家族
ベッドの上の安らかな静寂はスマホのアラームで切り裂かれた。
重いまぶたをゆっくりと開けて、二階堂彩は安堵する。
カーテンの隙間からうっすら差し込む光。柔らかな枕。重だるい身体が現実感に包まれている。
「生きてる……」
だけど、幸せかと言えばそうでもない。生きていたって良い事なんて何もない。
「はあ」
自分の物とは思えないほど重たい身体を無理矢理起こして立ち上がる。
呼吸を整えながら彩は、二階の自室から一階のキッチンへとゆっくり降りて行った。
「はぁあ、最悪! 先月ほとんどバイト入れなかったから今月ピンチだよ!」
彩がダイニングに足を踏み入れた途端、大学生の妹の遥花が言った。
ああ、またか。
遥花はまた彩をサンドバッグにしようとしている。それに気づいた彩は目をそらしたまま彼女の隣を通り過ぎ、黙って冷蔵庫を開けた。
郊外の住宅街にある築十数年の一軒家。ここで彩は両親、妹と共に四人で暮らしている。
妹の遥花の言いたいことは彩だってわかっている。「良いよね、お姉ちゃんは」「ほんとズルい」「お姉ちゃんみたいなの、ほんと腹立つ」そんな台詞ばかりだ。
彩がそう思いながら器にシリアルを注いでいると、案の定、遥花の口から決まり文句が飛んできた。
「良いよね、お姉ちゃんは。『障害年金』とか言って働かずにお金貰ってさ。病気があるだけで、ほんとズルい」
――じゃあ代わってあげようか?
そんな言葉が彩の口をついて出そうになる。
代わってほしいなら代わってあげるよ。
心臓に難病をかかえて、何度も手術を受けて。
少し動いただけでもしんどくて、これから先も一生メンテナンスの手術を受けないといけなくて。
平均寿命まで生きられる望みのないこの人生がそんなに羨ましいなら、代わってあげる。
彩がそんな心の叫びをグッと飲み込んだのは、吐き出したところで無駄だからだ。妹の遥花はおろか母親にまで「悲劇のヒロインぶるな」「自分だけが辛いと思うな」と言われるのだから、黙っているのが一番良い。
吐き出した分だけ空しくなる。
だから彩は無視を選んだ。
カチンとケトルが鳴る。
「邪魔」
遥花はキッチンに立つ彩を押しのけて、ケトルに手を伸ばし珈琲を淹れはじめた。
「ほんとお姉ちゃん見てると腹立つんだよね。こっちは必死に就活してるのにさ、お姉ちゃんは障がい者雇用とか言って簡単に就職したじゃん。超時短勤務で楽そうだし、そのうえ障害年金も貰って、おかしくない? こんな事のために自分のおさめた税金使われるの、ほんと最悪」
珈琲を手にした遥花がわざと彩の肩にぶつかりながらダイニングテーブルへ向かう。
「あつっ……」
並々といれられた遥花の珈琲はぶつかった衝撃で彩の腕にこぼれ、彩は反射的に顔を歪めた。けれど遥花は彩を見ようともしなければ謝りもしない。
「ねえ遥花、かかったんだけど」
「だから何? 狭いんだから仕方ないじゃん。てか、嫌なら一人暮らしすれば? お姉ちゃん社会人なんだから出ていきなよ」
言われて、彩は口ごもる。出ていきたい。でも――。
「ああ、駄目よ遥花」
洗面所に居た母がダイニングに戻ってきて口をはさむ。
「お姉ちゃんは突然死のリスクが高いんだから、一人暮らしなんかしたら迷惑だもの」
聞き慣れた声が刃物になって飛んできた。
「知らない間に突然死されたら困るじゃない。ウジの湧いた腐った死体を確認させられるなんて嫌よ、お母さん」
「うえ、私も絶対無理!」
二人の言葉が彩の心にぐさりと突き刺さる。
「それに後始末のお金を払うのはお母さんたちなんだから、とてもじゃないけど一人暮らしなんてさせられないわよ」
「そっかぁ。ほんとお荷物じゃん。だる……」
遥花は彩を睨み付けてドカッとダイニングチェアに座った。
(だるいって何)
彩は悔しさと悲しさで唇をぎゅっと噛んだ。
言い返したいけど、言い返せない。突然死のリスクも、自分の存在が他人にとって迷惑なのも、全部事実だ。
何も言えない。出ていく事さえ出来ない。生きていても死んでも迷惑――。
うつむく彩に母が言う。
「彩、なんでそんな顔するの。あなた恵まれてるのよ? あなた、毎月この家に自分がいくら入れてるかわかってるわよね」
「三万円だけど」
「そう。たった三万円。普通、三万ぽっちで一人暮らしなんて出来ないでしょう? 私たちが好意で安くしてあげてるんだから感謝しなさい」
「……わかってる。ありがとう」
ダイニングテーブルについた彩は顔をそむけ、妹と母のくだらないお喋りが耳に入らないようにシリアルをザクザク混ぜた。




