市役所の建物の影。

 席を立ち、議事録のコピーを持って受付へ向かう。

「ありがとうございました。返します」

「ああ、どうだった?」

「役に立ちました。ほんとに、ありがとうございます」

 軽く会釈をすると、司書はにこりと笑って、コピーを受け取った。

「寒いから、気をつけて帰ってね」

「はい」

 私は図書館をあとにし、スマホのナビに表示された矢印に向かって歩き出した。



   ×   ×   ×



 雑居ビルの二階に、その事務所はあった。

 階段を上がると廊下の突き当たりに、「金杉耕三事務所」と印刷されたプレートが貼られたドアがある。

 手を握りしめ、私はノブを回した。

 ドアを開けると、こぢんまりとした事務所の空気が流れてくる。

 壁際に資料棚とコピー機が並び、パーテーションの向こうにデスクが二つ。奥の一番大きな机に、六十代後半くらいの男が難しい顔で書類を見ていた。写真で見た姿より、少し痩せて見える。

 手前のデスクから、背広姿の男性が立ち上がった。こちらをいぶかしげに見つめる。

「なにか御用ですか?」

「あの、金杉耕三先生に、お尋ねしたいことがあって」

 そう言うと、背広の男は一瞬だけ眉をひそめ、ため息まじりに肩を落とした。

「恐れ入りますが、取材でしたら事前にアポイントを取っていただかないと。急なご訪問には対応しておりません」

 私は一拍遅れて、自分が記者だと思われているのだと気づく。

「あの、亡くなった金杉さんの息子さんのことで、聞きたいことがあるんです」

 その言葉に奥の机の男───金杉耕三が、はっきりとこちらを振り向いた。

 眼鏡の奥の目が、鋭く細められる。

 私は彼にも届くように声を張った。

「昨日の夜、父が亡くなりました。突然死です!」

 事務所の空気が、ぴんと張りつめたようになった。

 金杉はゆっくり立ち上がり、背広の男に視線を向ける。

「‥‥話を聞かせなさい」

 低い声に、威圧というよりも、有無を言わせない切実さが混じっていた。

 背広の男は、少し戸惑ったように私と金杉を見比べ、「どうぞ」とパーテーションの奥を指し示した。

 私は促されるままに、簡単な応接スペースへ通された。

 小さなテーブルとソファが二脚。壁には選挙ポスターと、地域の行事写真が額に入れて掛けられている。

 向かいに腰を下ろした金杉が、こちらをまっすぐ見つめた。

「昨晩、商店街で亡くなったのは君のお父さんかね?」

「はい」

 私はコートのポケットからスマホを取り出し、震える指で写真アプリを開いた。

「これ‥‥父が死んだときのものです」

 和菓子屋の店主から送ってもらった画像を表示し、テーブル越しに差し出す。

「おかしくないですか。人間ってこんなふうに死にませんよね?」

 画面には、夜の商店街に横たわる父の身体。胸を押さえたまま、腰から背中へと滑らかに弧を描き、整ったS字の姿勢で固まっている。

 金杉は無言でスマホを受け取り、画面に顔を寄せた。

 皺だらけの指先が、ほんのわずかに震えているのが見えた。

 しばらく食い入るように見つめたあと、彼は目頭を指で押さえ、低くつぶやいた。

