第29話 鹿
残酷なシーンがあります。ご注意ください。
森の端へ着くと、二人は杖を構えた。探す対象の子どもたちとは面識がないため、探知魔法を広めに展開して人間の反応を探すしかない。魔力に敏感な魔物を引き寄せてしまう危険性があるが、覚悟を決めて魔力を集中させる。あまり奥まで行っていないといいのだが。
ふと視線を感じ振り向くと、二人の横に巨大な鹿が立っていた。
『光の壁!』
音も魔力の気配もなく現れた鹿に驚き、慌てて防御魔法を放つ。二人と鹿の間にまばゆく輝く壁が現れたが、鹿は二人を見つめたまま微動だにしない。野生動物や光を恐れる魔物ならば、逃げるか逆に襲ってくるかするはずだ。やはりこの鹿は普通の存在ではないらしい。
頷き合い、壁を消す。この前、昼間エルノーが会ったときは気づかなかったが、鹿の体はほんのりと光を放っていた。
「あなたは、精霊?」
返事はない。そもそも話せるのかわからない。このタイミングで出てきたということは二人になにか用があるのだろうが。
「俺たち急いでるんだ。行っていいかな。町の子どもたちが森で行方不明なんだ」
「あなた、この森に住んでいるんでしょう? 見かけてない?」
すると鹿は二人に背を向け、森の中に入っていった。少し進んだところで後ろを振り向く。
「これってもしかして」
「ついてこいってことかな。子どもたちのところに案内してくれるのかい?」
やはり鹿からの返事はなかったが、闇雲に探すよりは可能性があるかもしれない。二人は意を決して踏み出した。
森の中を必死に走る。もともと二人ともそれほど運動能力は高くない。体力増強薬のおかげで疲労は感じないが、鹿の速度についてくのがやっとだった。
「やっぱりこの鹿おかしくない? こんなにデカいのにどこにもひっかからないよ」
「森の中にこんなに広い道があるわけないし、木が避けてる……?」
鹿は障害物など無いように颯爽と駆けていく。後ろをついて走っているエリアとエルノーもこの不思議な力の恩恵を受けているようで、地面には下草が少々生えるばかり。木の根すらなく、ぬかるみに足を取られることもない。
「後ろ見て! 道なんてどこにもないよ!」
振り返ってみると今通ってきたはずの場所にも木が鬱蒼と生い茂り、その隙間から魔力発光剤のぼんやりとした光が見えた。
魔力発光剤は夜光茸とエルノーの血を混ぜて作った丸薬だ。血の持ち主の魔力に反応して光るもので、エルノーと良く似たエリアの魔力でも光らせることができる。鹿を信用していないわけではないが、念のため退路を確保しておこうと目印のために撒いてきたのだ。
どれほど走っただろうか。沢山持ってきた魔力発光剤がもうそろそろ尽きそうだという時、何かがバキバキと割れる音と悲鳴が聞こえた。もう鹿の案内が無くともわかる。この先で人が魔物に襲われている。
二人は杖を構え必死に走った。開けた場所に出ると、大きな魔物が小屋を破壊し、少年たちを襲っているのが見えた。一人は爪で押さえられ、もう一人は牙を突き立てられて今にも食べられそうだ。
『閃光!』
『光の奔流!』
バチバチと弾ける光が波のように魔物を襲う。驚いた魔物は少年たちを離し、飛び退いた。その隙にエルノーが少年たちに駆け寄る。
魔物が六つの巨大な目をギラつかせ、取り逃がした獲物を再び捕らえんと構える。
『光の壁! 蜂の巣の如く、強く、しなやかに! 皆を守れ!』
エリアの魔力が光となり、半円状にエルノーと少年たちを包み込んだ。
「あんたの相手はあたし」
六つの目がエリアを睨みつける。口からはシュウシュウと瘴気が漏れ、不規則にボコボコと膨れ上がった体から溢れ出した黒い粘液が地面を穢す。そんな醜悪な巨体に怯むことなく、エリアは不敵に笑った。
エルノーは手早く少年たちの様子を見渡した。二人は無傷。爪に押さえられていた子は怪我をしているが意識はある。恐怖のあまり痛みにまだ気がついていないようだ。
「薬飲んで!」
強めの回復薬を手渡す。まだ呆然としているが、そちらに構っている余裕はない。
牙で噛まれていた子に駆け寄り、ナイフで服を裂いて傷口を確認する。即死は免れたようだがすでに意識は無く、顔は血の気が引いて真っ白だ。そうこうしている間にも地面に赤黒い染みがどんどん広がっていく。
杖を構え、魔力を集中させる。この少年には初めて会ったが、まだ幼さの残る顔はどことなくキールや先程会った父親に似ている。きっとこの子がエミルなのだろう。
『戻れ。肉、骨、内腑よ、あるべき場所へ。あるべき姿へ』
新たに作ることはせず、もとに戻るようにイメージする。人体の構造は基本的に同じだ。慎重に魔力を操る。
魔法師は大抵、人体へ直接魔法をかけることを嫌がる。一歩間違えれば体を破壊しかねないからだ。それはエルノーとエリアも例外ではない。人体の構造は学んでいるが、出来るだけ魔法を使わずに魔法薬でどうにかしたいと考えて、普段からあれこれと備えているのだ。
だが魔法薬は自己治癒力を爆発的に高めるものであり、どうしても限度がある。
一人で使う魔法は広がりが悪く、とてももどかしい。だがエリアが魔物を抑えてくれている今、手を借りることはできない。焦る気持ちを意識して落ち着かせながら、エルノーは魔力を注ぎ続けた。




