第36話 封印
ウツボを構成する瘴気よりもはるかに高密度の瘴気の杭がウツボを貫く。断末魔を上げる間もなくはじけ飛んだ体が、真っ黒な霧となりあたりに広がる。だが数瞬の後に、今度は杭に向かって収束を始めた。瘴気の塊の杭はエルノーとエリアの意思に反するように姿を変え始める。魔物になろうとしているのだ。
魔物としての意思を持つ前に、二人は瘴気の塊を動かして壁の亀裂に押し付けた。亀裂は相変わらず瘴気を吹き出し続けていたが、強引に押し戻し、塊も向こう側へと押しやる。向こうがどうなっているのかはわからないが、元々そちらから来たものなのだから返してしまってもいいだろう。
『塞がれ。土より固く、鉄より堅く』
『遮れ。魔を、邪を、闇を』
魔力に物を言わせて押さえつけ、その隙に亀裂を埋める。できるだけ奥の方まで、周辺から崩れてこないように強く魔力を込める。やがて亀裂はどこにあったのかもわからないほど綺麗に塞がった。
「ついでに封印しちゃおっか」
一応塞いだとはいえ、再び穴が開く可能性はある。エリアは鞄から持参したインクを取り出した。壁に直接封印の魔導回路を刻むのだ。瘴気のせいか元々そういう土地だったのかはわからないが、この洞窟は妙に魔素が多い。魔石で補助する必要が無いほどだ。もしかしたら掘ったら魔石が出てくるかもしれない。
「インク足りるかなー。大きく書きたいけどそんなに持ってきてないんだよね」
小屋を見に行くだけの予定だったため、持ってきたのは一瓶だけだ。回路が中途半端になってしまっては効果が出ないだけでなく、暴走の危険もある。今できる最良の回路を組む必要がある。
構成を考えるのはエリアに任せて、エルノーはあたりを探索することにした。周囲の瘴気をあらかた片づけたおかげで光が届く範囲が広がり、最初に足を踏み入れた時と比べて圧倒的に見通しが良い。
光量を上げて何かないかと歩き回っていると、岩のかげにキラリと光るものが見えた。近寄って確かめてみると、それはインクの瓶だった。そしてその近くには、ボロボロになった紙も落ちていた。こんなところに人工物が落ちているということは魔法師アルゴの物ということに他ならない。
「エリア! インクが落ちてた! それにこの紙も」
「うそ⁉ ちょっと見せて! ――これ、魔法のインクだ!」
瓶を受け取ったエリアが蓋を空けてみると、確かに魔力の気配がした。エルノーがルーンマロウから作っているインクとは少々色合いが異なるものの、十分に使えそうだ。
「それにこっちの紙……魔導回路の設計図、かな? これ、アルゴさんも回路を書こうとしてたってことだよね……」
紙は千切れていて汚れも酷いが、魔導文字とくねくねとした線が書いてあるということはわかる。アルゴの日記には確か、亀裂を発見してから封印しに行くまで数日の間があったはずだ。回路を組み立てて設計図を書くのに時間がかかってしまったのだろうか。エリアはこの手の仕事を何度かこなしたことがあるが、普通の魔道具技師には縁のない作業かもしれない。
瓶にはインクがたっぷりと残っていることから、実際に回路を刻むところまではいけなかったのだろう。ならば彼の遺志を継いでしっかりとした封印を施さねば。
「このインク、ありがたく使わせてもらお! これくらいあれば足りると思うよ!」
「よかった。俺も手伝うことある?」
「ちょっと魔力貸してー。あとこっちの瓶持ってて」
エリアはインク瓶を片手に持ち、もう片方の手を壁に添えた。頭の中の設計図をなぞる様に魔力を動かし、インクを流し込んでいく。『封印』『瘴気遮断』『崩落防御』『摩耗軽減』などの文言をこれでもかと盛り込み、回路線でつないでいく。エルノーもエリアを追いかけるように魔力を流していく。