「‥‥これで、八人目か」

 私は思わず身を乗り出す。

「八人って、なにがですか」

 金杉はスマホから視線を離し、疲れたようにソファの背にもたれた。

「君の父親のように、S字の姿勢で突然死した人間の数だ。今年に入って、これで八人目だよ」

 その言葉が、頭にうまく入ってこない。

 私は立ち上がりかけて、慌ててソファの肘掛けを掴んだ。

「じゃあ、父は誰かに殺されたってことですかっ!?」

 声が震える。頭に熱がじんわりと広がった。

 金杉は、すぐには答えず、ゆっくりと首を横に振った。

「分からん」

 短く、きっぱりとした声だった。

「分からないって‥‥」

 私の言葉を遮るように、金杉はテーブルの上のリモコンを手に取った。

 視線で「座りなさい」と促され、私は再びソファに腰を落とす。

 彼がボタンを押すと、応接スペースの隅に据え付けられた液晶テレビの電源が入り、続いてDVDプレーヤーから、動作音が聞こえた。

 黒い画面のまま数秒。やがて、映像が切り替わる。

 夜の公園。

 さっき私が訪れた公園と同じ形の滑り台とブランコが、白い照明に浮かび上がっていた。カメラは高い位置から全体を俯瞰している。

「これ‥‥」

「公園の防犯カメラの映像だ」

 金杉は、それだけ言って黙り込む。

 私は息を潜めて、画面を見つめた。

 少しして、視界の端から蛍光色のジャージ姿の男が現れた。

 イヤホンをつけ、ゆっくりとジョギングをしているようだ。そのままブランコの近くで足を止め、ストレッチを始める。

 片足を伸ばし、腰をひねり、肩を回す。

 その瞬間───画面が、真っ白になった。

 照明が爆発したような、短いフラッシュ。

 私は思わず目を細める。

 映像が戻ると、ジャージの男はまだそこにいた。

 だが、その姿勢が変わっている。

 片手で胸元を押さえ、ゆっくりと上体をひねり始めていた。顔が苦痛にゆがむ。


 再び、フラッシュ。


 今度は、男の足元がふらつき、体勢を崩して転倒する。

 地面に手をつこうとして、うまく支えられない。

 背中が弓なりに反り、見えない何かに引っぱられるように、身体がひねられていく。


 フラッシュ。


 男の身体がS字を描くように曲がり、そのまま痙攣を繰り返す。

 脚が不自然な方向に跳ね、首筋の線が強調される。


 フラッシュ。


 最後の閃光のあと、男はぴたりと動かなくなった。

 公園は何事もなかったかのように静まり返る。

 遠くで車の走る音だけがかすかに聞こえる。

 金杉がリモコンを操作し、映像を止めた。

 画面の中で、S字の姿勢のまま固まった男のシルエットだけが、白い光の中に浮かんでいる。

「‥‥コントラポスト」

 金杉が、ぽつりとつぶやいた。

 彼は視線を画面から外し、ゆっくりとこちらを見る。

「コントラポスト。片足に重心をかけて立つとき、骨盤と肩のラインが逆方向に傾くだろう? 古代ギリシャやルネサンスの彫像なんかに多い。片足をゆるめて立って、身体がS字を描く、あの自然で美しい立ち姿‥‥のはずなんだがね」

