救いたい
「二階堂さん!」
席から飛び出した高橋くんが、力なく崩れ落ちる彩の身体を抱きとめる。
彼の膝に彩の身体をあずけ、高橋くんは彩の脈と呼吸を確認した。
「彩! 大丈夫?!」
友人たちが集まってくるなか、彩はふと気が付いて目を開けた。気を失っていたのは一瞬だけだったようだ。でも貧血のような気持ち悪さがあって、彩はまた目を閉じる。
高橋くんは彩を抱えたまま、みんなに向けて言った。
「一時的なものだから心配はいらないと思う。でも、しばらく横になっていた方が良い。……駅の北口にビジネスホテルがあったよね。誰か、空いてる部屋がないか確認してくれないかな」
「わかった、私連絡してみる」
みんなが固唾をのんで見守っている間、高橋くんは彩の手を力強く握り「大丈夫だよ」と何度も声をかけてくれた。「大丈夫、大丈夫」それは親が子どもをあやすような、信頼できる人間による絶対的な言葉だ。彼が言うなら大丈夫。彩は自然とそう思えた。
「ホテル空いてるって!」
「ありがとう、じゃあ押さえといてくれる? 僕はこのまま二階堂さんに付き添って休ませるから、先にお暇するね。僕と二階堂さんの分の代金はこれで。足りなかったらあとで請求して」
高橋くんは財布から一万円札を出して幹事に渡すと、彩を軽々とお姫様抱っこして立ち上がる。
「二階堂さん、少し揺れるかもしれないけど、ちょっとだけ我慢してね」
彩に優しく声をかけ、高橋くんは居酒屋をあとにした。
店を出て、駅の構内を抜け、ホテルに着くまで、彩はずっと高橋くんの腕の中だった。
彼の足並みに合わせふわふわと揺れる感覚がまるで夢の中みたいだ。
大勢の人の波をお姫様になったかのようにふわふわと駆け抜けていく。
ホテルについた彩は、小さな部屋のベッドの上に優しくおろされた。
高橋くんは王子様みたいに彩の靴を脱がせて、もう一度彩の脈を確認する。
「うん、落ち着いているかな。二階堂さん、苦しくない?」
「大丈夫。ありがとう」
息苦しさはもうなかった。でもたぶん、起き上がるとまたクラッとくるだろう。
「二階堂さんはふだん不整脈が出た時ってどうしてる? 早めに受診するように言われてるなら付き添うけど」
高橋くんはベッドサイドの椅子に腰かけ、彩の頭をなでながら尋ねた。まるで子ども扱いみたいだけど、今の彩には心地いい。
「ううん。休んで良くなるようなら定期受診で大丈夫って言われてる」
「そっか。じゃあチェックアウトは明日の十時だから、それまでゆっくり休もう」
高橋くんの手が、いつくしむように彩のおでこの上をすべる。
「そばにいるから安心して」
穏やかな彼の顔。優しい声。
「安心……」
彩が呟くと、高橋くんはハッとして慌てて手をひっこめた。
「僕は別に二人きりだからって変な事をしようなんて考えてないからね! まいったな……告白したタイミングでこの状況じゃ警戒するかもしれないけど、医師免許に誓って絶対に変な事はしないから!」
慌てふためく高橋くん。狭いホテルに二人きりというこの状況が、急に別の意味を持ち始める。
「……ぷっ。あは、あはは」
必死に釈明しようとする彼が可愛くて、彩は思わず吹き出してしまった。
「わかってるよ。信用してる。高橋くん、昔から正義感があったもんね」
彩が笑い飛ばしたことで、高橋くんは少し安堵したようだった。
「え、そうかな。正義感だなんて、そんなこと初めて言われた。二階堂さんはなんでそう思ったの?」
口元に手を添えた高橋くんが首をかしげる。無自覚なのか、と思った彩は当然のように昔を語った。
「だって高橋くん、係の仕事とか委員会活動とか、他の人たちが途中で投げ出しても最後まで責任もってこなしてたじゃない」
教室で飼っていたメダカの餌やりも、掃除当番も、日直の仕事も、どれも最後まできちっとやるのが高橋くんだ。彩はいつもそんな彼を立派だなと思っていた。
高橋くんが困ったように頬をかく。
「いや、みんなに仕事を押し付けられてただけとも言うんだけどね。僕、いじめられがちというか、弱い立場だったから。……なんか格好悪いな」
高橋くんの口から「ははは」と乾いた笑いが漏れた。彩はそれを見て、横になったまま首を振る。
「そんな事ない。格好良かったよ。頑張ってるな、凄いなって思ってた」
彩の言葉に高橋くんがはにかむ。
「……そういうとこなんだよなぁ」
高橋くんは顔をくしゃくしゃにして、ベッドの端に顔をうずめた。
「ほんとそういう……はあ」
「な、なに?」
ベッドに向かって潰れている高橋くん。そんな彼を見て、彩は困ってしまった。彼が何を言いたいのかわからない。
しばらくして高橋くんはわずかに顔をあげ、上目遣いに彩を見た。
「二階堂さんっていつもそうやって褒めてくれたよね」
「え?」
「僕が一人で何かしてる時、クラスのみんなは誰も僕なんか気にも留めなかったけど、二階堂さんはいつも『餌あげてるの? 偉いね』とか『日直頑張ってるね』とか、いつも声をかけてくれた。それが凄く嬉しかったんだ」
そんな当たり前の事を喜んでくれていたなんて、彩は思いもよらなかった。
「だって、本当にそう思ったんだもん。ほら私、病気のせいで自分の仕事さえ満足に出来ない事が多かったでしょ。だから他人の分まで頑張る高橋くんの事、尊敬してたんだよ」
高橋くんの内面の美しさはクラスで一番だと彩は認識していた。彩はただそれを伝えていただけだ。特別な事をしたわけではない。けれど高橋くんは深い感謝を伝えてくれる。
「僕がその言葉にどれだけ救われたかわかる? なんの取り柄もなく弱い僕が、二階堂さんのその言葉で強くなれる気がしたんだ。楽しくなかった学校も、二階堂さんが居てくれたから休まず通う事が出来た。二階堂さんが居なかったら今の僕は無かった。僕は二階堂さんにすごく感謝してるんだよ」
高橋くんの口から感謝と愛情が次々あふれてきて、彩はそれに飲み込まれた。心地よく温かい響きにおぼれそう。愛情の海の中で高橋くんが彩の手を握る。
「僕は二階堂さんが好きだ。二階堂さんに救われた人生、今度は二階堂さんを救うために生きていきたい。二階堂さんの力になりたい。支えになりたい。僕は一生をかけて、二階堂さんを救いたい」