壁一面にびっしりと回路を刻み終わり、エリアはホッと息を吐いた。
「できたー……」
「お疲れ。ちょっと休む?」
「こんなとこで休みたくないけどしょうがないね。おやつ食べよ!」
エリアは地面にへたり込んだ。魔力の消耗も大きいが、頭もかなり疲れている。鞄からクッキーを取り出してかじった。非常食にと、屋台で買ってきたとても甘いクッキーだ。普段は甘すぎると思ってしまうが、疲れている今は世界樹の蜜でも入っているのではないかと思うほどおいしく感じられた。
おやつを食べながら全体を見渡してみると、地底湖はなかなかの大きさだった。二人の家一軒分は余裕で入りそうだ。縁まで行き、中を覗き込んでみる。水はまだ黒く濁ったままで、どこまでの深さがあるかはわからなかった。
「水がきれいだったら神秘的だっただろうなー。アルゴさんはその光景見たってことでしょ? いいなー」
「そうかな。地底湖って怖くない? 透明すぎる水も吸い込まれそうでちょっと怖いよ」
「怖くないよ! 瘴気がなかったら秘密基地にしたいくらい!」
「エリアとはやっぱり趣味合わないかも」
似ているところは良く似ているが、似ていないところは全く似ていない双子であった。
*
しばらく休憩をし、そろそろ戻ろうかと重い腰を上げる。下ってきたということは帰りは登らねばならない。しかも途中の鍾乳洞にはまだ魔物がウヨウヨしていることだろう。
光る箱を浮かせ、ブツブツ文句を言いながら歩き始めた時、エルノーが「あっ」と声を上げた。
「なに?」
「いや、ちょっと影切茸が生えてて……」
エルノーが指さす先には来た時とは別の横穴があり、黒い手のような形をした奇妙なキノコが生えていた。天井が低く頭をぶつけそうだが、入れないことはなさそうだ。
「ちょっとだけ採取してきて、いいかな……?」
腰を低くして申し訳なさそうにお伺いを立てるエルノーだったが、エリアは知っている。エルノーが採取を初めて『ちょっと』で済んだことなど今まで無いのだ。
「ダメ~。暗くなる前に帰りたいもん」
「そんなこと言わずに。影切茸はなかなか手に入らないんだよ! ――あ、見てよ! 奥にあるの蛍晶石じゃないか?」
「えー? うわホントだ! 欲しい!」
「よし、あっちの道に入ってみよう! あっちから風が吹いてきてるし、きっと外につながる道があるよ!」
エルノーの口車に乗せられてエリアものこのことついていく。珍しいキノコや鉱石は入口付近だけではなく、奥まで点々とあるようだった。行き止まりだったとしても最悪魔法で天井に穴をあけて脱出すればいいかと、気楽に歩く。
くねくねと曲がり、登ったり下ったりする細穴を地道に歩き続け、そろそろこちらの道に入ったことを後悔し始めたころ、ふと良く知った感覚が二人の体を通り抜けた。
「あれ? これってもしかして」
「えーウソ⁉ そんなことある⁉」
思わず走り出す。少し進んだ先の地面には穴が開いていて、水が溜まっていた。道はここで終わっている。穴は上に向かってまっすぐに伸びているようだった。
『風~。上にあるもの吹っ飛ばして』
エリアが雑に魔法を使うと、穴を塞いでいた木の板が吹き飛び、光が差し込んだ。
「ちょっとエリア、まだ使うんだから丁寧に扱ってよ」
「この際新しい蓋にしちゃえばいいじゃん」
先ほど感じた気配は二人が張った結界だった。そしてここは。
「やだー……瘴気の穴がうちの庭と繋がってたなんてー……」
「引っ越して早々に結界張ってたから全然気づかなかったな。妙な感じはしてたんだけど」
二人の家の庭にある井戸の底だった。