 彼は、停止した映像のS字に曲がった男の輪郭を指さした。

「本来は『生きている身体らしく見せるための工夫』なんだ。重心移動とねじれを強調して、命の気配を表す。だが」

 言葉を切り、深く息を吐く。

「息子の死にざまはまるで逆だ。死んでいく途中でこうなっている」

 私はどう返事をしていいか分からず、ただ口を閉じたままモニターを見つめた。

 父の写真に写っていたS字と、画面の男のS字が、頭の中で重なり合う。

 そのとき、応接スペースの入口から足音が近づいてきた。

 背広の男が顔を出す。

「先生。昨晩の商店街の防犯カメラ映像です。組合長からデータが届きました」

 男は私のほうをちらりと見やり、言葉を選ぶように続ける。

「昨晩、亡くなった男性が映っているとのことです」

 金杉は、少しだけ目を細めてから、私に顔を向けた。

「どうする?」

 静かな問いだった。私の答えは決まっていた。

「父の最後を知りたいんです」

 自分の声が、思ったよりもはっきりと出た。

 金杉は短くうなずく。

「見せてくれ」

 背広の男がDVDを入れ替え、再生ボタンを押す。

 画面が暗転し、少しのノイズのあと───夜の商店街の映像が映し出された。

 シャッターを下ろした店の列。

 遠くから、スーツ姿の男が歩いてくる。

 歩き方の癖、肩の上下の仕方、コートの裾の揺れ方。

 お父さんだ。

 心臓をかぎ爪に掴まれたような痛みが走る。

 父は、いつもの帰り道を歩くように、ゆっくりと画面の中央へ近づいてくる。


 フラッシュ。


 画面が一瞬、真っ白になる。

 戻った映像の中で父は立ち止まり、カメラのほうを見上げていた。

 映像の中の父と目が合った。

 父は瞬きをして、眩しそうに目を細める。防犯カメラのフラッシュに誘われるように。


 フラッシュ。


 フラッシュ。


 フラッシュ。


 光が連続して、映像が細切れになる。

 父の顔が歪み、身体が、ゆっくりと、あのS字へと変形していく。


 ───そして‥‥‥‥



   ×   ×   ×



 帰りのバスの座席に、私は沈み込むように腰を下ろしていた。すでに日は沈み、車のライトが流れている。

 膝の上には、金杉さんから手渡された一冊の調査報告書がある。A4用紙をホチキスで留めただけの、簡素な束だ。

 表紙には、ピンク色の魚のロゴに探偵事務所の名前と、『N市内における路上突然死の関連性について』と印字されている。

 私は深呼吸をして、一枚目をめくる。

 報告書によると、ここ数ヶ月、N市内では「路上で倒れ、その場で死亡確認される中年男性」が、統計上はっきり分かるほど増えている。

 複数の現場写真と、遺体の検案記録(黒塗りだらけだが)が並べられていた。

 どれも、胸を押さえ、身体をひねり、S字カーブのように折れ曲がって倒れていた。

 ページの端に、探偵の手書きのメモが挟まれている。

『被害者は同じ方向にひねられている。偶然の範囲を超える一致』

 次の章には、「光刺激」と「てんかん発作」という言葉が何度も出てくる。

 ある種の光を一定のリズムで見たとき、人によっては強いストレスが脳にかかり、光過敏性てんかんが誘発されることがあるという。

 光の点滅周波数が、およそ3〜30ヘルツ。

 その帯域は「てんかん誘発帯」とも呼ばれ、過去にはテレビ番組やゲーム画面の点滅で集団発作が起きた例もある、と書かれていた。

 ページをめくると、蛍光ペンで塗られた一文が目に飛び込んできた。

『N市内でここ数年に交換されたLED街灯および防犯灯は、省エネのためにPWM制御(高速点滅)を採用している』

 PWM制御について簡単に記載されている。

 消費電力を抑えるため、光を“ものすごい速さで点滅させている”仕組み。

 普段は人間の目には見えないはずのチラつき。

『故障・誤作動により、点滅周波数が人間の可視領域かつてんかん誘発帯域に落ちると、強烈な光刺激が連続的に網膜に入る可能性がある』

 ある特定の条件で、LEDの点滅が「目に見えるフラッシュ」に変わる。

 それを浴びた人間の一部は、光過敏性てんかんの発作を起こす。

 脳の異常な興奮が心臓のリズムにまで波及し、二次的な心停止を引き起こす。

『発作時の姿勢は、照明の位置と角度により一定のパターンが生じる。片膝を折り、上体が一方向にねじれ、結果としてS字曲線状の姿勢で硬直する例が写真・動画で複数確認された』

