第33話 森の小屋
「エルノー、準備できた?」
「うん、まあ……」
「歯切れ悪いなー。元気出しなよ。あんまりのんびりしてられないんだから」
「わかってるよ」
昨日よりマシになったとはいえ、まだ痛む足をさすりながらエルノーは立ち上がった。エリアの言う通りあまり先延ばしにするわけにはいかない。装備を整え、大きな鞄を背負って二人は家を出た。これから再び森に入るのだ。
「晴れてよかったね! お散歩日和だよ!」
軽快に歩くエリアのあとをエルノーがのそのそと続く。鬱蒼とした森の中は多少薄暗いものの、木々の隙間からは陽が差し込んでいる。夜に魔法の光だけで進むのとは段違いに歩きやすい。
うっすらと見える魔力発光剤の光を頼りに進んでいく。もう一度あの場所へ行くために、光が残っているうちに来なければならなかった。
のんびりと時間をかけて歩き、例の場所へとたどりつく頃には一時間以上経っていた。あたりはところどころ抉れ、戦闘の跡が残っている。二人は迷わず半壊した小屋へと向かった。
この小屋は魔物に襲われるまで子どもたちが隠れていた場所だ。木製の簡素な小屋だが、それほど傷んではいない。建物を注意深く観察すると、魔法で結界を張った跡があった。あの時はじっくりと観察する余裕がなかったが、あんな時間まで子どもたちが無事だったことを考えるとただの狩猟小屋とも思えず、確認に来たのだった。
結界は壊れてしまっているが、まだ痕跡が残っている。この字とも絵ともつかない文様は、とても見覚えがあるものだった。
「やっぱり魔法師アルゴだったね」
特徴的な曲線を多用した回路。しばらくメンテナンスをしていないにも関わらず、良くここまで魔物の攻撃に耐えたものだ。アルゴがある程度力のある魔法師だったということがわかる。
崩れた壁を避けて中に入ってみると、机や棚、ベッドなど、生活するための家具が揃っていた。ランプやコンロ、蛇口などの魔道具もある。アルゴは町の中に店兼住居を構えていたはずなので、ここは隠れ家といったところだろうか。
本棚には背表紙の無い本がみっちりと詰まっていた。装丁はバラバラで、上にあるものほど年季が入っているように見える。何気なく一番左上にあった本を手に取り中を見たエリアが「うぇっ」と奇妙な声を上げた。
「面白いものでもあった?」
「ちょっと見てよこれー!」
エリアの呼ぶ声に、部屋を物色していたエルノーも手を止めて本を覗き込む。
「カナーフ文字……」
そこには大陸共通文字とは違う、曲線を多用した難解な文字が書かれていた。他のページをめくってみても、手書きの文字がびっしりと綴られている。ところどころページの頭に日付のようなものが書かれていることから、おそらく日記だろう。
「アルゴさんってアル=カナーフの人だったんだ……」
「言われてみればあの魔導回路、カナーフ文字に雰囲気が似てるな。アル=カナーフの技術とこっちの魔導文字を組み合わせたものっぽいね」
カナーフ文字が使われているアル=カナーフ諸島は、大陸の南西に位置する小さな島々の集まりである。大陸の国々とは国交がなく独自の文化を築いていて、その詳細は謎に包まれている。
あの"塔"においてさえあまり資料がなく、二人も異文化研究をしている魔法師の文献を数冊読んだことがあるだけにすぎない。その文献によれば、アル=カナーフには魔法師が数多くいるのだという。精霊が沢山おり、その力を借りて行使する『精霊魔法』が主流なのだとか。
「りーふ……ぐ、んー……、じゃ? れ? ――駄目だー! 読めない! せっかくなにかわかると思ったのになー!」
『私』や『魔法』などいくつかの単語はかろうじて読み取れたものの、文章の翻訳ができるほどの知識は二人にはない。ウネウネとした線がつながっているカナーフ文字はどこからどこまでが一単語なのかもわかり辛く、手書きの癖もかなりあるようでお手上げであった。
「あ、エリア、これを見てよ」
エルノーは本棚の下の方にあった比較的新しい本を開いた。
「896年海竜の月7日、二年前の日付だ! しかもちゃんと大陸共通語だよ!」
「ほんとだ! ってことはこれが最後の日記……?」
ペラペラとめくってみると、後ろの方は白紙だった。一番最後の日付の文章に目を通す。
896年森魚の月28日
瘴気が噴き出ている亀裂が大きくなってきた。このままでは早晩ここは魔の森と化すであろう。その前に閉鎖を試みる。
日記はここで終わっていた。その前のページもいくらか遡って確認する。日記には、森の奥の洞窟の中に瘴気が漏れ出す亀裂があったこと、最初は小さな亀裂だったが段々広がってきていること、どうやって塞ぐか思い悩んでいるということが綴られていた。
「ここで終わってるってことはつまり――」
「……失敗したんだろうな」
その亀裂とやらがもともと限界だったのか、それともアルゴがとどめを刺してしまったのかはわからないが、その後本当に魔物が発生するようになってしまい、この隠れ家に戻ることができなくなっていたのだろう。
魔法師アルゴが魔物を生み出していたのではという疑惑は解消されたが、彼が関わっていたことは事実であり、その後の行動にも疑問が残る。カナーフ人だったという意外な事実も知ってしまい、二人はしばらく日記を手に立ち尽くした。




