第9話 庭の片隅で
一方その頃、エルノーは暇を持て余していた。大人しくしていろとは言われたものの、家の中にはほとんど物が無く、唯一の話し相手も出かけてしまった。かといって昼寝をしようにも全く眠気はない。しばらくガラスの羊を眺めたり光にかざしたりして遊んでみたが、さすがに限界である。
「ちょっと散歩、行ってみようかな」
庭であれば家の敷地内だし、ちょっとくらい体を動かしたほうが健康にいい、と一人で言い訳をして立ち上がる。少し厚手の汚れてもよい服に着替え、大ぶりなナイフを持ち、左手首に防護の腕輪がはまっていることを確認する。自宅の庭とはいえ簡易結界の外側に出るので、用心するに越したことはない。
裏口から外へ出て、左手に向かう。かつては整えられた庭だっただろうそこは、見事に雑草が生い茂り荒れ果てていた。外周には低めの塀があるはずなのだが、すっかり草に覆われて見えない。
その光景に、エルノーは少しドキドキしながら足を踏み入れた。
「この枯れ草……もしかしてヨウセイユリ?」
面白いものを探して雑草をかき分けていると、見覚えのある形の草が見えた。枯れて花弁は落ちているが間違いない。魔法薬の材料となるヨウセイユリだ。妖精の羽のように透き通った花を咲かせる美しい品種で園芸用としても人気があるが、エルノーの目当ては球根である。
球根を傷つけないように注意しながら、ナイフで根元を掘ってみる。厚く頑丈なムーン鋼で作られているので、シャベル代わりにしたところで刃こぼれしたりはしない。
掘り上げてみると、期待した以上に大きな球根だった。これなら分球して増やすことができそうだ。周辺も探してみるとあと二株見つけることができた。
他にも何かないかと見渡してみたものの、ぱっと目に入るのはアマヨモギくらいだった。生薬の材料ではあるが、広く群生する野草のため、軽く採取するだけに留める。
「やっぱりあそこ、気になるな」
実は庭の一角に意図的に避けていた場所がある。二階の窓から庭を眺めていた時に、異様に植物が繁茂しているところがあったのだ。
邪魔な草をナイフで払いながら慎重に足元を確かめ、分け入っていく。中心部に近付くにつれて魔素が濃くなっていくのを感じる。植生も少し周りとは趣が異なるようだ。
「マギトロニア……? こんなところに生えているなんて」
よく知ったツルが低木に巻き付いている。魔力の多い場所に自生する植物であり、庭に植えるようなものではない。ということは鳥か小動物あたりが種を運んできたか。近くに生えているとしたら恐らく魔の森の中だろう。
入ってみたい気持ちはあるが、魔法師二人だけで行くのは少々危険が伴う。魔法の発動にどうしても時間がかかってしまうためだ。やたらと長い定型の呪文を使うコルヌネス派よりは速いものの、二人の共鳴魔法は交互に魔法を重ねて威力を上げていくものであり、やはりそれなりに時間がかかる。敵との距離が十分あり、見通しの良い――例えば荒野のような場所であれば百の軍勢相手でも渡り合える自信があるが、森のような障害物が多い場所となると非常に不利である。前衛を務めてくれる戦士が何人かいてくれればいいのだが、残念ながらあてがない。
森のことはいずれどうにかするとして、まずは目の前のことだ。ツルが絡み合い非常に進み辛い。肌を引っ掛けないように気をつけてかき分ける。
すると急に視界がひらけた。ぽっかりと空いたその真ん中に、石積みの井戸があった。
「なるほど。これが原因か」
魔素の出所はこの井戸であったようだ。ポンプや滑車のついていない、古式ゆかしい丸井戸である。苔むしており、かなり古いと見えた。前の住人が家を建てる前からここにあったのではないだろうか。
比較的新しそうなの木の蓋がされている。庭の水やりに使っていたのかもしれない。
少し迷い、慎重に蓋を外してみる。いっそう魔素が濃くなる。のぞき込んでみたが暗くて何も見えない。
『光――いや、炎。あたりを照らすろうそくの灯火』
光の魔法を使おうとしたが、炎に切り替える。こういった深い穴の中には不思議な毒が溜まっていることがあるという。目に見えず、臭いも無く、毒物に耐性のある者でも意識を失うという恐ろしい毒だ。自然毒が効かないエルノーでもやられる可能性があるので気をつけろ、と昔警告されたことがある。そしてその毒の中では炎は生きていけないらしい。
ゆっくりと炎を井戸の中へ下ろしていく。不審なものは特に見当たらないが、下に行くにつれて周囲の魔素を取り込み、炎が大きくなる。流し込む魔力の量を抑えながら更に下ろすと、一瞬激しく燃え上がったあと、消えた。どうやら水に触れたようだ。
「問題は地下水、かな」
二年前から森に魔物が増えたという話だったが、関係があるだろうか。
ひとまず井戸自体に仕掛けはなさそうだったので、また蓋をする。再び苦労しながら藪を抜け、雑草の少ないあたりに小さめの畑を作ろうと目印の棒を立てていった。
遠くからこちらを見つめているものがいることに、エルノーは気づかなかった。
古井戸は酸欠に注意。