 死ぬとき、人間の身体は、光の当たる角度によって同じ方向へねじられる。

 尻もちをつきかけの状態から、背中が反り、片足だけが引きずられる。

 その末に、コントラポストのようなS字に折れ曲がって固まる。

 探偵の手書きのイラストのポーズは、お父さんや金杉さんの息子さんの姿勢とまったく同じだった。

 報告書には、監視カメラの映像解析についても触れられていた。

 防犯カメラのフレームをコマ送りで検証すると、目には見えないレベルの高速点滅が、ある瞬間から『白いフレーム』として記録されている箇所があるという。

 それはまさに、さっきテレビ画面で見た『フラッシュ』のコマだった。

『現場周辺の聞き取りでは、「突然、視界が白くなった」「何か光った気がした」との証言が複数存在する』

 ページの後半に進むと、報告書のトーンが少し変わった。

 事実の羅列から、仮説へと踏み込んでいく。

 数年前、とある大学と企業が共同で行っていた『光刺激による脳機能研究』の記事が引用されていた。

 特定の可視光を用いて、脳内の神経回路の同期や興奮をコントロールしようとする試み。

 だが、その研究は実験中の被験者の死亡事故により、表向きには中止になった、とある。

 報告書の余白には、探偵の走り書きがあった。

『当時の研究用制御ソフトと、市街地LEDの制御ファームウェアに類似点あり(技術者の証言)』

『事故で葬られたはずの「危険な光刺激」が、市内の照明システムに紛れ込んでいる可能性』

『意図してやっている者がいるのか、単なるずさんな流用なのかは不明。ただし誰かが一度失敗した技術が、この街全体に拡散していることだけは確かだ』

 ページの最後、調査報告はこう締めくくられていた。

『本件は「呪い」や「怪異」ではなく、あくまで人為的な危険技術の拡散と見るのが妥当である。制御と監視の主体が不明瞭であるが、現在もなお『光刺激による脳機能研究』実験が続いている可能性を否定できない』


 ───実験?


 ───お父さんは実験で殺されたの?


 窓の外を流れるN市の夜景。

 LEDの街灯、防犯灯、コンビニの看板。どれも、同じ冷たい白色光で街を照らしている。

 そのどこかに、お父さんを殺した光が紛れ込んでいる。

 報告書の最後の一行が、目に刺さった。

『なお、死亡現場周辺には、特定メーカーの防犯カメラおよび屋外用照明が高確率で設置されている。型番・ファームウェアバージョン等の詳細調査が必要と思われる』

 バスのアナウンスが目的地を告げた。私は報告書を握りしめ、バックの中に押し込んだ。



   ×   ×   ×



 すっかり夜になっていた。自宅の前の道は静かだった。

 玄関の近くまで来たとき、私は足を止めた。

 見上げた先に、小さな黒い箱がある。

 玄関の上に設置された、防犯カメラ。

 お父さんが「物騒だから」と言って、私のために頼んだものだ。

 レンズの横には、あのロゴが印字されている。

 公園の街灯と同じ。

 商店街の防犯カメラと同じ。

 N市中にばらまかれた、安全のための目。

 私は無意識のうちに、一歩だけ後ずさりした。

 レンズと、目が合う。


 ───フラッシュ。


 足が動かなかった。


 ───フラッシュ。


 視界が一瞬で白に塗りつぶされた。

「‥‥っ!」

 まぶたの裏まで真っ白になって、何も見えない。

 視界がぐにゃりと歪み、耳鳴りが高く鳴り始めた。

 肺が勝手に縮んで、息が吸えない。

 心臓の鼓動がばらばらに跳ねる。

 体に力が入らない。


 ───フラッシュ


 膝が折れ、腰がふらつく。

 逃げなきゃ、と頭のどこかで思うのに、身体は言うことを聞かない。


 ───フラッシュ


 今度は、身体の内側から光を浴びたような感覚がした。

 目に見えない糸が巻きついてくるような、妙なひきつれ。

 足が、腰が、肩が───父と同じ方向へ、ゆっくりとひねられていく。




「まっ‥‥待って‥‥」




「お‥‥とお‥‥さん‥‥」




「‥‥たす‥‥け‥‥‥‥」




END






サイコミステリーのつもりで書き始めたのですが、オチがこんな感じなのでホラーにしました。いつか、長編ミステリーやりたいなー。

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